最近物忘れが激しくて、ブログに書こうと思ってたネタとかもすぐ忘れちゃうので、今、覚えてるうちに書いちゃうよ。
私が生きる理由。
これはもう、すべての人類(特に翼の折れたエンジェルたち)にとって、参考になるはずです。メモのご用意を。
これ、みんないろいろ考えたりするでしょ?「俺って、私って、何で生きてんのかな?」って。生きる意味、生きる意義とは!?
人生の途中でさ、壁にぶち当たって挫折したりとかさ、あるじゃないですか、いろいろ考えこんじゃったりして。
んでね、私もいろいろ考えたのよ、ひきこもりだから時間いっぱいあるしね。
(ひきこもり歴数十年)
結局、自分なりにしっくりいく答えが出ましたよ。
ようやく、納得できるっつーか。
あくまでも、「私なりの答え」でしかないんだけどさ、まぁ、もしかすると、私と似たような社会不適合者の方々にとっては、何かのヒントになるかもしれないんで、心当たるのある方は、どうぞよろしくお願いします。
はい、率直にお答えします!
私が生きる理由は!
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
特にありません!!
なんかね、大それた大義名分とか、要らんかったね。
もっとシンプルに、動物みたいに生きりゃよかったんよね。
ネコみたいに生きりゃ、それでいい。
私は何故、生きるのか!?
それは!
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
単なる惰性です!!
もうね、惰性よ、惰性。
慣性の法則に従って、生きてるだけです。
一昨日も生きた。
↓
昨日生きた。
↓
今日も生きた。
↓
じゃあ、その流れで明日も生きるか。
っていう、それだけのことなんすよね。
それ以上でも以下でもない。
流れですよ、流れ。
自然の流れに身を任せて、ただ、ゆ~らゆ~らと現世を浮遊しているだけの妖精みたいなもんです。
自ら死を選ぶってのは、まぁ言ってみれば、不自然な行為じゃないですか。
ずーっと「生きる」っていう前提でここまで来てるのに、ある日突然、急ハンドルを切るみたいに「はい!今ここで終わらせる!」って強引に方向転換するのは、ちょっと労力的にも、負担が大きいじゃないですか。
ず~~っと自然体をモットーにして生きてたのに、急に不自然に終わらせようとする、ってのは、なんか変な感じするじゃないですか。
だから、生きてる。
・・・・・・
それだけ。
なんかもう、どういういきさつだったか忘れたけど、私ねぇ、20代の中ごろからだったかな、「無為自然」っていうスタンスを意識して生きてきたんすよね。
無為自然(むいしぜん)ってのは、ようするに・・・
作為がなく、宇宙のあり方に従って自然のままであること。
[解説] 「無為」「自然」は「老子」に見られる語で、老子はことさらに知や欲をはたらかせずに、自然に生きることをよしとしました。
私はもうね、老子の影響、けっこう受けてますからね。
道教の考え方、めちゃめちゃしっくり行くんすよね、個人的には。
めちゃくちゃ生きるヒントもらいました。
老子や道教(タオイズム)、「無為自然」などに関連する過去記事の数々。
あ~~っ!なつかしい。そういうえば、やってたね、自由律俳句。
クマのプーさんは、生きるヒントの宝庫。
自然体を貫こうとするならば、ただ生きることに繋がっていく。
まぁ実際には、「自然体」を意識してる時点で「不自然」になっちゃうんで、めちゃくちゃ難しいんですけどね。
クマのプーさんみたいにナチュラルに生きるのって、むずいんすよ、実は。
たぶん、プーさんは、「生きる意義」とか「生きる意味」とか、あんまり考えてないと思うんすよね。
シンプルに、ただ生きてるだけっつーか。
そういう生き方、アリなんすよ、たぶん。
ただ、生きる。
— 自由ネコ (@gattoliberoTW) 2021年11月11日
「ステキに」生きるとか
「より良く」生きるとか
「ただしく」生きるとか
余計なトッピングを乗せない。
ただ、生きる。
かき揚げも天ぷらも乗せない。素うどんみたいに、ただ、生きる。