ホント言うと「ヒマでヒマでしょうがないからブログでも書くか…」っていう境地を目指しているんですが、なかなか難しいですね。
極力「やらなくちゃならないこと」を減らしているつもりなんですが、まだまだ多い。
人生の後半戦「得るよりも手放すこと」がテーマになっている今日この頃です。
アレコレ掻き集めたところで、あの世まで持って行ける訳じゃない。積み荷を捨てていく作業が大事な気がしてる
まぁ、言うなれば、空に浮かんでいる気球みたいなね。そんなイメージかも知れない。
時間の経過とともに徐々に萎んでいってさ。
少しずつ、高度が下がっていく。
あれこれ欲張って、気球に荷物を詰め込み過ぎて。
気球は徐々に劣化して、浮力を失い降下し続けて。
最後は重みに耐えきれず、地面にぐしゃっと墜落して終わるってのは、ちょっとだけ不本意というかね。
そんな人生のフィニッシュは、あんまり魅力的だと思えない。
最後に上手に着地したければ、積んでいる荷物を少しずつ、減らしていくことが重要な気がするんだよね。
周りの人が「えっ!遺品は段ボール1箱だけ?」って驚くようなね。
ちょうどうまい具合に最後は「ゼロ」になって終わりたい。
まぁ、実際はどう考えてもそんな完璧な終わり方なんて無理な話なんだけど、それでもね、もはや、持ち物を増やしていく段階はすでに終わっているような気がするんですよね。
やらなくちゃならないこと、すなわち「ノルマ」を増やして、自分を縛り付けるのなんて、できることなら、もう辞めたい。
「アレしなきゃ」「コレしなきゃ」って、自分にノルマを課して、そのストレスで疲れ果てている人を見かけると、なんというか、反面教師じゃないけれど「気付き」を得られるというかなんというか。
自分から荷物を背負い込んで、がんじがらめになってる人って、本当はどうしたいんだろう?とか、そこまでして何を得たいんだろう?とか。
そういう人は単なるマゾなのかも知れないし、やり残したと感じている何かがあるのかも知れない。
あるいは「頑張っていない自分」を受け入れることができない人なのかも知れない。
まぁ、その人にはその人の人生があるからねぇ。
「あなたの気持ちわかりますよ」だなんて、軽々しく口に出すべきじゃないだろうし、むしろ、分からなくて当たり前、分かろうとする必要さえないのかも知れない。
とはいえ一応、貼っておくか。
「頑張ってる自分には価値があるけど、そうじゃない自分には価値がない」そういう考え方を学校や親や社会から刷り込まれてきた。
— ネコ師匠 (@nekomasterTW) September 3, 2016
でも本当はさ、
頑張っていてもいなくても、どちらの自分の事も同じように愛してあげて良かったんだよね。
自分自身が、自分の一番の味方になってあげよう。
心や体を病んでまでも、どうしてもやらなくちゃならないことなんて、多分、ないと思うんだよね。
ふと気づいた。
こういうことを書こうと思っていたわけではない。
・・・・・・・・・
何を書こうと思っていたのか、忘れちゃったな…。
ま、とにかく。
無理しなくてもいんじゃね?
野生動物の生き方を人生のお手本にすると、すごくシンプルで分かりやすいような気がする。
個人的には、お手本にしたい歴史上の人物とか、いません。
全部、なんか違う。
「この人のように生きたい」とか、まったく思わないんよね。
お手本になる人間がいない。
例えば、ある日、天使が現れて「あなたのそのクソみたいな人生と、誰かの人生と交換してあげてもいいよ」って言ってきたとしてもだ。
スティーブ・ジョブズと人生を交換できるって言われても、交換したくない。
マイケル・ジャクソンと人生を交換できるって言われても、交換したくない。
ユニクロとか、ぞぞたうん?とも、交換したくない。
サッチャーもブッチャーもイヤだ。
サッチーも野村克也もごめんだね。
ベッキーも、矢口っちゃんも、ファンキー加藤も嫌だ。
誰の人生も、しんどそうだ。
ビヨンセも、渡辺直美も大変そうだ。
結局、誰一人として、お手本になるような人間がいない。
今、気づいた。リアルタイムで気づいた。
少なくとも、私にとって、人生を真似したくなるような「有名な人間」は、いないってことなんだろう。
おそらく「無名」の人間の中にいる。
こういう人とか。
100歩譲って、かろうじてスナフキンの生き方が、ちょっと良さげだけど、それでもまだ違う。しかも実在の人物じゃないしなぁ。
スナフキンは、なかなかイイ。
んでね、じゃあ、誰の生き方がベストか、っていうと
・・・・・・
ネコとかね。
あとは
・・・・・・
ネコとか。
勝手な想像だけれど、「キャバクラ嬢に飼われているペットの猫」とか、相当いい人生を生きてるような気がするんだけど、どうだろうか。
野生動物とかも、けっこういいような気がするんだよね。
特に、天敵のいないちょっと大きめの哺乳類なんて、かなりイイんじゃないだろうか。
(勝手な憶測です)
動物って、基本的に、寝てると思うんですよ。
寝てたら命に別条がある、死に直結する、っていう時は、起きてると思うんだけど。
そうじゃない時は、グーグー寝てる。
餌を探す時、食べる時、獲物を襲う時、天敵から逃げる時など、命にかかわる場面では、寝てないと思うんだけど、寝ていても大丈夫な状況では、基本、寝てるはず。
ようするに、1日の大半は寝てると思うんだよね。
(あるいは、フリータイムの大半というべきか)
ということは、優先順位としては
「寝る」のあとに「遊ぶ」がくるってことだと思うんだよね。
遊ぶことよりも寝ることの方が大事…なはず。
おそらく、人間界でときおり目撃されるような「睡眠時間を削ってまで遊ぶ」っていうのは、生物としては何らかの「バグ」なんじゃないかと思うね。
通常、人間以外の生物の間では発生しないエラーというか。
私は、寝て、さらに寝て、寝まくって、さすがにもう十分だな、ってなってから、ようやく「遊ぶ」方向へシフトしていくという、健全かつオーソドックスなスタイルを採用したいと考えております。
ということで、私も野生動物とか飼い猫を見習って、
まずは、
「ご飯を食べる(生命維持的行為)」
そして
「寝る。寝まくる。」
その後に
「遊ぶ。楽しむ。」
みたいな優先順位で人生に取り組みたいと考えています。
ようするに、何が言いたいのかというとですね、ブログ書いてる暇があったら寝たいな、って話です。
しっかり寝て、これ以上は寝れない、っていう境地に辿り着いてから、満を持してブログを書く、というストロングスタイルを貫いていきたいと考えております。
もっと平べったく言うと、今、この瞬間、睡魔に襲われております。
おやすみ~
そういえば、このドキュメンタリー映画の主人公、建築家の津端修一さんの人生の締めくくり方は見事でした。完璧。パーフェクト。
めちゃめちゃ書きたい。でもネタバレ?になっちゃうから書かない。