すずさんは「ぼーっとした うちのまま死にたかった…」と言った。
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先日、テレビの地上波で映画『この世界の片隅に』を放送していましたよね。
たしかこんなシーンがありました。
主人公のすずさんが「ぼーっとしたウチのまま死にたかった…!」と、畑で号泣するんです。
そして私も今、そんな気持ちです。
「何も考えん私のまま、死にたかった」と号泣する、すずさん
私も時々、そんなことを思います。
何も知らず、何も難しいことを考えず、ただなんとなく、ぼーっと生きて、ぼーっと死ぬ。
そういうふうに生きられたらイイのになぁ~…と。
今の世の中、難しすぎるんよね、私にとっては。
毎日毎日、人が死んだとか殺されたとか。放火したとか刺したとか、騙したり騙されたり。
そうかと思えば、タレントの誰と誰が結婚したとか離婚したとか。
ティラミスだ、パンナコッタだ、タピオカだ、とか…。
そんなもん、ど~でもええじゃないか、と思う時もあるんです。
なんとかして、歯を食いしばって、「世の中」に順応しようと思ったりとか、人々のニーズに答えようと思ったりするわけですけど、そういうのがもう、しんどくてしんどくてたまらない時もあるわけです。
とはいえ、「僕らは同じ地球人、同じ船の旅人」ですから。
私も「宇宙船地球号・日本支部」のメンバーですからね、何とか必死に食らいついて、皆と同じゲームに参加し続けなければ…とかも思うわけですけどね…。
まぁ、それでも、しんどいっすわ、年取ると特にね。
もう、世の中の流れに乗るとか乗らないとか、そういうの辞めたくなるよね。
ニュースとかチェックするの全面的に辞めちゃおうかな?って。
人畜無害というか、喜びや感動はあれども、心にマイナス方向の何かをもたらすことの少ない、スポーツ関係のニュースをチェックするだけで十分、って気もする今日この頃。
スポーツはイイよな~。政治や宗教を持ち込まない!(一応、基本的には、そういうことになっている)
さて、「この世界の片隅に」の話を少し。
映画館で『この世界の片隅に』を観た時、とんでもない衝撃を受けました。俺の中のアカデミー賞受賞。
当時、「『この世界の片隅に』は、とんでもない映画だぞ」っていう、噂が凄かったんですよね。
もう、大絶賛につぐ大絶賛。
大絶賛の嵐。
だからね~、逆にちょっと憂鬱だったんですよね、映画館で観るのが。
みんながハードルを上げ過ぎちゃってんじゃないか?と。
あまりにも過度に期待しすぎちゃうと、「意外とそうでもなかったな」って少しがっかりしちゃうんじゃないかと思ってさ。
んで、自分的には、そういうこと、結構ありがちなんよね。
下馬評が高い映画って、総じて「言うほどでもないな」って思っちゃうっていうか。
自分の中で基準が上がりすぎた結果、採点が渋くなっちゃうワケ。
逆に、深夜に眠れなくて、なんとなくテレビつけたら放送していた無名の映画とかだと、「どうせB級C級だろ」みたいに、まったく何も期待せずに観てるから、かなり楽しめたりして。
そういうことがありがちなんで、ハードルが上がりすぎの感がある『この世界の片隅に』は、自分の中の期待度を超えてこない可能性、あるなぁ…と。
そういう感じで、当時、おっかなびっくり、映画館へ向かったわけです。
んで、実際に『この世界の片隅に』をスクリーンで目の当たりにしまして。
度肝抜かれました。
めちゃめちゃ辛口採点で、1兆点でしたからね。(100点満点)
(みんなに自分の目で観てほしかったので、ネタバレとか一切書かなかった)
本当に、お世辞とかステマとか抜きで、
自分の全生涯を通じて観た映画の中で一番だなって思いましたから。
こりゃ、やられたな…と。
なんかあえて野暮なことを言うと、話の持って行き方っつ~かな、全体の流れとか、テンポとか、ピックアップしてるエピソードの数々とか、ホント、序盤、中盤、終盤と隙が無いんよね。
無意味なシーン、無駄なシーンが無い。
全部意味がある。全く削る場所が無い。
完成度えげつない。
100年経っても大丈夫。
100年後の未来の人が観ても、良い映画だなって言うでしょうね。
んで、それに加えて、そもそもの題材(テーマ?)とか、作画とか、キャスティングとか、コトリンゴとか、いちいち全部、センス良いのよ。
あと、作品の中身の濃度がメッチャ濃かったから、けっこう尺の長い映画だと感じたんだよね、観終わった直後。
「あ~、長い映画だったのに、まったく長いって感じさせない、素晴らしい映画だったな!」
って、意味不明な勘違いしてたからね。
そもそも、ちょうど2時間くらいなんで、長くないんだよね。錯覚です。
だから逆に
「えっ?たった2時間で、これだけ濃密な映画、つくれんの?」
って、鑑賞後に上映時間をチェックしてビックリするっていう。
もしもまだ観ていない人がいたら、是非、観てほしい映画です。『この世界の片隅に』。
なんか、今でも日本のどこかで、リアルタイムで上映中らしいですよ。
(東京、神奈川、埼玉、茨城、広島、かな?)
もしも機会があるなら、せっかくなんで映画館で観た方がいいかも知んない。
ってか、今後は『火垂るの墓』みたいに、毎年、夏になるとテレビで放送する「夏の風物詩」みたいになるような気もしますけどね。
『この世界の片隅に』は、世界60カ国以上で上映されているそうです。
全然、片隅じゃなくなっております。
さて。すずさんも私も「ぼーっとした自分のまま死にたかった」んですけどね。
若い頃は私も、インディ・ジョーンズみたいな波乱万丈な人生こそが素晴らしい人生だと思っていた時期がありました。
「可能性は無限大だ!」とかさ。
「諦めなければ夢はかなう!」とかさ。
耳障りの良い言葉を鵜呑みにして、自分にも何か大それたことができるんじゃないか?って勘違いしている時期もありました。
でもね~、そうじゃなかった。
そうじゃないってことに気づけた。
気づくまでに、ずいぶん、時間がかかったけど。
そういう意味では、無駄に長生きしてよかったと思うね。
長く生きたからこそ、気づけたことがあった。
ということは、全ての時間は無駄ではなかった、という意味でもあるんだけどさ。
だからさ、今、生きるのがしんどい人、死にたくなってる人、人生に絶望している人に言いたい。
オレも若い頃、そうだったけど、でも、なんだかんだ死ななくてよかったと思ってるよ、生きててよかったと思ってるよ。
学校なんて行かんでもいいし。
人生、意外と何とかなるもんよ。
ブログに書けば、自分の苦しかった過去でさえも財産になります。
でも、これからの時代、余計に怖いだろうね、他の人と違う生き方をするってことが。
スマホの普及で、簡単に情報が手に入りすぎるし、簡単に人を貶めたり、仲間外れにしたり、ドロドロした人間関係を構築しやすい世の中です。
あっ、そういえば、昨日テレビで、今話題のホストのローランドが、言ってましたね。
家に帰ってきたら、スマホを専用の箱の中にしまって、視界に入らないようにするって。
目に見える場所にスマホが置いてあると気になっちゃいますからね。
あえて、専用のボックスの中にしまっちゃう。
たしかローランド、
「10センチくらいの小さな画面見て人生が終わるの嫌じゃないですか」
みたいなこと言ってましたね。
いや、ホント、そう思うね。
スマホの小さな画面を観ているうちに終わっちゃう人生って虚しすぎますよ。
ようするにそれって、世の中や他人の動向をめっちゃ気にしながら死んでいくってことだもんね。
それって、自分を見失っているようなもんだしね。
ちなみに、ローランドでさえ、スマホを封印した最初の1~2週間は禁断症状が出たって言ってたかな。
なんか、思いついたことをダラダラと書いているので、収拾がつかなくなっちゃいましたね。
今気づいたら5000文字オーバー。
無駄に長かった。
要点とか、特にないし。
あ~あ、もっともっと、ぼ~っと生きてぇな~。
私は「クマのプーさん」のように生きたいのです。
私は「箱ばあちゃん」のように生きたいのです。
ブログを書く暇があったら寝ていたい、というジレンマ。
あぁ、ぼーっとした自分のまま生きたいよぉ…
ありがとう。この世界の片隅に、うちのブログを見つけてくれて。