【いまさら東京オリンピック】スケボー少女たちにスポーツの本当のすばらしさを教えられた話

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いまさらですけど。東京オリンピックの話題です。

準備段階から色々ありましたよねぇ、ホント。

まぁ結果としては、開催してよかったと思いますよ、私は。今回は、そう思うワケを書きます。

 

言いたいこと、書きたいことはいろいろあったはずだが、私の脳細胞の急速な死滅により、ほぼ忘れてしまった。かろうじて覚えているのは女子のスケボー。

最近もう、記憶力がドエライことになっております。

時と場合によっては数分しか記憶力が持たない。メメント状態。

まぁ逆にね、結果オーライというか、

良いことも悪いことも忘れちゃうってのは、デメリットばかりでもないというか。

 

さて。忘れないうちに、スケボーの話。

 

スケボーでメダル獲った女子たちが、いろんなテレビに出て、インタビュー受けてましたね。若者文化というか、スケボー文化というか、そういった話は、なかなか興味深かったです。

 

度肝抜かれた。スケボーには先生もコーチもいないってよ!?まじかよ!?

メダル獲った子がさ、インタビューに答えてるの観て、度肝抜かれたよ。

「誰にスケボー教わってるんですか?」

って聞かれて、

「特に先生もコーチもいない」

って答えてたんだよね。(うろおぼえ)

 

え!?って思うじゃん。

どういうこと?独学ってこと?って。

 

そしたらさ、基本的には、パークって言うんですかね、スケボーができる施設?公園?に、入り浸って、毎日練習っていうか、遊んでるだけ、らしいんよな、基本的には。

・・・・・・・・・

まじかよ。

そんなんでメダル獲れんのかよ…。

スケボーってすげぇスポーツだな…。

 

でさ、自分よりも上手い子がいて、カッコイイ技を繰り出してるのを見かけたら、その上手な子のところへ行って、「かっこいいね!その技、どうやってやんの?教えて~」って頼むんだって。

これ、すごくね?

それで、上手い子は「いいよ~」って言って、技のコツとかを教えてくれるんだって。

ようするに、

遊びの延長なのよ。

どこまでも、楽しむことが一番のメインであって、勝ち負けとかはさほど重要じゃないっていうか。

だから、パークにやってくるスケボー大好きっ子たちは、みんな「ライバル」ではなくて「仲間」なんよな。

 

これ、すごくね?

遊びの延長線上に、大会がある。オリンピックがある。

たまたまオリンピックがあっただけよ。

 

オリンピックがあろうとなかろうと、スケボーキッズたちは、毎日、パークに集まるんよ。スケボーが楽しくて楽しくてたまらないから。

 

だから、「選手」である前に、「ライバル」である前に、単なる「スケボー大好きっ子」なんだよな。

 

これ、目からウロコが2020枚くらいボロッと落ちた気がしたよ。

 

これこそが、本来の、スポーツのあり方なんじゃね?って。

オリンピックのあり方なんじゃね?って。

 

なんかね、とにかくスケボーが大好きで大好きで、学校から帰ってきたら、毎日スケボーやりまくってるんだってさ。

誰かにやれって言われてやってるんじゃないし、お国のためでもメダルのためでもない。

自分が楽しいからスケボーやってる、って話だったんよね。

これが本来の姿じゃん。

本来、スポーツのすばらしさって、こういうことじゃね?

 

 

そしてもうひとつ。目からウロコ案件。本当に価値あるものって何なのか。メダルなのか?結果なのか?

うろ覚えで恐縮ですけど、確かね、ランキング1位の子は、結局、オリンピック本番では実力を発揮できずに、メダル獲れなかったんだよね。

んで、そこですごいドラマがあったんだけどさ。

 

ランキング1位の子が、逆転金メダルを狙って、最後の滑りで、なんか難しい大技に挑戦したらしいんだよな。

んで、残念ながら、コケちゃってさ、ダメだったのよ、メダルに届かなかったんよ。

その時にさ、

泣いてるその子の周りに、他の選手たちが集まってきて、ハグしてるわけよ。「よくやったよ」みたいな感じで。健闘をたたえてるワケ。

 

んで、その数日後、日本人の銀メダル獲った13歳の子かな、インタビューに答えてたんだけどさ。

「どうして真っ先にハグしに行ったんですか?」

って質問されてさ、

「最後まであきらめずに難しい技に挑戦した姿がめちゃくちゃカッコよかったからハグしに行った」

みたいなこと言ったんだよね。

 

これもう、最高じゃないですか。

 

失敗したか、成功したか、じゃない。

挑戦したか、しなかったか、そこに意味を見出してるわけよ。

13歳で。

 

大事なのは、挑戦したかどうかなのよ。

 

これ、刺さった~~

グサッと刺さりました。

 

ようするに、

挑戦した時点で、すべからく、人は皆、人生の勝者ってことなんよな、

自分自身に打ち勝った、ってことなんよな。

 

あっ。

ちょっと検索してみたら、こんな言葉があった。

 

自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。

古代ギリシャの哲学者、プラトンの言葉らしいです。

 

・・・・・・・・・

 

まじかよ。

 

13歳のスケボーの子、プラトンと同じこと考えてる…。

 

これ、なんか恥ずかしいわ。

いい年こいたオッサンが、こんな大切なこと、分かってなかった。

ハズイ。

13歳の子に教えられた。

無駄に年取ってるだけの自分がハズイ。

 

 

んでもって、最後にダメ押し。男子のスケボーに目を向けてみる。スノーボーダーの平野選手、スケボーではどうだったか。メダル獲れたのか?

結果、平野選手は14位だったみたいです。予選敗退。

 

しょぼい人なら「な~んだ~。全然メダル届いてねぇじゃん。平野ダメだなぁ~」

って言ってると思うんですよね。

 

でも、ちょっと待ってよ。

我々は、先ほど、13歳の女の子に教わりましたよね?

本当に大切なことは何か、学びましたよね?

 

スノーボーダーである平野選手が、別の競技であるスケートボードでオリンピックに出場した・・・。

これは、前人未踏の挑戦だったんです。とてつもないことなんです。

 

ということは、分かりますよね。

 

平野選手は、勝ったんです。

カッコイイんです。

賞賛に値するチャレンジを成し遂げたんです。

 

なんかね~、スノーボードとかスケートボードの世界と、他のスポーツをとりまく価値観とか美学とかって、ちょっと違うのかもしれませんね。

遊びの延長、楽しむこと。挑戦すること。

・・・・・・・・・

それこそが本来、スポーツが持っている醍醐味であり素晴らしさなのかもしれません。

 

 

ということで、最後に。オリンピック開催、良かったのか悪かったのか。

結局私、オリンピック、やって良かったと思いました。

 

開催しない、っていう選択肢もあったとは思いますけど、

もし仮に「挑戦」すること自体に大切な意味があるとするならば、「東京五輪開催」というとてつもなく大きな大きなチャレンジにも、とてつもなく意味があったと思いたいです。

 

そもそもオリンピックやってなかったら、私はスケボー女子たちの大活躍も知らないままでしょうし、プラトンの言葉も検索せず死んでいたことでしょう。

 

私にとってのオリンピックは、「初老・真夏の大冒険」ですよ。

私の中ではビッタビタの流行語大賞受賞です。