「自分の力が及ぶ範囲ってどこまで?」アンケート結果が出ました
広告
先日、ツイッターでアンケートを実施させていただきました。投票数118票。参加者の皆さん、ありがとうございました。感謝感謝です。
「自分が影響を及ぼせる範囲って、どこまでだと思う?」
みたいな内容のことを聞いてみたかったのです。
1億あれば助かる命。さて、どうするか。1億集めるか、それとも諦めて死ぬか
先日、こんなアンケートをtwitter(ツイッター)で投稿してみました。
もしもの話です。
— 自由ネコ@はてなブログ (@gattoliberoTW) 2020年3月25日
あなたがとんでもなくヤバい病気になったしまったとして。
医者から「このままでは死にますよ」と言われてしまいます。
んが、しかし、同時に
「もしも1億円用意できれば、某国で高度な手術を受けることができ、おそらく助かります」と言われたとします。
あなたはどうしますか?
1億円あれば、自分は助かる。
さて、どうするか。
クラウドファンディングとかで、がむしゃらになって1億集めて、生き延びる道を選びますか?
それとも、そこまでして生き延びるつもりはない、すなわち、それはもう、自分の力の及ぶ範疇を超えている、自分でどうこうできる話じゃない。そう考えますか?
・・・みたいな。
これって、ある意味では、
どこまで「いのち」に執着心を持っているのか?
みたいな話でもあるような気がするんですよね。
生きることに、どれだけの意義を見出しているのか?
とか。
そんな感じのことも、うっすらと読み取れるような気がしないでもない…というか。
んで、興味深いのは、一番最初に挙げた選択肢
「クラウドファンディングで1億かき集めて生きのびる」
これが、7.6%ということで。
これ、どうなんでしょうかね。
多いのか。
それとも少ないのか。
ザックリ100人中7~8人は、自分の命には1億円分の価値がある、と考えているってことなんでしょうかね。
それとも、金額なんて関係なく、
「とにかく俺は生き延びてぇんだよ!」
みたいな感覚なのか。
これ例えば、1憶ではなく、もっと微妙~~な金額、例えば500万円とかだったら、もっと全然、違った結果になっていたのではないか?
「500万円あれば助かりますよ、どうしますか?」
みたいな話だったら、もっと生に執着する人、多かったように思いますね。
その程度だったら、払えるだろう、って。
高価なカツラとか、時計とかと大して変わらない金額で「いのち」が買えるなら、多少借金してでも全然買いますよ。
って人、めっちゃたくさんいると思うんすよね。
あ。
そもそも、そういうアンケートにすればよかったなぁ。
「あなたの命を救うために、いくらまでなら出せる?1000万?3000万?5000万?1億?」
みたいな。
根本的に、アンケートの設定が間違えてたわ。
しかも、選択肢も間違えてるし。
なんかもう、
「まずは落ち着くためサイゼリヤでミラノ風ドリアを食す
44.9%」
って、おかしなことになってんじゃん。
「死にますよ」って言われたときに、100人中約45人がサイゼリヤへ向かうっていう、謎のアンケート結果、出ちゃってんじゃん。
これ、どういうこと?
この調査から、何がわかるっていうんですか。
「ミラノ風ドリアおいしいよね」っていう、それを再確認できただけじゃないですか。
なんなんすか、このアンケート。
結局、何もわからない、っていう。
あ。1個だけ判明したのは、
もしもあと100日で死ぬとしても、グッズの販売はしない方がいいなって、ほとんどの人が思っている、ってことね。
ワニが100日後に死ぬってことで、キーホルダーとか缶バッジとか、グッズをせっせと作ってたみたいだけど。
あんなの、どのタイミングで使うんすかね。
買った人って、家の鍵とかに死んだワニのキーホルダー付けるつもりなんかね?
ちょっとよくわからない。
「転売するために買った」って理由の方が、まだ理解できる。
(まぁ転売しても誰も買わんだろうけど)
このブログでは何度か書いてるけど、自分の力でどうすることもできないことでアレコレ思い煩ってもしょうがないんだぜ、って話なんよね
テレビ観てたら、東京オリンピックの延期について、ラグビーの福岡選手のコメントが紹介されてたんですけどね、
「自分にコントロールできないことは考えても仕方ない。今の自分にできる最高の準備を続ける」
みたいなこと言ってたんすよね。
いや、まさに。
まさにそうなんですよ。
野球の松井秀喜選手も同じような名言を残してるみたいですね。
「自分にコントロールできないことは、いっさい考えない。 考えても仕方ないことだから。 自分にできることだけに集中するだけです。」
そういうことなんよね。
これなんよね。
突き詰めていくと。
めちゃくちゃシンプルなんすよ。
ものすごく簡単な言い方をすると、
ようするに、
「自分にできることをやる」
っていう、それだけのことなのよ。
でも、こんな当たり前のことも、見えなくなってしまうってのが、THE・人間ですよね。
なんでか、自分にできることをやらないで、できもしないことをやろうとしちゃう。
あのイチロー選手でさえ
「小さなことを多く積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道なんだ」
って言ってますしね。
あの、天才とか言われちゃうイチローでさえ、小さなことをコツコツコツコツ積み重ねろって言ってんのにさ。
「なんでお前は、一足飛びに、他の人より楽して、美味しい思いをしようと考えてんの?」
って話じゃないですか。
そんなんだから、「ブログ開始1週間で収益10万達成!」みたいなインチキサロンに騙されちゃうんじゃねぇの?って話じゃないですか。
いや、インチキかどうか知らんけどさ。
大概、楽して儲けようって考えてるやつがカモられるんよね。
「ちゃんと地道に、一歩ずつ、自分の足で歩いていくんだ」
って考えてるやつは、そう簡単には騙されませんからね。
よ、う、す、る、に。
今、話が脱線しまくっている、っていうことだな。
話を戻そう。
先日、「世界を変えるよりも自分を変える方が、達成できる可能性高いぜ」って話をね、チラッとしたんですが。
「ルールに文句を言いながら、その勝てないゲームをだらだらと続ける」っていうのが、一番良くない
っていうのと、通ずる話なんですよね。
極論を言うと「嫌なら辞める、もしくは、続けるならグダグダ言わない」この2択。
「ゲームのルールを変えるために尽力する」っていう第3の選択肢は、時間もパワーもめちゃくちゃ必要になるから非推奨。
これねぇ、また今度、しっかり書く予定です。
世界全体(自分を取り巻く環境)を変えようとするのは、あまりにも難易度が高いし、時間も労力もかかるし、大半の場合は失敗するから、凡人にはあんまり推奨しないよ。凡人におすすめしたいのは「自分が変わる」っていう方法です。
・・・っていう話ね。
「自分の力が及ばない案件」って、当然、生きていれば、何度もぶち当たるんですよ。
何度も何度も、目の前に現れる。
「自分がどう頑張ったところで、どうにもならない」っていう場面、いくらでもあります。
それこそ、冒頭でとりあげた、ラグビーの福岡選手の話とかね。
「東京オリンピック延期」という現実に対して、福岡選手がどれだけ異議申し立てをしたところで、どうにもならんわけですよ。
福岡選手が駅前で「東京五輪延期の中止」を求める署名活動をして、血のにじむような努力をして10万票集めたとしても、どうにもならんわけですよ。
そんなことにエナジー使うくらいなら、ラグビーの練習に打ち込んだ方が全然イイんですよ。
「今、自分にできることを精一杯やる」ってのは、そういうことです。
できることと、できないことをちゃんと自分の中で線引きして、分けて考える。
自分の力が及ぶ範囲はどこまでなのか。ちゃんとしっかり見極める。
「できること」をやるためには、
「自分には何ができるか」把握してないと駄目なわけですよ。
ちゃんと自分と向き合って、できること、できないこと、目をそらさずに、見極めないとならない。
逃げずに己と向き合わなければ、どこまでやれるか見当もつかない。
結局これ、
できないことをやろうとして、心がぽっきり折れちゃった人なんかはさ、
自分とちゃんと向き合ってこなかったから、自分にはどこまで負荷をかけて大丈夫なのか、分かってなかったってことのような気がすんのよね。
ここまでやったら、自分はダメになるぞ、キャパ超えちゃってるぞ、って客観的に冷静に把握できるのであれば、駄目になる前に逃げ出すことができると思うんよね。
「まだ大丈夫、まだ大丈夫」って自分をごまかして、ブラック企業でサービス残業を繰り返していると、そのうち正常な判断力を失ってヤバイことになるとか、なんかそういうことのような気がすんのよね。
例えば、「水中で息止めろ。20分間ね」って言われたら、普通の人間なら、こんな会社辞めなきゃだめだって、すぐに判断できるじゃないですか。
死んじゃうもん。
自分が何分間、息を止めていられるか、把握してないまま、どんどん深海に潜っていったら、そもそも、死にますよ、当たり前です。
帰りの道中(海面に浮上するまでの時間)のことも考えて、セーフティーに潜らなきゃダメなのよ。
片道切符じゃダメなのよ。
自分のキャパを知る、自分の力を知る、自分ができることを知る、ってのは、そういうことじゃないですか。
んで、なんかもう、まとめようがなくなってきちゃったから、自分のことを話して終わる。
ちなみに私だったら、冒頭のアンケートね、1憶あつめて生き延びる、っていう選択肢はないですね。
「このままでは死にます。1憶あれば助かりますけど」って医者から言い渡された瞬間に、
「あなたは死にます」
というメッセージだと受け取りますね。
「生きる」という選択肢はない。
どっちみちもう、棺桶に片足突っ込んでるような状態だし、こんなヨボヨボの命を助けるくらいなら「もっと未来のある若い子(こども)、助けてやってよ」って思うね。
もし仮に1億あっても、オレを救わずに有効活用してくれって思うわ。
あ、あとね、「自分にできることをやる」って話だけどさ。
考えたよ、何度も。
んで、その結果、「よし、ブログを書こう」ってなったんよね。
だから、ブログを書いてんのよ。
私にできること。
それが「ブログを書くこと」だったから。
他には何もできんし。無能ですよ。
だから、自分にできる範囲で、コツコツコツコツと、書き続けるだけですよね。
徹底的に、地道に、バカみたいにしつこく、粘り強く、生涯をかけて書き続ける。
それだけのこと。
いたってシンプル。