今日は「自己肯定感」の話。
ちょっと重い話だけど、いつか書かなくちゃな~と思ってて。
これ、すげ~大事なんだよね。
人生を左右する。
致命的なまでに。
「自己肯定感」とは何だ?
まず一応、自己肯定感って何よ?っていうのをザックリと。
読んで字のごとく
「自己を肯定する感覚」ですね。
(当たり前っちゃ当たり前か)
「自分には価値がある」
とか、
「自分は素晴らしい存在だ」
みたいなことを漠然と感じてるわけですよ、自己肯定感が高い人っていうのは。
まず、そこからスタートだと思うんだよね、人間って。
これって遺伝とか、子供(特に乳幼児)の時の育てられ方に左右されるらしいんだけど。
「自分はこの世に存在していてOKなんだ」っていう感覚がまず最初に無いと、本来はその次のステップには進めないワケですよ、実を言うと。
だって、自分自身のことを
「この世にいなくていい存在、いちゃいけない存在」
って思いながら、普通に生きていける?
無理でしょ。
めっちゃ辛いよ?
頑張って生きていくことが出来たとしても、スゲー屈折した感じになっちゃうよな。
だから実は、この「自己肯定感」ってのは、めっちゃ重要なわけよ、本来は。
これを持ってるか持ってないかで、考え方とか行動が、全く違うわけ。
生き方が全然、違ってくるんだよね。
しかし…! 世の中にはこの「自己肯定感」がいちじるしく低い人も存在するわけです。生きづらさを抱えた人々。
このブログ「自由ネコ」の読者なら、身に覚えのある人、心当たりがある人も多いんじゃないかな。
かくいう私も、元「自己肯定感まったくないマン」でしたから、まぁ~しんどかった…。
先日、この記事を読んで、いろいろ思い出しましたね。
それで、しんどいけど記事にしておこうと思い立ったわけです。
自信がない人間は生きづらい
自分も人生で何人か生きづらそうな人に出会ってきたが、やはり共通するのはこれではないかと思う。「自信のなさ」「自己肯定感の低さ」
無理に言葉にすれば「自分という存在に対する無条件の肯定がない」と言っていいかもしれない。
これがあるのとないのでは、人生の生きやすさが百八十度違う。
子供の頃に、親に褒められたことが無い人間は、自己肯定感を持ちようがない。地獄からのスタートです。
ちょっと自分の話をすると、うちの場合もなかなかでしたね。
私も当然、親に褒められた記憶がないです。
もともと、人を褒めない、間違えても謝らない、ありがとうと言わない、みたいな意味不明な親だったんで、私の兄弟みんな、かなり屈折してしまいましたけどね。
中でも私はもう、どうしようもなくて。
というのも、兄弟は皆、成績表がほぼオール5(4が一個とか)の、パーフェクトヒューマン系だったんでね。
オール4程度の私は、もうクズ扱いなわけですよ。
親も兄弟も完全に敵ですよね。
味方ゼロからのスタート。
自分を肯定してくれる人は皆無という居場所のなさ。
いまだに家族とはどう関わっていいのかよく分からないんですけどね。
会ってもほとんど会話できませんからね。
ちなみに、大人になってから知ってビックリしたのは、パーフェクトヒューマン系の兄弟たちでさえ、「親から愛されたという実感は全くなかった」と語ったことですね。
かなり意外でした。
私は兄弟の事を「うらやましいな~。」と思って見てましたから。
でも実際は、子供たちは皆「自分は愛されていない」と感じながら生きていたという事実ね。
救いがないね。
自己肯定感がないと、無理してでも何かを頑張らないとダメなんですよね。
潰れるまで頑張り続けるしかない。
何となく漠然と、常に
「今のままの自分じゃ、生きている資格がない。存在価値がない」
って思ってますからね。
生きるのがしんどい。
参考・・・
自己肯定感と言えば、先日のコチラの記事ね。
大きな愛を絶えず注ぎ続け、自己肯定感を植え付けた男、マシュウ。【赤毛のアン】 - すばこでゆるライフ
「赤毛のアン」に登場するマシュウは、孤児院育ちで自己肯定感の低かったアンを徹底的に肯定しまくります。
ナイス・マシュウ。
以前こんな事があった。場違いな会合に現れた「自己肯定感に満ち溢れたおばさん」が語ったこと。
数年前の話なんで、私もかなり立ち直りつつあった時期の話なんですけどね。
いわゆる「自助グループ」みたいな集まりに、ボランティアとして参加したことがありまして。
自助グループっていうのは、まぁなんというかな、
「同じ悩みを抱えた人々が集まって、お互いを励まし合いましょう、痛みを分かち合いましょう」
的な集まりかな。
私の人生に大きな影響を与えたイチオシ映画「ファイトクラブ」にもいろんな自助グループが登場しますね。
「睾丸癌患者の会」とかね。
「結核患者の会」とか。
映画「ファイトクラブ」の中で、不眠症の主人公は、いろんな自助グループ(サポートグループ)に当事者のふりをして潜り込みます。
皆で励まし合い、慰め合っている輪の中に入り込み、一緒になって泣くことで精神的にスッキリして不眠症が治っちゃうというくだりがありますね。
「ファイトクラブ」を観ると人生変わりますから、自己責任で観てね。
「IMDb」のランキングを見れば「ファイトクラブ」がどれほどの人気なのかを知る事が出来る。
現在、Internet Movie Database(インターネット・ムービー・データベース、略称:IMDb)でのユーザーによる評価のランキングは古今東西、全映画の中で第10位だ。
略
この作品は基本的に賞レースとは、ほぼ無縁だった。
すなわち権威ある者たちからの評価は得られなかった。
興行収入的にも散々な有様で、万人に受けたとは言えない。
略
「ファイトクラブ」は、客も入らず、批評家にもウケなかった。
しかしそれでもなお、熱狂的なファンが桁外れに多いのは何故なのか?
映画を観ればそれが分かる。
あなたの心の中に「普段は押さえこんでいる、煮えたぎるような何か」があるのならば。
大勢の人に支持された映画ではないけれど、ファンは皆、めちゃめちゃ熱狂的という、非常に特殊な、いわばカルト的な映画。
監督:デヴィッド・フィンチャー
主演:エドワード・ノートン ブラッド・ピット
さて。
いつものように脱線してしまいましたが。
話を元に戻しましょう。
私が潜り込んだ、某・自助グループ的な集まりでの話。
そこに集まった人たちは皆、何らかの悩みを抱えている人たちでした。
ただね。
二人だけ、
「場違いなところへ来ちゃったな…」
って感じの人がいて。
ひとりは、いわば「リア充」の綺麗な女子大学生。
将来的にカウンセリング?か何かの仕事に従事する予定なので、勉強のために来たと言っていましたね。
頭が良くて高学歴で美人で若くて明るい。
なんかもうね、場違いな感じがすごくて。
みんなが打ち明ける悩みに、おそらく全然共感できてなかったと思いますね。
「この人たち、何言ってんの?」って感じだったと思います。
同じ痛みを共有できてるようには見えなくて。
でもまぁ、こういう人が将来的には医者とかカウンセラーになるワケだから、なかなか難しい話だなぁ~って思いましたね。
そしてもうひとり。
ちょっと金持ちそうなマダムね。
マダムが自分の番になった時に、こんな感じの事を言ったんですよね。
胸を張って堂々とね。
私には、正直、皆さんの気持ちがよく分かりません。
私は物心ついた時からずっと、
両親から
「あなたは素晴らしい存在なんだよ」
と言い聞かされて生きてきました。
しつこいくらい、何度も何度も
「あなたはただ生きてるだけで最高の存在なんだよ」
って言われて育ちました。
だから、みなさんが何に苦しんでいるのかよく分かりません。
・・・・・・
・・・・・・
こういうことなんですね、自己肯定感って。
このおばちゃん、絶対的に「自分の存在価値」に疑問を持ってないんです。
ただ、その場にいるだけでOKなんです。
それだけで、自分はめっちゃ輝いてる、そう心底、信じてるんです。
「ありのままの自分」がそれだけですでに100点満点なんです。
誰かに認めてもらうために頑張る必要も努力する必要もない。
「ただ生きてるだけで、自分には宝石みたいな価値がある」
と、自分自身が実感してるんですよね。
ある意味では刷り込みです。
マインドコントロールというか。
圧倒的なまでの自己肯定感。
これを持っている人は、めっぽう強いです。
特に、何かにつまづいた時、失敗した時にその効果が絶大です。
自分を否定することが無い。
反省はするけれど、後悔や、自分を責めることが無い。
おばちゃん…もとい、マダムがこの話をした時に、私は「あんたはここへ何しに来たんだ?」と思うと同時に、何か生きるヒントを得たような気がしましたね。
自己肯定感が低い人=生きづらさを感じている人が、まず最初に取り組むべきこと
何となく分かってきましたか?
自己肯定感が低い人は、自分を認めるために、頑張り続けることになります。
今の自分には価値がない。
価値ある自分にならなければ生きていけない。
より良い自分にならなければ存在することが許されない。
しかし、いくら頑張っても、自己肯定感が低いままなら、満たされることはありません。
いつまでたっても「もっともっと」と思うだけです。
エンドレスです。
そして何か失敗をした時には、尋常じゃない自己嫌悪に陥ります。
ただでさえ自分を認めてやれないのに、ましてや失敗…?
自分を責める。自分を否定する。
そして、
奇跡的に一切、失敗しなかったとしても頑張り過ぎて燃え尽きることになります。
どこまで行っても何をやっても、自分を認めてやれないうちはゴールなんてありません。
じゃあ、どうすればいいのか?
まず「自分は自己肯定感が低いんだ」ということを自覚すること。
ハッキリ認識すること。意識すること。
自分自身を責めそうになった時、否定しそうになった時には、
感情的にならずに
「あ~またオレ、自己肯定感を忘れてるな~」
と、一歩引いて分析してみる。
なんてったって、自己肯定感は
文字通り「自己」、自分ですからね。
自分次第なんですよ。
他人は関係ないんだから。
自分が自分を認めてやればいいだけの話。
やろうと思えば、自分一人でできることです。
自分で自分にOKを出してあげればいいだけの話です。
圧倒的なまでに、自分を許し、自分を認めて、自分を愛してあげること。
頑張ってる自分のことも、頑張っていない自分のことも、同じくらい肯定してやればいいんです。
失敗した自分も、ふがいない自分も、全部、愛してあげてください。
何かを成し遂げた自分も、何一つ成し遂げられなかった自分も、等しく同様に素晴らしい存在なんだと、認めてあげてください。
条件付きではなく、無条件で、自分自身にOKを出すんです。
ヘタレでふがいない自分の事さえも、胸を張って好きになって下さい。
自己肯定感が低いまま、いくら何かを頑張っても生きづらさは変わりません。
バイトしても、仕事しても、勉強しても。
何をどれだけやったとしても、生きづらさはどこまでも追いかけてきます。
まず先にやるべきことは、考え方、意識の変革です。
「価値ある自分になるために今までの自分ではない別の自分になるために頑張る」
ことではありません。
子供の頃に親に肯定されなかった分を、今からでも取り戻してください。
自分で自分を肯定しまくって下さい。
何度でも何度でも。
自然に自己を肯定できるようになるまで。
それだけで世界が変わります。
新しい人生の第一歩です。
「頑張ってる自分には価値があるけど、そうじゃない自分には価値がない」そういう考え方を学校や親や社会から刷り込まれてきた。
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年9月3日
でも本当はさ、
頑張っていてもいなくても、どちらの自分の事も同じように愛してあげて良かったんだよね。
自分自身が、自分の一番の味方になってあげよう。
1年半の沈黙を破って、 続編とも言うべき記事をリリース。
これで大丈夫…なはず。