モノは7つで十分?映画『365日のシンプルライフ』を観た感想

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「人間にとって本当に必要なモノは?」

それを確かめるための1年に渡る壮大な実験の記録が、ドキュメンタリー映画『365日のシンプルライフ』なんですけどね、これ、前からずっと観たかったんすよね~。

 


映画『365日のシンプルライフ』予告編

 

まずは簡単なあらすじなどを。フィンランドのドキュメンタリー映画『365日のシンプルライフ』

 

映画『365日のシンプルライフ』オフィシャル・サイト

 

フィンランドからやってきた「人生で大切なもの」を見つけ出す3 6 5 日のモノがたり

フィンランド人の若者が、失恋をきっかけに、自分の持ちモノすべてをリセットして行なった365日の“ 実験”生活。監督・脚本・主演を務めたペトリ・ルーッカイネンの実体験から生まれた「とにかくやってみよう!」のアイディアが、映画という形になった。

登場する家族や友人は全てホンモノ、ペトリを中心とするリアルな人間関係と日常生活に起こるドラマが、北欧ジャズシーンをリードするティモ・ラッシーのサックスに乗って、軽快に綴られていく。

2013年のフィンランド公開時には、多数の“実験”フォロワーが生まれ、若者の間で一大ムーブメントとなった。

 

ある意味「ユーチューバーのはしり」的な感じですかね、「◯◯をやってみた」的な。

フィンランドでは、映画と同じように体を張って「実験」する若者が大発生したみたいで。

これはもう社会現象。

 

観るだけでは終わらない“自分ごと”映画

ペトリは、毎日「自分にとって必要なモノ」を考えながら、倉庫から1つずつモノを選んでいく。

自分のモノを一旦預けて、その中から選んでいくという行為は、過去の自分を否定せず、未来の自分につなげていくこと。

その中で生まれてくる「幸せになるために、人生で大切なものは何か?」という問いが、自然と観る者に投げ掛けられ、ふとモノと自分の関係性を考えてみたくなる。

この映画は、観るだけでは終わらず、“自分ごと”としていくことに醍醐味がある。

 

自分のモノを一旦預けて、その中から選んでいくという行為は、過去の自分を否定せず、未来の自分につなげていくこと。

 

これ、日本で流行っている「断捨離」と違うところですね。

断捨離って、まだ使えるモノでも捨てちゃうんでしょ?

「ときめかないから捨てる」とか言って。

捨てる時に猛烈な罪悪感が発生するから、次から買わなくなる、っていうシステムなんでしょうかね?違う?詳しいこと知らんけどさ。

 

捨てちゃダメなんだよな。

過去を否定することに繋がるから。

いや、

捨てちゃダメってことはないんだけどさ。

捨ててもいいんだけどさ。

捨てたかったら捨ててもいいんだろうけどさ。

 

ぽんぽんぽんぽん、モノを捨ててる間は、ぽんぽんぽんぽん、モノを買う可能性、あるわけでさ。

 

それよりは、もっと根本的に、モノとの関係を見直した方がイイと思うんよね。

私の場合は、捨てないんですよ。

かたくなに捨てない。

徹底して捨てない。

結果、物を買わなくなる。

gattolibero.hatenablog.com

私は、独自に編み出したこの方法を3~4年前に採用して以来、生活必需品以外のモノは、ほぼ買っておりません。買うとしても年に一回とか。

めちゃくちゃ効果があります。浪費癖のある人には、ぜひオススメしたい!

 

はい、完全に脱線してしまいましたね。

これがあるから、人生って分からんのよね。

一寸先は闇。

ブログもまた然り。

 

話を『365日のシンプルライフ』に戻しましょう。

若干のネタバレあり!

 

 

「モノは7つあれば十分」!?いや、それはちょっとやせ我慢しすぎじゃね?

映画『365日のシンプルライフ』の主人公、ペトリは言います。

 

実験開始から10日目くらいだったかな。

 

「モノは7つあれば十分」って。

 

・・・・・・

 

いや、それはないわ。

それは嘘だ。

やせ我慢しすぎてるわ。

 

アイテムは、1日に1個しかGETできないわけですよ。

 

初日はコート(アウター)かな。

全裸なんでね。

あと部屋が寒いんで。

 

んで、2日目と3日目が、靴と毛布だったかな?

(違ったらゴメン)

 

その次は、シャツとか、セーターとか。

ズボンとか。

 

このへんでようやく、パッと見、普通の服装になるんで、職場に復帰できる。

(ペトリの仕事は広告などの映像制作)

 

それで、10日目くらいには、「もう十分」とか言っちゃう。

いや、着替えがないじゃん。

いま履いてるパンツをずっと履くんか?

半永久的に履くんか?

 

指で歯を磨いてるし、

指でパンにバターを塗ってる。

 

いや、それはちょっと…

無理してるよねぇ…。

 

7つで十分ってのは、ちょっと本音だとは思えないんだよねぇ~。

 

まだまだ足りてないでしょ。

 

布団は?枕は?

歯ブラシは?

バスタオルは?

洗濯洗剤は?

 

・・・・・・・・・

 

でもまぁとにかくね、ペトリは、もう十分だと言い放って、倉庫に毎日アイテムを取りに行くのを辞めてしまいます。

週に1回とか、気が向いた時に、何個かまとめて一気に取りに行く感じ?にシフトしちゃいます。

 

ようするに、10日目以降、「これが今すぐ必要だ」っていう切羽詰まった感覚はないわけですよ、モノに対して。

急いで取りに行く必要性を感じていないワケ。

「別に今日、取りに行かなくてイイや」っていうモノばかりなんすよね、ペトリにとっては。

 

これ、正直、めっちゃ意外でした。

こういう展開になるんか…と。

 

だってさ、この話の肝っていうか、一番の見どころって「最初の数日」だと思うんですよね。

アイテムゼロからのスタート。

最初に必要なモノは何か?

その次は?

っていう、そこの部分が一番、重要じゃないですか。

 

だってさ、100日目とか、200日目になれば、もう必要なモノはかなり揃っちゃってる状態だからさ、アイテムが一つ加わっただけでは生活も激変しないわけよ。

だから、最初の数日が、一番、興味深い部分だったのにさ。

 

10日目くらいで、「もう十分。もう要らん。」

みたいなこと言われてもなぁ…。

「えっ?もう終わりですか?」みたいな。

 

ちょっとここ、拍子抜けしちゃったっていうか、物足りなさを感じちゃったなぁ…。

最初の数日の葛藤が見たかったのに、意外と全然、苦しんでないっていうか…。

 

とはいえ、話はまだまだ続いていきます。期間は1年、365日ですから。

いろんな出来事がね、ありますよ。

 

 

ビックリなのが、スマホと自動車。いつ、どのタイミングで、取り返したと思う?

一度すべての所有物を倉庫に預けて、生活に必要なモノを毎日1つだけ、取り戻すっていう実験でさ。

スマホの優先順位って、何番目だと思います?

ペトリは、スマホを実験何日目に取り戻したと思います?

 

え~とね、確か…

4カ月目じゃなかったかな…?

 

スマホの優先順位、めっちゃ下じゃね?

4カ月間は、スマホ無しの生活してたってことよ?

 

なんだったら、実験開始10日目とか、早い段階で、スマホを取り戻すこともできたのに。

1ヵ月、2カ月、3ヵ月…ペトリは生活していくうえで、スマホの必要性を感じなかった、ってことなんよね…。

これ、めっちゃ意外…。

現代人は、スマホが無かったら即死するのかと思ってたけど、そうじゃなかった…。

 

あと、自動車を取りもどしたのが、スマホのさらに1ヵ月後とかだったかな…。

(うろおぼえ)

これも意外。

 

自動車も、無けりゃ無いなりに、なんとでもなるってことなんよね…。

(ちなみに自動車は、借りてる倉庫には入らないので、実家の庭に置かせてもらっていたっぽい)

 

結局ペトリは、友人から「連絡手段が必要だからスマホ持てよ」って説得されてスマホを取りもどすんですけど、それまでずっと、スマホは無くても問題ないって思ってた、ってことなんすよね。

これ、度肝抜かれました。

昭和の男かよ。

 

 

あと、もう一個。印象に残ったエピソードが、おばあちゃんの持ち物の話。

ネタバレしすぎも良くないんで、ザックリ説明するとですね、ペトリのおばあちゃんが、老人ホームに入居することになったんです。

それで、

「おばあちゃん宅にあるモノ全部、処分するから、欲しいものがあったら勝手に持って行ってイイよ」

ってことになって。

 

ペトリは弟と一緒に、無人になったおばあちゃんの家に行くんです。

んで、

何か目ぼしいものがないかなぁ~って、家じゅうを物色するんですけどね…。

 

結局

「欲しいモノ、何もないな」って。

 

これも、なんか衝撃じゃないですか。

 

おばあちゃんの所有物、一個も魅力的じゃないっていうか。

いや、ペトリにとっては、って話ですよ?

おばあちゃんにとっては、大事なモノかも知れない。

 

ソファーも、テーブルも、食器も、テレビも、花瓶も、小人の置物も、全部、おばあちゃんにとっては、大事な思い出が詰まったアイテムかもしれない。

 

でも、

 

でも、

 

この感じだと、おばあちゃんが死んだあと、全ての所有物は残された遺族にとっては完全に「ゴミ」と化す可能性がある、って話じゃないですか。

 

ゴミでしかない。

少なくとも遺族にとっては不要なモノ、処分の対象でしかない。

 

・・・・・・・・・

 

ひるがえって、自分自身のことを考えてみる。

 

私にとって大切なモノだって、私が死んだら、全部ゴミですよ、おそらく。

 

もしも私が相方よりも先に死んだとしたら、一緒に生活している相方は、私の所有物をほぼほぼ全て、ゴミと見なすわけですよ、おそらく。

 

・・・・・・・・・

 

そう考えるとさぁ、やっぱ、

「人生の後半は、モノを増やしてる場合じゃねぇな」

って気持ちがもうね、ものすごく湧き上がってくるというか。

 

人生の前半で溜め込んだ不要なモノを、人生の後半では、少しずつ減らしていくのが筋なんじゃないのか?って。

 

すくなくとも、私には、あらためてそう思えたんすよね~。

 

過去に何度か「遺品はダンボール1箱分が理想」みたいなこと書いてますけど。

あらためて、その思いが強くなりましたね、映画『365日のシンプルライフ』を観て。

 

最近はホントね、「どう生きるか」よりも「どう死ぬか」ってことをよく考えるんすよね。

最後の着地をピタッと決めたいというか。

「立つ鳥跡を濁さず」というか。

 

最後にバタバタしたくないんすよね~。

ってか、自分が死んだ後に、残った人がバタバタしなくてもいいようにしたい。

残った人に迷惑をかけるのは最小限にとどめたい。

 

今のうちに「遺書」書いておこうかな…とかさ。

財産、何もないんですけど。

 

 

最後に。ワンポイント豆知識。貧乏人はミニマリストと言い張れ!

最近、ミニマリストとかミニマリズムとか、なんか流行ってるみたいですけど、私の場合はただ単に貧乏なだけです。

貧乏なだけなんだけど、「どうも、ミニマリストです(`・ω・´)」とか言えば、なんとなくカッコイイ感じになりますからね。

良い時代になったもんです。

 

 

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