これ、どういう切り口から入っていけばイイのか、よく分からないんだけど、でも一応、書いておこうと思う。余力があるうちに。
たとえば、
「子どもがいない人は、未来の世界がどうなろうと知ったこっちゃない、いわば『無敵の人』になるのか?」みたいな話とか。
超久々に「はてなブックマーク」のページを訪問してみた。興味深いエントリーが並んでいた。人類に明るい未来はないのかも。
これね。
非常に興味深い話ですね。
大半の場合、子どもがいる人は基本的に、自分が死んだ後の世界のことも考慮しつつ、今を生きてますよね。
当然、自分の子どもを含む次世代の人々が暮らす世界が、少しでもナイスな世界であって欲しいと思うもんね。
これはホント、うん、確かにそうだと思う。
んで、それに対して、子供を持たなかった人、持てなかった人、次世代に自分のDNAを残せなかった人なんかは、自分が死んだ後の世界に対して、どんな思い入れを持てんのか?みたいな話っつーか。
めちゃくちゃザックリ言うとそんな感じよね。
詳しくはリンク先を各自で熟読していただくとして。
一部抜粋。
親には子供を育てる責任がある。親が死ねば子供は不幸になるだろう。これは死ねない理由になる。親が死んでも子供は未来の世界で生き続ける。だから親にはよりよい世界を子供に残したいという未来へのモチベーションが発生する。
翻って子供がいない私には、そのようなモチベーションが存在しない。残るモノが、残すべきモノが何もないからだ。私が死んだら代わりはいない。しかし、残るモノもなにもない。ゆえに世界とはイコール私自身のことであり、私が死ねばセカイは終わる。
だから私は世界のサステナビリティに興味がない。私はべつに世界に恨みを抱えている訳ではないので積極的に世界を害したいという願望はないし、私が死ぬまでの間くらいはせいぜい豊かで平和な世界が続いて欲しいと利己的に(ゆえに切実に)願ってはいるが、私が死んだ後の世界のことなら、べつにどうなっても構わない。
私のこの刹那的で自己中心的な指向性は、「消極的破滅願望」とでも呼べるものなのではないだろうか。あるいは俗に言う「サイレントテロ」か。40代も中盤を迎え子供を設ける可能性が限りなくゼロに近づいたいま、私はいわゆる「無敵の人」にどんどん近づいていっていると、自分自身について感じている。
生涯未婚率の上昇により多くの『親ではない大人』が『無敵の人』と化した近い将来、この世界のサステナビリティは危機に直面することになるだろう - 自意識高い系男子
なるほど。
「無敵の人」っていうのは、社会から孤立し、信用や地位、財産など失うモノが何もなくなった人を指すらしいです。
「無敵の人」って怖いものなしだからね、とんでもない犯罪を犯したりするケースもありますね。
「失うものが何もないので社会的な信用が失墜する事も恐れないし、財産も職も失わない、犯罪を起こし一般人を巻き込むことに何の躊躇もしない」・・・というワケですね。
めっっっちゃくちゃ大雑把に言うと、
世代を重ねるにつれて、
「ぼくたちの住む、この世界を少しずつでも良くしていこうよ!」
って思っている人々の割合がどんどん減ってるんじゃないかって話ですよね、多分。
(違ってたらゴメン)
自分も「宇宙船地球号」の乗員なんだという、当事者意識がない人がどんどん増えているというか。
明るい未来?
そんなん知るかよ。
知ったこっちゃねぇんだよ。
・・・・・・
って話ですよね。
んで、これ、どうなんですかね。
一般の、普通の、まともな人間の皆さんたちは、どう捉えているんですかね?
私は、生粋の社会不適合者だから、正常な人の立場から、モノを言うことができない。だから、私は私の立ち位置から考えるしかないので、予めご了承ください
私はそもそも、「まっとうな社会の一員」じゃないからね。
全然、溶け込めてない。浮いてる。
ぷかぷかと。
だから、正直に言うと「ぼくたちの世界」とか、「私たちの未来」とか、あんまり、実感ないんすよね。
なんつーか、デフォルトで、初期設定で、気づいたときにはすでに
「知らんがな」っていう部外者の目線で、なんか世界を俯瞰してるというか。
どこか遠くの山の上から、人間界を見おろしてるような。
自分もそのチームのメンバーなんだ、っていう自覚がないまま、人生の大半を過ごしてしまった感じ。
なんか、そもそも最初から、他人事っていうか。
これホントねぇ、真面目に生きてる人からするとムカつくかもしれませんけど、正直な話、人類滅亡するような気がしてんすよね。
10年後か、20年後か、30年後か、分かりませんけど。
まぁ、近い将来、人類の大半は死滅するんじゃないかな?って。
んでこれ、別にね、悲観してるわけでもなくてさ。
もちろん「人類、ざまぁwww」とも思ってませんけどね。
なんつーか、あんまり特別な感情もないっつーか。
「あぁ、そうねぇ、滅亡するかもねぇ…さて、お茶でも飲むか…」
くらいの平常心。
なんかさっき、はてなブログ界隈をさまよっていて偶然に、アドラーの「課題の分離」みたいな話をチラッと見かけたんだけどさ、いや、ホントさ、
なんつーか、
「人類の存亡」に関するミッションって、オレに与えられた課題じゃないような気がすんのよね。
オレが全力で右往左往しても、地球規模で考えれば、ほぼほぼ何も変わらんし、泣こうが喚こうが、なんの効果もないと思うんよね。たぶん、状況は良くも悪くもならない。
たぶん、そういう大きな課題って、オレよりももっとちゃんとした、まともな、偉くて、頭がよくて、行動力があって、モラルの有る人々のためのミッションのような気がするんよね。
ものすごいちっこい話で恐縮なんだけど、ぶっちゃけ、無能なオレは、オレに与えられたミッションだけをこなせばいいと思っててさ。
小物は小物なりにできることやりゃいいと思っててさ。
大きなことやろうと思っても、できんものはできんからさ。
んで、
じゃあ、無能なオレに課されたミッションがあるとするならば、それって何なのか?って考えるとさ、
たぶん、
オレは、オレみたいな人間、社会に溶け込めなかった人々、生きづらさを抱えている人々(通称・翼の折れたエンジェル)に、オレの生きざまを見てもらう、そして、勇気なのか、元気なのか、笑いなのか、分からんけど、なにかを感じてもらう、ってことしかできないと思うんよね。
そして、オレは、それでいいと思ってんだよね。
なんか完全に、自分が今どこにいるのか、何を言ってるのか分からなくなってきた。
完全に迷子状態なので、ちょっと休憩しまーす。
(ガチ休憩)
はい、カレーを食べました。休憩おわり。脳内をちょっと整理してみる。
ちょっと自分なりに整理してみるか。
え~~と。
今後、世界は「子供を持たない人」が徐々に増えてくる。
「子のいない大人」にとって自分が死んだ後の世界の話なんて他人事かも知れない。
私個人としては、未来の世界というよりも、今の世界の話でさえ、どこか他人事。
私個人としては、未来に対して、たとえどうなろうが悲観も楽観もあんまりない。ただ、信じるしかない気がする。当事者の皆さんがイイ感じの世界を実現してくれることを信じるしかないかなぁと。
晴れても良し。
曇っても良し。
雨が降っても、それもまた良し。
人類が絶滅するなら、それもまた良し。
人類が滅びれば、地球上の生物たちの多くは、大喜びするのかも知れないし。
宇宙規模で考えれば、地球人なんてガン細胞みたいな存在かも知れないし。
何がいいのか悪いのかなんて、立場によってコロコロ変わるもんね。
自分のチカラではどうすることもできないような事案に対して一喜一憂してもしょうがないんよね。
私は私ができることをする。それだけ。
え~~と、結局、何かいてるのか分からないままでした✨
あ、そうだ。
子どもがいないから「無敵の人」になる、ってのは、ちょっと飛躍しすぎかもしれませんね。
「子どもがいない」ことと「社会を憎悪する」ことは、直接的には繋がっていないような気がするんで。(バタフライ・エフェクト的には繋がってなくもないのか。風が吹けば桶屋が儲かる的な)
むしろ、社会に対して何の思い入れもない、たいして興味も期待もない、というのであれば、「無敵の人」的な犯罪も起こさないような気がするんよね。
社会に対して無関心で、何も期待していなければ、大きな絶望もないだろうし。
何かを期待しているから、その期待が裏切られたと感じてるから、社会を許せなくなるんだろうし。
・・・・・・
で、これ結局、どうやって終わりましょうか。