「30年後に死ぬ人類」を想像しながら毎日を丁寧に生きる

広告

なんか今「100日後に死ぬワニ」っていう話が、バズってるらしいじゃないですか。

(詳しいことは知らん)

確かに、事前に死ぬことが分かっていれば、ありきたりな日々の暮らしや、一つ一つの発言や行動も、きっと違ってみえるんだろうな…って気はしますよね。

 

「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」という言葉があるらしいな。名言。

このブログでも、過去に何回か書いたことがありますけど、私は基本的に、「100日後に死ぬワニ」状態なんすよね。

 

「100日後に自分が死ぬとしたら…?」

ってのは、あらかじめ、自分の頭の中でシミュレーションしてますからね。

想定内なんですよ、死ぬのが。

 

もっと言うと、

「もしも明日、死ぬとしたら、今日をどう生きる?」

ってのも考えてるし、

「もしも1か月後に死ぬとしたら、今日をどう生きる?」

ってのも考えてるし、

「もしも1年後に死ぬとしたら、今日をどう生きる?」

ってのも考えてるし、

「もしも5年後に死ぬとしたら、今日をどう生きる?」

ってのも考えてるし、

「もしも10年後に死ぬとしたら?」

「もしも20年後に死ぬとしたら?」

「もしも30年後に死ぬとしたら?」

ってのも、

すでに視野に入れてありますからね。

 

転ばぬ先の杖。

 

最初から、死ぬ前提で生きてますから。

 

それぞれのケースを念頭に置いて、そこから逆算して、今日を生きてますから。

 

最悪な事態も事前に想定したうえで、

「じゃあ、今日はどう生きるのがベストなのか?」

って、考えてますから。

 

いろんなパターンを想定して頭の中にズラーーっと並べて、その中から多く重なりあっている「最大公約数的な部分」を見つけ出し、そこを優先順位の上位に置いてますから。

 

明日死ぬとしたら、いま何をする?

昼寝。

 

10年後に死ぬとしたら、いま何をする?

昼寝。

 

30年後に死ぬとしたら、いま何をする?

昼寝。

 

 

OK、分かった。

脳内会議、終了。

オレが今すべきなのは「昼寝」だ。

 

みたいなことなんですよ。

 

だから私の人生は、どこを切っても、ほぼほぼ「自分史上過去最高の一日」なわけです。

「最高な人生の金太郎あめ」状態。

いつ、どの瞬間を切り取っても「その日、その時の自己ベスト」なんすよね。

ず~っと自己記録更新中、みたいな。

 

今日が人生で最高の一日。

それがずっと、毎日更新されている状況。

 

 

逆に言うと「死」を想定しないで生きてる人って、それで大丈夫なん?いざその時が来たら、取り乱すんじゃね?

まぁ「生」とか「死」とか、このへんの話に関しては、このブログの過去記事を読み漁っていただきたいと思います。

興味のある方は、頑張ってサルベージしてみてください。

 

なんか、自分が死なない前提で、物事を考えてる人、いるでしょ。

とりあえず、当たり前に生きてる前提で人生の計画を立ててる。

事故とか病気とか、不測の事態について、まったく考えてない方々。

 

私なんて「明日死ぬかもしれないなぁ」とか頭の片隅で考えてるから、ブログ用に「独自ドメイン」を取得するかどうかさえ、躊躇しちゃってますけどね。

 

以前、書きましたけど、私は基本的に、「死ぬ準備」を整えておくことが、現世で与えられた重要なミッションなのではないか?って考えております。

gattolibero.hatenablog.com

 

ちょっと私の場合は「死ぬ準備」をあまりにも早く終わらせてしまった感もありますが…。

 

あ、そうそう、

「100日後に死ぬワニ」の話だ。

 

 

どういうわけか、「一杯のかけそば」に関するこのブログの過去記事が「100日後に死ぬワニ」と関連付けられて読まれている模様

私自身、ワニの話は、あと95日目とか、80日目とか、その辺で何度か、ツイッターのタイムラインに流れてきたので、チラ見くらいはしておりました。

とはいえ、

「100日後に死ぬワニ?知らんがな。」

くらいな感じでスルーしていたんですが、いつの間にか、このブログも「100ワニ」の恩恵を受けていたようで。(大した量ではありませんが)

 

数日前、なぜかこの過去記事が、ちょいちょい読まれていたんですよね。

gattolibero.hatenablog.com

 

んで、大みそかでもないのに、なんで年越しそばの話に検索流入があるんだろう?って不思議に思ってたんですけど、

どうやら、

「100日後に死ぬワニ」と「一杯のかけそば」を関連付けて語ってる人がいたみたいで。

 

もしかすると、私も知らず知らずのうちに「100日後に死ぬワニ」の恩恵を受けていたのかも知れません。

(たぶん、10円とか20円とか)

それで今回、言及させていただきました。

100ワニ特需。

 

 

なんか、早くも「100日後に死ぬワニ」のグッズが、メルカリで3倍の値段で売られていたりするらしいじゃないですかwウケるw

いやいやいや・・・

 

売る方も売る方だけど、買う方も買う方だよな・・・

 

なんだこの茶番劇は・・・

 

・・・・・・・・・

 

・・・・・・・・・

 

実におもしろい。

 

ってか、速いね。

爆速だね。

もうグッズ販売してんのか。

Amazonでキーホルダー3個で6000円で売ってる奴いたw

「数日後に死ぬ転売ヤー」ですかね。

 

あ、あと、あれだ。

バズっている、というよりも、炎上してる?って感じなんすかね?

詳しいこと知らんけどさ。

 

制作側と読者側との「決定的なズレ」

それは、作品そのものを構成する、その中心となる文脈に「死」、さらには、そこから導き出される「感動」というものが含まれていたからだと考えられる。

仮に『ロミオとジュリエット』の舞台で、二人が自らの命を絶ち、悲劇が幕を閉じた直後、カーテンコールを待たずして劇場が明るくなり、突然監督が舞台に現れ、この舞台を収録したDVDの宣伝をし始めたとしたら――。それに似たような感覚を、あの矢継ぎ早の告知は与えてしまったと言えるだろう。

ワニは、そのタイトル通り100日目で死んだが、ワニに対して愛着を持ち、感情移入をした読者にとって、ワニは100日目の時点では、まだ死んでいなかったのだ。

「100日後に死ぬワニ」最終回が猛批判された訳 | ゲーム・エンタメ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

ここの部分ですかね。

 

仮に『ロミオとジュリエット』の舞台で、二人が自らの命を絶ち、悲劇が幕を閉じた直後、カーテンコールを待たずして劇場が明るくなり、突然監督が舞台に現れ、この舞台を収録したDVDの宣伝をし始めたとしたら――

 

確かに、お芝居が終わった瞬間に、グッズの宣伝が始まったら嫌だなぁ~。

こっちはまだ頬を伝う涙を拭っている真っ最中なのに…みたいな。

 

映画館でたまに、エンドロールが流れ始めた瞬間、間髪入れずに立ち上がり、出口に向かって小走りに歩き出す人とかいますけど、あの感じなんすかね。

「100日後に死ぬワニ」に金儲けのにおいを感じて、わらわらと群がってきたピラニア的なビジネスパートナーたち。

 

まぁ、あんまり詳しいこと知らんし、知りたくもないし、これ以上「100日後に死ぬワニ」関連の情報集めてもむなしくなるだけって気がしますんで、この話は終了!

 

「100日後に死ぬワニ」の本は、絶賛発売中です!

 (最後にしっかり宣伝。ワニに罪はない)

 

 

とりあえず「人類は2050年に滅亡する」っていう前提で脳内シミュレーションすることで、限りある時間を意識できるようになります。

「今日をしっかり生きる」ための「人類滅亡ライフハック」、何気にオススメです。

gattolibero.hatenablog.com

 

 未来予想。まじめに考えております。

gattolibero.hatenablog.com

 

年金とかどうなっちゃうんでしょうかね。 

gattolibero.hatenablog.com