秋ですねぇ~。
・・・・・・
あっ…
赤とんぼ…!
なんかもう、ゴーグル健作(隠語)に媚びるの辞めようかなって思うと、タイトルとか記事の書き出しがフリーダム極まりない状況に陥りますね
おそらく、これが最後になるんじゃないかなと思います。
なんつーか、いわゆる、生きづらさを抱えた翼の折れたエンジェル向けのエントリー。
今後は「NAVERまとめ」みたいな感じでやっていきたいと思います。ウソです。
いろいろとね、紆余曲折あって、このブログは生まれ変わりましたからね。
今後は「おじいちゃんの知恵袋」的な方向でね、まぁそれもウソなんですけれども。
とにかく、最後になんか、置き土産っつ~か、爪痕のこしたろうって思いまして、今までの総決算的なことを書いて、一命をとりとめたいと思います。(ギリ死なない)
ここまでのいきさつがよく分からん、知らん、という方は、過去記事を読んでいただけると幸いです。
やっぱね~…、中村哲医師の殺害と、都知事選の百合子圧勝は、なんか決定的だったような気もしますねぇ…。自分の中で何かがプツンと切れた気がしたというか…
それで、いろいろ考えてたんですけどね。
今後の身の振り方というか、社会との向き合い方というか、価値観の変容を余儀なくされた感じで。
今まで通りには生きられないなと。何かを変えなくちゃならんなと。
そしてある程度、方向性が定まってきたかなぁと。
油断するとダラダラと長くなりそうなんでサクサク行きましょう。自由ネコ・プレゼンツ「魂の処方箋」!まずは若年層へ向けて
すでにダラダラ長くなってますけどね。
ここからはサクッと逝きますよ!
いや、逝っちゃダメだ!
なんなんだ!
この誤変換は!!!
あ~、生きるのしんどいわ~って思ってる皆様へ。
飾りもつけずに贈る言葉。
もしもあなたがまだ義務教育中だったら…
このへんの過去記事をオススメします。
「先生」なんて、当たり外れがありますからね、リスペクトに値しない、ホントにもうしょ~もないカスみたいな奴もいるんすよ。
同級生とかクラスメイトとかもさ、たまたま家が近所だったとか、校区が一緒だっただけですから。ピンキリですよ。
たまたま運悪く、イヤなクラスに配属されることもあるんすよ。
運だから。
メンタル病んでまで、適合しようとする必要はなし!
命を削ってまで学校行くなっつ~話ですよ。
学校の勉強なんてできなくても、全然生きていけるし。
全然余裕。
ただね、授業はともかく、
社会に出る前に「人間とのかかわり方」を練習する場としては、学校にも意味があると思うんだよな。
私は若い頃に「人と関わる練習」を一切しなかったので、社会に出てからめちゃくちゃ苦労しましたからね。
人とうまくコミュニケーションをとれるかとれないかで、人生の難易度って全然、違ってきますから。
逆に言うと、圧倒的にコミュ能力が高ければ、学校の勉強なんて、一切しなくても生きていけます。
たとえばね、こんな話を聞いたことがあります。
ツイッターだったかな。テレビだったかな。ちょっと忘れたけど。
「授業中の落ちこぼれ」は問題はないが「休み時間の落ちこぼれ」は、かなり問題だ
みたいな話。
これ、言われてみればそうなんですよね。
授業なんてどうでもいいんです。
でも、休み時間、クラスメイトとの関係を円滑に構築できない人間は、社会に出てから苦労する可能性高いぞ、って話ですよね。
分かる分かる。
だから、学校なんて行かなくてもいいけど、その分、別の場所で「コミュニケーションの練習」はしておいた方がいいんだよな~。
たとえばさ。
「人狼ゲーム」のサークルに入るってのはどうかな?
人間の心理を読む力を養えるかもしれない。
友達もできやすいと思うし。
地域のボランティア活動に参加するのもいいね。
そもそもボランティア活動にいそしんでいる人たちって、やさしい人が多いしね。
みんなが善人だとは言い切れないけど。
まぁとにかくだ、なんらかのコミュニティに参加して、経験を積んでいった方が、のちのち困らなくて済むと思います。
それができるなら、別に学校なんて行かんでも大丈夫よ。
もしも私がもう一回、人生をやり直すとしたら…。
学生(生徒)からやり直さなければならないんだとしたら…。
なんだろうな~、普通の学校には行かないかもな~。
通信制とか。
夜間とか。
フリースクールとか。
何か自分と共通点を見い出せる可能性が高い場所に所属したいね。
「普通の学校に行けない(行かない)」という共通点がすでにあるんで、なんだかんだで共感できるような気がしないでもない。
いや、分からんけど。
あと、ジジイになった今なら「ともだち」とか「なかま」の大切さも理解できるんで、クラスメイトをもっと大事にできるような気がしないでもない。
もしもウマが合う子がいたら、その子は替えが効かない唯一無二の貴重な存在なんだって理解できるので、ちゃんと年賀状とか出すんじゃないかな。
いや、分からんけど。
生きるのしんどい青年へ。人生とは一度絶望し、そこから這い上がってきてからが本番です
挫折を経験しない、連戦連勝のまま死を迎える人生なんて、そもそもあり得ないのです。
みんなどこかで、つまづいて、転んでる。
立ち上がってからが本番なんです。
何回も転んで、何回も立ち上がる。
「おきあがりこぼし」ですよ。
これねぇ、転んだことがない人ほど、受け身のとり方が分からなくて、大ダメージを負う、っていうケースもありますからね。
そういう意味では、「一度も挫折したことがない人」よりも、「何度か失敗を経験してる人」のほうが、大惨事を回避できる可能性が高いのかもしれません。
ってかね、いきなり話が変わりますけど。
おそらく、ザックリ分けると、
たいていの人間は
「人間関係」で悩んでるか、
「健康状態」で悩んでるか、
「お金の問題」で悩んでるか、だと思うんですよね。
んで、健康状態に関しては、
「すみやかに病院に行くなり専門家に診てもらいましょう」
としか言いようがないというか。
心の健康にしろ、体の健康にしろ、ちゃんと知識のある「医者」とか「専門家」に診てもらうのが一番、間違いが少ないと思います。
あと「人間関係」についての悩みに関しては、私からはあんまりアドバイスできることってないんですよねぇ…。
私の場合、「すべての人間関係を断つ」というアクロバティック極まりない手法を用いて、この難問を乗り越えてきてますので。
苦手を克服する努力ではなく、長所を伸ばす、得意分野で努力する、そういう方向でやらせてもらっておりますので。
私なりの結論としては「できないものはできないっ!」って感じですので。
投げっぱなしジャーマン。
そんな感じなんでね、「すべての人間関係を断て!」ってアドバイスしても、普通の人間なら実践できませんからね。
あんまりアドバイスとして意味がないかもしれません。
もちろん「自由ネコ方式を導入して人生が好転した」という人もいるかもしれませんが、一般的な話をすると、「非推奨」というか「良い子はマネしないでね!」なんですよね。
ということで、最後に残ったのが「お金の問題」についてです。
実はこれが一番、難易度が低いのかもしれません。
お金を稼げばいいだけの話ですから。
健康や、人間関係の問題を解消する方が、難しいような気がします。
ここで、先日のエントリーに繋がってくるわけですよ。
「投資の勉強始めたよ」みたいな。
結局ね、万人との共通の話題、共通の言語として「お金の話」って、非常に有効な気がしてきたんですよね。
ようするに、大勢の人々が関心を寄せているコンテンツ、ですから。
この、共通言語があるかないかって、とても重要な気がしてきたんです。
たとえば、競技人口の多いサッカーの話の方が、セパタクローの話よりも、大勢の人々に関心を持ってもらえる可能性が高いわけじゃないですか。
ただね、現時点では「お金がなくて困ってる」という人の悩みに対する答えを、私は持っていないんだよなぁ~…。
私もお金持ってないからね!
ということで、ここでひとつ、動画を貼っておきましょう。
お金って何なんだ?っていう。目からウロコ。
最近、このへんの動画をアレコレ観てるうちに、私自身、ちょっといろいろと考え方が変わりました。
なんで学校では、お金の稼ぎ方を教えてくれないんでしょうかね?
この話ね、さわりだけザックリ言うと、
主人公のお父さんは、「貧乏父さん」なんです。
んで、
友達のお父さんは、「金持ち父さん」なんですって。
実の父親(貧乏父さん)は、学校の先生だったかな、それで、ともだちの父親は実業家?だったかな。
貧乏父さんと金持ち父さんは、言ってることが真逆なんだってさ。
でね、貧乏父さんの方が学歴が高いんですよ。しかも教職についてる。それなのに貧乏なのよ。
なんか不思議じゃね?
学歴が高くて先生してる方が貧乏って。
このへんの話ですよ。
面白いですね~。
お金の勉強。
はい、完全に話が脱線してしまいました。
とにかくもう、社会の仕組みに文句言ってイライラして過ごすのは卒業したい。我々は人生をエンジョイするために生まれてきたのだから!
テレビのニュースとかワイドショーとか観るとさ、ホント、メンタルがゴリゴリ削られていくじゃないですか。
生命エネルギーみたいなものがどんどん奪われていく感じ、するじゃないですか。
そういうの、もう辞めたいよね。
自分で自分の命削ってどうすんの、って話ですよ。
泣いても笑っても、この世は「上級国民が上級国民のために作った社会」なんですよ。
彼らが、何百年、何千年と時間をかけて作り上げた、上級国民ワールドなんです。
この事実はもう、泣こうが喚こうが変わらない。
現実を受け止めるしかない。
たったひとりで、自分が生きてる間に、この社会の仕組みを変えることは、おそらくできない。
スーパーなカリスマ的反逆者が登場し、死闘や激闘の末に社会の流れを変えてくれないと、仕組みをぶち壊すのは無理なのよ。
きっと時間もかかるはず。何十年も何百年も。
さて、そういう現実に気づいたうえで、じゃあ自分はどう生きようか?ってことなんですよね。
世界を変えるために、命をささげることができますか?って。
中村哲医師のように、アフガニスタンで砂漠に水路を作って緑化できますか?
殺害された中村医師の意志を受け継いで、アフガニスタンへ向かえますか?
それだけの気概をアナタは持ってますか?
中村医師のように、世の中を良くするために戦えますか?
人生を、命をかけるだけの覚悟ができてますか?
・・・・・・
って自問自答すると、自分の無力さにがっつり落ち込みますよね。
さぁ、そこからが本番です。
君たちはどう生きるか?
結局ねぇ、無力な凡人が命も差し出さずにできることってタカが知れてるんすよね。
なんもできない。社会を変革するとか、ほぼほぼ無理なのよ。
それを踏まえたうえで、「私には何ができるか?」なのです。
んで、思ったわけよ。
世界を救う前に、自分を救わないと話にならんぞ、と。
まずは、てめぇを救わないと話にならんわけよ。
自分が自分の人生をしっかり生きないと。
思う存分、謳歌しないと。
がっつりしっかりエンジョイしないと。
なんかさ~、本当に大切なことって学校では教えてくれないんよね~。
何故なら、この世は上級国民が上級国民のために創り上げた世界だし、上級国民にとっては、自分の頭で考えられない無能な奴隷がたくさん必要だからね。そういう奴隷を量産するための機関が学校なんだよね~。
そう考えると、全部、つじつまが合うんだよね~。
ということで、本当は、ひとりひとりが、もっと真剣に、もっと人生をエンジョイしなければならないんだけど、そんなことは誰も教えてくれないんすよね~。
イライラしたり、グチグチ言ったり、そんなことしてる場合じゃねぇんです。
「どうすれば、人生をエンジョイできるか?」
もっともっと真剣に、必死に考え、そして実践するべきなんです。
なんとなく漠然と生きてたら、人生がどんどん良くなっていきました、みたいな、そんな都合の良い話は、ほぼほぼ無いと言っていい。
楽しくて愉快な人生は、自分の手でつかみ取らなければならない!
そのために、脳を使え!行動しろ!
考えろ!勉強しろ!
人生を楽しめ!
なんか、ワケが分からなくなってきたんで以上です!
みなさんの人生に幸多かれ!