誰かに何とかしてもらおうと考えている時には、誰も手を貸してくれない。
しかし
「よっしゃ!自力で何とかするしかねぇ!」って覚悟を決めて立ち上がり、一歩踏み出したとたん、協力者や支援者が現れる…ってこと、ありがちですよね。
にんげんって、世の中って、多分そういう風にできているんじゃないかと。
「俺は悪くない。俺の人生を何とかしてくれないお前らや社会が悪いんだ」って言うヤツ。いるね。
「俺は悪くない。悪いのは周りの人たちなんだ」って開き直っちゃって、警官を襲って銃を奪うとかさ。
いますよね。
まぁねぇ…。
実際に、そういう側面はあると思うんだけどさ。
ここまでダークサイドに堕ちちゃった人にこそ、本当は誰かの助けが必要なんだろうけどさ。
時々、聞くよね、
「本当に助けが必要な人間って、誰もが助けたがらないイヤな人間」
みたいな話。
相模原障害者施設殺傷事件の植松とかさ。
「みんなから嫌われるようなヤツほど、本当は誰かの助けを必要としている」って話、ある意味ではそうだと思うんだけどさ。
とはいえ、助ける側も、にんげんですから。
神でも仏でもない、たんなる非力な人間ですから。
どうしてもね~、人は皆、基本的に
「こういうクソみたいなヤツ大嫌い。絶対、助けたくねぇな」
って思っちゃうわけですよね。
かくして、誰からも手を差し伸べてもらえなかった人間は、その速度を増しつつ、どこまでもどこまでも暗黒面(ダークサイド)に堕ちていき、最終的には犯罪者になっちゃったりするわけです。
ネット界隈にもいますよね、そういう輩。
助けてほしいなら、手を差し伸べてほしいなら、かまってほしいなら、「相手に悪意を投げつける」というコミュニケーション方法を辞めりゃいいのに。
周囲にネガティブなエナジーをまき散らせば、より孤独になっていくだけなのに。
そういうことに気づいていない。
お気の毒です。
ダークサイドに堕ちた人には、誰も手を差し伸べてくれないんだよ。
早く気づいた方がいい。
しかしこういうのって、他人に言われてどうこうじゃなくって、自分自身で気づくしかないんだよな…。
しょ~もないおっさんが、はてな匿名ダイアリー(通称・増田)でグダグダ言ってた
主語がデカすぎるんだよな。
所詮、井の中の蛙だろうに。
世の中のことなんて、ちっとも分かってないだろうに。
「おれはおっさんが嫌いだ」と言えばいいのに
「おっさんはおっさんが嫌いだ」とのたまう。
まるで自分が「おっさん代表」であるかのように。
「それはお前個人の意見だろ。『おっさんの総意』、みたいな論調で語るんじゃねぇ、ドアホ!」…とか感じた人もけっこういると思うんだけど、まさに、増田のそういうところだよな。至らない点。
お前が嫌われたり、いじめられたり、人生がうまくいかないのは、そういう浅い考え方、薄っぺらい言動、思いやりが無く自分本位な性格とかが原因なんじゃないか?
高卒だから、とか
特技がないから、とか、
ブサイクだから、とか、
自分の人生がうまくいかない原因を「自分の外側」に見つけようとしてないだろうか?
お前の人生がしんどい本当の原因は、お前のその「腐った性格」なんじゃないのか?
とか思ったりして。
貯金2000万もできるわけないし結婚も無理、俺を受け入れる女はいない、勝ち組の男も助けてくれない、となると同類同士で助け合うしかない。シェアハウスとかが現実的なのかもしれないと、知り合い数名に提案してみたがことごとく却下。
周囲の人に「俺と一緒に住まないか?」と打診したそうだが、誰からもいい返事はもらえなかったようだな。
う~~~む……。
そりゃ、嫌だろ。
誰だって、お前みたいな人間と一緒にいたくねぇんだよ。
お前が、おっさんだからじゃない。
お前が、ブサイクだからでもない。
お前が、貧乏だからでもない。
お前が、嫌なヤツだからだよ。
気づけよ。
ってか、こういうことに気づけないから、長期間「嫌なヤツ」でいられるんだよなぁ…。
気づいたら普通、改心するんだよなぁ…。
ネットでは「おっさん同士で助け合えよ。女に救いを求めるな」なんて意見を目にするが、俺はそういう奴が1番嫌いだ。
おっさんがおっさんを助けるわけないだろ。ちょっとは考えろ。
俺も昔は女が下方婚しろよと某所で吠えていたクチだが、俺たちは女に救われたいんだ。
「 おっさんがおっさんを助けるわけないだろ」ってか。
いや違う。
お前がそういうおっさんなだけだ。
お前は、誰かに助けてもらうことばかり考えているようだが、自分から誰かを助けようとは思わないのか?
「俺たちは女に救われたいんだ」ってか。
おっさん仲間に見捨てられた今、最後に頼れるのは「女」しかいない、ってか。
なにこの発言。
なにこの発想。
・・・・・・・・・
なんだろうなぁ、ここに至るまでの主張の内容が、首尾一貫して、ことごとく「小物」なんだよなぁ…。
人間としてのスケールがメチャクチャ小さい。
一挙手一投足がセコイ。
モノの考え方とか、思想自体が、ホントにもう、情けない。
逆に今まで、どうやって生きてきたんだろうか。
人生について考えたこととか、少しでもあんのか。
ってか、ここで改めて。
「みんなから嫌われるようなヤツほど、本当は誰かの助けを必要としている」
という格言が思い出されるわけよね。
でもこういう輩は、「善意の人」が差し伸べてくれた手に、ガブッと噛みつくからね。
せっかく差し伸べられた救いの手を払いのける、っていうより、むしろ攻撃してくるから。
結果的に、自分で自分の首を絞めている。自分で自分の居場所を無くしている。
そういうことに気づけていない。
だから、いっそう、孤独感を深めることになってしまう。
結局これ、自分自身で過ちに気づいて、自分の足で立ち上がろうとするしかないんだよななぁ、きっと。
実際に立ち上がれるだけの能力があるかないかの話ではなくて、姿勢の問題だよね。
「よし、自分の足で立つんだ」っていう決意があるかどうか。覚悟があるかどうか。
それによって、周囲の人の反応も変わってくるし、少し大げさに言えば、自分を取り巻く世界全体が変わってくるんだよな。
根気強く前向きな姿勢を保ち続けていれば、いずれ必ず、賛同者や支援者が現れると思うんだよね。
きっと世の中の仕組みって、そういう風になってるんだと思う。
(まぁ、そう思いこまなければやってられないって部分もあるが)
結局は、腹をくくって、やるしかない。
人生を誰かとシェアするのって、ホント大変だと思うよ。
地位も名誉もカネもあるご婦人方同士でも、かなり難しいみたいだからね。
お笑い芸人のみやぞんも言ってましたね。
「自分の機嫌は自分で取る。人に取ってもらおうとしない」って。
自家発電ですよ。
自分が前向きなエナジーを生み出す「発生源」になれば、おのずと人は近づいてくる。
とはいえ、誰もが、みやぞんのように生きられるほど強くはないけどさ。
でもさ。
実際に自分が「太陽」のような存在になれるかどうか?って、実は関係ないんじゃないだろうか。
きっと、おそらく
「前を向くんだ、自分の足で立つんだって、ちゃんと自分の中で決断しとけよ」ってことだと思うんだよね。
自分の足で立とうとしている人の前には、手を差し伸べてくれる人がきっと現れる。
たとえ、ひとりでは立てなかったとしても、立とうとし続けたこと、それ自体に意味があるから。