以前テレビのバラエティ番組で観た「どこかの田舎に住んでる素人のおばあちゃん」のことが、すごく強烈に印象に残っている。
所さんの「ダーツの旅」みたいな番組だったような気がするんだけど、ハッキリとは覚えていない。
あれは、「ダーツの旅」ではなかったと思う。明石家さんまさんが出てたような気がするんだよなぁ…。
明石家さんまさんが、出てたような気がするんだけど、定かではない。
さんまさんが、どこかの田舎をブラブラして、出会った村人と世間話をする、っていう感じだったような…。
う~~ん…。
「ダーツの旅」だったような気もしてきた。
(特別に、芸能人が現地に出向く、っていう回もあるもんね…)
まぁいいや。
細かいことは。
とにかくね、私はその番組に出てきた、一般人の老婆、すなわち「名もなきおばあちゃん」のことを、今でも時々思い出すのです。
90歳くらいだったかなぁ。家の周り(隣接する畑?)をうろうろしていたおばあちゃん。すごく幸せそうだったんだ。
老人に出会うと、だいたいお決まりのやりとりがあるでしょ?
「おいくつですか?…えっ!95歳!?見えませんね~!」
っていうくだり。
まぁその時も、ひととおり、その儀式があって。
いわゆる様式美ってやつですね。
それで、そのままの流れで、当然のように出てくるのが、
「おばあちゃんの元気と若さの秘訣は何ですか?」
っていう質問。
そのおばあちゃん、すごく人生をエンジョイしてる感じだったんだよね。
「えっ?この人、何なの!?」
ってびっくりするくらい、キラッキラしてたワケ。
だから、これほどまでに、私の記憶に残ってるんだと思うんだけど。
もちろんって言っちゃ失礼だけど、そのおばあちゃん、外見が美人なワケでもないし、高級ブランドの洋服を着ていたわけでもない。
いわゆるババアですよ。しわくちゃの。
格好もホームセンターで売ってる畑仕事用の作業着でさ。
これ多分、ナウなヤングの価値観からすれば、ちっとも勝ち組なんかじゃない、人生の成功者でもない、ただの有象無象でしかないのかも知れない。
若い人たちが「こういう人になりたいな」って憧れるような、良いお手本のような存在ではないかも知れない。
人口の少ない超ド田舎で、人知れず生きて、人知れず死ぬ、そういうドラマティックでもなんでもない「その他大勢」の中の1人でしかなかったのかも知れない。
就職活動を失敗しただけで「死ぬ死ぬ」言ってるような人たちから見れば、そのおばあちゃんの人生なんて、まるで魅力のないものかも知れない。
それこそ
「こうなっちゃおしまいだ。就活失敗したらこんな人生になっちゃうんだ」
っていう、ダメな人生の見本くらいにしか思えないかも知れない。
おばあちゃんは、地位も名誉も金も、きっとそんなに持ってないよ。
他人に自慢できるような肩書も経歴もないだろう。
でもね、
とにかくもう、めちゃめちゃ幸せそうだったんだ。
私は、すごく気になった。
そのおばあちゃんの幸せの秘訣がとても知りたくなった。
おばあちゃんの元気の秘訣、生きがいを知って、私は愕然とした。
「元気の秘訣は何ですか?」
その質問に、おばあちゃんはこう答えた。
「新聞に挟まっている折り込み広告のチラシで、箱をつくって、近所の人にあげることです」
って。
……(;゚Д゚)!
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
ものすごく考えさせられた。
おばあちゃんの生きがいは、本当にもう、どうでもいいくらい、ささやかなものだった。
毎日せっせと、チラシを折って、粗末な箱をつくり、それを村のみんなに配ること…。
そんなことに、生きがいや、幸せや、充実感や、達成感や、いろんなものを感じていたんだねぇ…。
人間って、あんなちっぽけな生きがいだけで、あれほどまでに、キラッキラ輝けるもんなのか?
地位も名誉も金もなくて、それでもあんなに幸せそうに生きることってできるのかよ?
ショックだよね。
気づかされた。
いかに自分が傲慢で強欲だったか。
身の程知らずで、自分の力を過信していたか。
高望みばかりして、地に足がついていなかったか。
いかに自分が、外部からもたらされる価値観に翻弄されていたか。
テレビやネットや雑誌の提示してくる「価値」を愚かに鵜呑みにしていたか。
(バラエティ番組を観ててそれに気づくってのもかなりの皮肉ではある)
幸せなんて本当は、いつだって目の前にあったんだ。
自分がバカだから気付けていないだけだった。
THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)の甲本ヒロトが言ってたよな。
幸せを手に入れるんじゃない。
幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ。
って。
その意味が、頭ではなく、理屈ではなく、ようやくハートで理解できた。
ようやく魂で理解できたんだ。
私にとって「チラシで箱をつくってる名もなき幸せなおばあちゃん」は、ある意味、人生の先生だ。
そして、その村の人たちが
「おばあちゃん、すでに大量にもらったから、もうチラシの箱は要らないよ。持って帰って」
なんて言わずに、箱を毎日、受け取り続けているというやさしさ。
「おばあちゃん、ありがとう」
って言って、今日も村人たちは箱を受け取ってるんだ…。
何この、やさしさ…
(´;ω;`)ウッ…
たぶん家の中、箱だらけだろうな…。
何度でも何度でも思い出し、自分に言い聞かせる。自分だけの価値体系を強固なものにするんだ。
まぁそんな感じで、私には「チラシで箱ばあちゃん」以外にも、たくさんの人生の師がおります。
たくさんの師からいろいろ少しずつ気づかされて、それをぐちゃぐちゃに咀嚼して、ブレンドして「THE・オレ仕様」のオリジナルに精製していく。
ただの受け売りじゃ、今までと同じだからね。
甲本ヒロト風に言えば
「師を求めるんじゃない。目の前にいる師に気づくんじゃ。」
ってことなんだよね。
幸せそうな、箱ばあちゃんのことを時々思い出すようになると、
テレビやインターネットが、必死に購買意欲を煽ってくるのを目の当たりにしても、心がグラつくことはほとんど無くなる。
「今が買い時!」
「これがトレンド!」
そんな口車には、もう乗らないよ。
欲しくもないものを買わされ続けてきたけど、そんなのもう辞めだ。
芸能人が、財産をひけらかす。
「このシャンデリア、一千万円ざ~ます」
「フェラーリを2台持っています。ウェ―――イ!」
まったくうらやましくない。
むしろ、なんという下品な…くらいにしか思えなくなる。
いままで、あれもこれも欲しいって思ってたのに。
憑き物が落ちて、正気に返るような感じ。
「あれっ?なんでオレ、今まで欲しがってたんだ?」
洗脳が解けたときはこんな感じなのかな…。
ちなみに、今まで自分の中にあった(本当は受け売りでしかなかった)価値体系を根本から破壊して、全く新しいもの「自分オリジナルな価値観」を土台から創り上げるのは、けっこうな大仕事です。
きつくて、面倒で、時間がかかる。
自分が今まで信じていたものを捨てるって事だからさ。
ピラミッドの一番下の基礎の部分から変革していかないとダメなんだけど、それやると、ほとんど別人みたいになるしね。
今までの自分を全否定することに近い。
そして人生が激変する。
かといって、楽をしようと思ってピラミッドの上の方だけちょこちょこと体裁整えても、つじつまが合わなくなるだけだしなぁ。
まぁ、地獄っちゃ地獄かな(笑)
このブログはきっと、私にとっての「チラシの箱」。
せっせと創り上げて、読者の皆さんにお届けしています。
やさしい村人たちのように、すみやかに受け取ってもらえると幸いです。
「もうじゅうぶんだ」なんて言わずにさ(笑)