今ツイッターで #死ぬまで独身でいる確率 っていうハッシュタグがトレンドに入ってましたね。
きっと、所帯を持つよりも独身の方が「ラク」なんでしょうね~。
誰かと一緒に人生を分かち合うよりも、ひとりで自由に生きた方が「楽」なんすよね、ぶっちゃけ。
「ラク」であることは、必ずしも「良い」ことではないと思うが、とはいえ人は皆、楽して生きたかったりする
もっと言うと、「楽を追求することは悪いこと」でもないんだけどね。
最終的に滅亡するにせよ何にせよ、それが悪いことだとは言い切れないわけで。
以前、こんな話を書いた事があります。
鳥って、飛びたくて飛んでるわけじゃないんじゃね?って話。
私は気づいちゃったわけよ。
その島(もしくは地域?)には、鳥を襲うような天敵が全くいないから、鳥たちは空を飛ぶ必要がない、ってことなんですよね。
ということはよ?
鳥たちに
「飛んでもいいし、飛ばなくてもいいよ」
って選択肢を与えたら、みんな、
「じゃあ、飛ばない」
って答えるってことなんじゃね?って。
だってさ、ことごとく、どの種類の鳥も、飛ぶのを辞めちゃってるワケ。
ということはさ、
「飛ばなくても生きていけるなら、飛ばない人生を選ぶ」
ってことだよね、鳥たちは。
ある島(地域)に生息している鳥たちは、揃いも揃って、みんな空を飛ばないわけよ。
「外敵がいないから」だと思うんだけどさ。
鳥だけじゃなくてさ、コウモリさえも、歩いてんのよ。ウソみたいな話だけど。
んで、私は気付いたわけよ。
「飛んでもいいし、飛ばなくてもイイよ」
って言われたら、鳥たちは「飛ばない」方を選択するんだなって。
「大空を舞う鳥のように自由に生きる」とか、そんな表現ちゃんちゃらおかしいわ、って話なのよ。片腹痛いわ、って話なのよ。
鳥たちはみな、飛びたくて飛んでるわけじゃないんだよね、きっと。
むしろ、飛ばずに生きていけるんなら、飛ばない方の生き方を選ぶわけよ。
人間が勝手に「鳥はいいなぁ~うらやましいなぁ~空が飛べるってイイなぁ~」とか言ってるだけで。
鳥本人は、「飛びたくないよぉ~~~」って思ってる可能性さえあるわけよ。
まぁ実際、「落ちたら死ぬ高さ」まで舞い上がるメリットってあんま、無いからね。
デメリットだらけですよ、冷静に考えてみれば。
ってか、そろそろ本題に入ろうじゃありませんか。ねぇ、みなさん。
かつて人間は、協力しあわなければ生きていけない環境下に生息していた。だからみんな、一緒に住んで助け合って生きてきた。
さかのぼれば、原始時代とかもそうですよね。
洞窟の中で生活していた原始人たちだって、ひとりじゃ生きていけなかったと思うんですよ。
みんなで協力し合って、マンモスを追いつめたりとかさ。
夜間の見張り役ひとつとっても、交代交代だしさ。
男たちがサーベルタイガーと戦ってる間、女たちは子供を育ててたりとか。
そんな感じで、役割分担とかもあったんでしょう。
ひとりじゃ生きていけないから「群れ」をなすわけですよ。
人間に限らず、原始人に限らず、シマウマだって、ガゼルだって、イワシだってそうですよ。
生きのびるために、集団で行動してるわけじゃないですか。
少しでも生き残る確率を高めるために、グループを形成しているわけですよ。
一昔前の日本だって、大きなくくりで言えば、そういうことだと思うんですよね。
親子三世代同居とかさ、そんなの当たり前だったわけじゃないですか。
一緒に住むことで、一緒に暮らすことで、お互いに足りない部分を補ったり、助け合ったりしてやりくりしてきたわけですよ。
誰かが怪我したり、病気したりしたら、一緒に住んでいる家族が看病したりしてさ。
コスパの面でも、皆がバラバラに住まない方がメリット大きかったわけですよ。
三世代が一緒に住めば電子レンジとか1台ですむけど、バラバラに生活していれば、電子レンジも炊飯器も冷蔵庫も、なんでも3台必要じゃないですか。
今ほど豊かではない時代、貧しかった人々は、貧困対策的な意味も込みで、親と同居したり、ジジババと同居したり、親戚同士で助け合ったりしてきたわけじゃないですか。
消防団とか、町内会とかもそうですよね。
助け合わなきゃ生きていけない環境下では、問答無用で助け合う以外に選択肢は無いんすよね。
当たり前のように助け合わなければならない。
助け合えない奴は、そもそも生きていけなかった。
そのDNAを次世代へと繋ぐことができなかった。
・・・・・・・・・
そういう時代が、何千年、何万年と、ず~~と続いていたわけですよね、人間界でも。
んで、ここで先ほどの鳥の話を思い出していただきたい。
「鳥は飛ばなきゃ生きていけないから、飛ばざるを得ない」
って話。
鳥は、飛ばなくても生きていけるなら、飛ばない方の道を選ぶ。
そしておそらく人間は、
誰かと一緒に人生を折半するくらいなら、全部まるごと自分の人生を生きたいと思う…はず。
自分の人生の100%を自分の判断で自由に使えるなら、そっちを選ぶ…はず。
少なくとも、じわじわと、そういう世界になりつつあるんじゃないかと。
ある意味では経済的な豊かさが人類を滅亡に追い込む、っていう。
三世代で一緒に暮らさなければ食っていけなかった時代、人は否も応もなく、三世代同居を受け入れていたけれど、
経済的に豊かになって「別に核家族でも生きていけるよ?」ってなった場合、当然のように、核家族化が進んでいく、ということなんじゃないかと。
ばらけていく。
バラバラでも生きていけるのであれば、バラバラになる。
そして、その傾向はさらに深まっていき、
「一生独り身で生きていけるなら、一生ひとりで生きていく」、という人々が今後はさらにじわじわと増え始める…はず。
「誰か」と一緒に生きるということは、自分の人生の半分を「誰か」に差し出す、ということ。
「誰か」と「自分」、お互いがそれを実践できないのであれば「一緒に生きる」ことはできない。
・・・・・・
みたいな話を過去に書いたんだけど、ちょっと見当たらない。
近い話はこれとか。
これもそうですね。
誰かと一緒に生きるということについて。
もしかすると、この話だったかなぁ…。
んで、結局、この先、どんどん「ひとりで生きていく方の道」を選択する人々が増えていって、最終的には人類滅亡と。
最後には、結婚もしないし、子作りもしないよ、って人が大多数を占めることになるのかもしれませんが…。
まぁねぇ、クローン技術とかが進歩して、法的にもアリってことになったら、おそらく、わざわざ他人のDNAと折半して子孫を作る人は激減するでしょうね。
例えば。
100%自分のDNAを受け継いだ子供を作ることができる未来があるとすれば、おそらく大半の人間はそっちの道を選ぶようになるでしょう。
今の時点ですでに、「血の繋がり」とか「血縁関係」とか、そういうことにこだわってますからね、人間たちは。
我が子に自分の血が50%入ってるかどうか?に執着するのが大抵の人間ですから。
だったら、
「純度100%の自分のコピーを作ってOKですよ」って話になったら、当然、ほとんどの人間は、自分のクローンを我が子として育てるでしょう。
ひとつ言っておくと、私は人類の未来を悲観して、こんなことを言ってるわけではありません。
もっと淡々としています。無感情に書いています。
研究者の目です、科学者の目です。
それが良いとか悪いとか、感情をはさむのではなく、
「そういうことになるんだろうなぁ~」と、
無感情かつ無表情に、そう思っている、というだけのことですので。
「現代社会に警鐘を鳴らす」とか、そんな気持ちは毛頭ございません。
あぁそうなの、滅亡するんですか。
了解('◇')ゞ!!
くらいの、THE・平常心です。
孤独死にしろ、人類滅亡にしろ、みんなが言うほど悪いことだとは思ってないんで。
悲観する必要はないんじゃないかなと。
基本的には2050年前後で人類滅亡もあるなぁと、そういう前提で未来を見据えておりますので、特に何とも思わないんすよね。
(多分、人類滅亡の前に自分は死んでるし)
私自身、あんまり人類の繁栄に貢献できてなくて、正直スマンかった、という気持ちはないこともないんですけどね。
人類よ、スマンかった…的な。
でもまぁ、そんなことで落ち込んでもしょうがないんで。
前向いていきましょう。
ケセラセラですよ。