映画『ブラック・クランズマン』を観てきました。
アカデミー賞(作品賞)が『グリーンブック』だと発表された瞬間、スパイク・リー監督は激怒して会場を去ろうとしたらしいですが、なんとなくその気持ちが分かりましたね。
まぁ、言ったら『ブラック・クランズマン』は『グリーンブック』よりも面白かったけどね…それでもオスカー作品賞は獲れず
正直、スパイク・リー監督がブチ切れたのも分かるような気がしました。
『グリーンブック』も悪くは無かったですよ。悪い映画じゃなかった。
過去の『グリーンブック』レビュー記事より。
悪い言い方すると、ありがちで、可もなく不可もなく、なんですよね。
ただ、その縛りの中では、かなり完成度が高い。
特にケチをつけたくなるような部分が見当たらない。
略
いずれにせよ、無難と言えば無難なのかな、減点対象になる部分が無いので、必然的に高得点、というか。
そういった意味での80点、といったところでしょうか。
『グリーンブック』も悪くは無かったですよ。
でもそれは、意地悪く言うと「無難にまとめていた」っていう意味でもあって。
しかし。
それに対して『ブラック・クランズマン』は攻めてたよね。
「賛もあるし否もあるだろう」っていう、そういうヒリつくような表現に、あえて斬り込んでいた。
そこは当然、評価したい点です。
そんでもって、
その一方で、スパイク・リー監督からのいわば、なんというかな、「大衆への歩み寄り」みたいなものも、ちょっと感じたんだよね。
「お前らにも分かるように描いてあげたよ」っていう、気配りみたいなものも、若干感じたというか。
ちょっと媚びてくれてるというか。
これはもう、完全に「アカデミー賞を獲りに来てるな」って、私なんか、思っちゃったんだよね。
「これ…作品賞、獲らせてあげてもいんじゃね?」って思っちゃう程度には、監督の熱量を感じたんだよね。
「今回はマジで、勝負かけてるから」っていう意気込みを感じたというか。
いや、これは私の勝手な深読みかも知れませんけどね。
だからさ、私は、なんとなくね、作品賞がグリーンブックに決まった瞬間、スパイク・リーが「アホか!」ってブチギレて帰ろうとした、っていうのも、何か…分かる分かる、って思っちゃったんだよね。
今年のオスカーで作品賞を受賞したのは『グリーンブック』。
略
プレゼンターのジュリア・ロバーツがこの作品の名前を呼ぶとスパイク・リー監督が怒りを露わに。会場から出て行こうとしたという。
無難にまとめた作品と、果敢に挑戦した作品があった時に、どっちが高く評価されるべきか?
う~~ん……。
私だったら『ブラック・クランズマン』に一票入れてるかなぁ。
ちょっと裏話的な事を言うと、スパイク・リー監督はアカデミー会員たちにとっては厄介な存在なんだろうと思う
そもそも、アカデミー賞っていうのは、ハリウッド在住の映画関係者による投票で受賞作品が決まる、って感じなのよ、ザックリ言うと。
じゃあ、投票権のあるアカデミー会員ってどんな人?っていうとさ。
たしかね、大半が、
年配の、白人の、男性、なんですよね。
彼らのさじ加減で、受賞作品が決まるわけよ。
・・・・・・・・・
まぁそういうことですよ。
ゴリゴリの黒人であり、黒人による黒人のための黒人の映画をつくるスパイク・リー監督が、正当な評価を得られる日がくるとは、ちょっと考えにくいんですよ。
過去の軋轢みたいなのもあるし。
いろいろ、トラブってんのよね。
まぁ組織には、根強く人種差別意識が残ってるんでしょう。
そういうことです。
そしてこの映画『ブラック・クランズマン』は、まさにそういう人々のことを描いているんだよね。
『ブラック・クランズマン』本予告・第91回アカデミー賞®︎ 脚色賞受賞!
今後、スパイク・リー監督は、アカデミー会員である年配の、白人の、男性たちに絶賛されるような映画をつくれるでしょうかね?
さて、映画本編の紹介へと参りましょう。まだネタバレはなし。
『ドゥ・ザ・ライト・シング』、『マルコムX』をはじめ映画史におけるブラック・ムービーの礎を築いてきた名匠スパイク・リー監督が手がけるのは、前代未聞の問題作『ブラック・クランズマン』。監督、脚本、製作のスパイク・リーに加え『セッション』のジェイソン・ブラム、そして『ゲット・アウト』のジョーダン・ピール監督と話題のアカデミー賞最強製作陣が名を連ねる。1979年、街で唯一採用された黒人刑事が白人至上主義の過激派団体<KKK>(クー・クラックス・クラン)に入団し、悪事を暴くという大胆不敵なノンフィクション小説を映像化。人種差別問題が過熱するアメリカを背景にKKKへの潜入捜査をコミカルかつ軽快なタッチで描きながらも時に実話である緊張感を交え、観るものに強烈なメッセージを残すリアル・クライム・エンターテインメントが誕生した!!
こんな映画、スパイク・リーにしか撮れないんじゃないか?
いろいろ怖すぎるだろ…。
主役の黒人刑事ロン・ストールワースを演じるジョン・デヴィッド・ワシントンって、名優デンゼル・ワシントンの息子だったんか…!
STORY
二人の刑事が挑むのは、 史上最も不可能な潜入捜査。
1970年代半ば、アメリカ・コロラド州コロラドスプリングスの警察署でロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は初の黒人刑事として採用される。署内の白人刑事から冷遇されるも捜査に燃えるロンは、情報部に配属されると、新聞広告に掲載されていた過激な白人至上主義団体KKK<クー・クラックス・クラン>のメンバー募集に電話をかけた。自ら黒人でありながら電話で徹底的に黒人差別発言を繰り返し、入会の面接まで進んでしまう。騒然とする所内の一同が思うことはひとつ。
KKKに黒人がどうやって会うんだ?
そこで同僚の白人刑事フリップ・ジマーマン(アダム・ドライバー)に白羽の矢が立つ。電話はロン、KKKとの直接対面はフリップが担当し、二人で一人の人物を演じることに。任務は過激派団体KKKの内部調査と行動を見張ること。果たして、型破りな刑事コンビは大胆不敵な潜入捜査を成し遂げることができるのか―!?
これ、何がビックリかっていうと、実際にあった話なんだよね。
(ロン・ストールワースの自伝『Black Klansman』を映画化した)
とんでもなく、荒唐無稽な話ですよ。
ちなみに、白人至上主義者のデービッド・デューク役を演じたトファー・グレイスは、その後、精神を消耗して深刻なウツ状態に陥り、何週間も苦しんだそうだ。
キッツイ話だな…これ。
はい、そろそろネタバレ的な話も書いていきまーす。
ここから先は、映画本編の話もちょこっと書いていきます。
あらかじめご了承ください。
『ブラック・クランズマン』は、黒人と白人だけの話ではなく、ユダヤ人に関する話でもあります。全てのマイノリティにとって他人事ではない
実際にKKK(通称・「団体」)に潜入捜査をする刑事は、ユダヤ人(ユダヤ教徒)なんですよね。
そして「団体」は、ユダヤ人に対しても強い敵意を持っているわけです。
もうね、めちゃくちゃ恐ろしい。
潜入捜査の時に、ユダヤの六芒星のネックレスを身につけたまま、団体の内部に潜入しちゃうとか、普通に考えたら、ありえない話じゃなですか。
もしも身体検査とかされて、ユダヤを象徴するネックレスが見つかったら、即アウトですから。その場で処刑されちゃいますから。
でもね。
それでもなお、
刑事は、六芒星のネックレスを外さないんですよ。
ユダヤの誇りを胸に、団体の内部へと潜入するんです。命がけで。
これが、信仰ってことなんだなぁ、って。
我々のような無宗教の日本人の感覚からすると、ちょっとピンとこないですよね。
ユダヤ人だってバレたら処刑されるような場面でも、かたくなにユダヤのネックレスを外さないって。
この感じ、我々には、なかなか分からないかも知れません。
あとね、本当は、もっと悲惨な結末の描き方もできたと思うんですよね、やろうと思えば。
でも、おそらく、スパイク・リー監督は、あえて、そうしなかった。
もっと残虐で、悲惨で、救いのないバッドエンドとして描くこともできた。
しかし、あえて、意図的に、そうしなかったんだと思うんです。
勝手な憶測ですが。
このへん、なんつーか、監督の気遣いっていうかな~、
「このくらいポップに描いた方が、お前ら大衆は喜ぶんだろ?」
っていう、なんというか、譲歩の姿勢が垣間見えたような気がして。
それに対しては、「もっと尖れよ!」とは全然、思いませんでしたけどね。
もう十分、ギッチギチに尖ってますから、スパイク・リーは。
だってもう、取り上げる題材からして、ヤバみが…。
だから、個人的には、監督の優しさなのかな、とか、年取って多少丸くなったのかな、とか、オスカー狙いに来たな、とか、なんかそういうゲスなこと、いろいろ考えちゃいましたけどね。これはもう、私のゲスな深読みでございます。
あと、最後の最後で、我慢しきれずに、全部、怒りをぶちまけちゃってる感じね。
実際のニュース映像とかも差し込んじゃったりして。
本当はスパイク・リー、めっちゃくちゃムカついてんだろうな、っていう。
あの感じも、嫌いじゃないです。
そのへんに関しては、映画を観てのお楽しみ、ということで。
やっぱね、権利をつかみ取るためには、黙って待っててはダメなんだろうね。自分から動いて、主張していかないと。
例えば今、女性の権利とか、LGBTの権利とか、いろいろ叫ばれておりますけど。
きっとこれ、根っこの部分では繋がってると思うんですよね。
人種差別や、宗教弾圧とか、いろんな形がありますけど、これらは全部、無関係ではないんだろうな、と改めて実感しました。
映画を観て、実際に虐げられている黒人たちを観て、やっぱり戦わないと得られないものってあるんだなって。
なんか最近だと、たとえばさ。「フェミニスト」VS「反フェミニスト」みたいなバトルも、ネット上でちょいちょい見かけたりするけどさ。
でもやっぱこれもね、面倒だなと思っても、しんどいなと思っても、それぞれが自分たちの権利を主張していかなければならないんでしょうね。
どれだけ、反対勢力に押さえつけられようとも、声をあげて、行動していく。
そうやって、権利をつかみ取っていくしかないんでしょうね。
ぼけーっと口開けて待っていても、誰も何もしてくれない。
アメリカで黒人が戦っているように、スパイク・リー監督が戦っているように、諦めずに、主張し続けること、行動し続けること、それが大事なんだろうなと。
全然、全ての人にとって、他人事なんかじゃないぞと。
そんなふうに思いました。
今またアメリカで、白人至上主義者などの団体が、勢力を増してきていますね。
恐ろしい話です。
頭イカレてる。
マイノリティを、片っ端から、抹殺しようと考えている。
信じたくないですが、そういう人々が、今、この瞬間、またどんどん増えてるんですよね。
我々には何ができるだろうか。
まずは映画『ブラック・クランズマン』を観て、考えてみましょうかね。
この映画、オススメです。