早朝、まだ目覚まし時計もなっていないのに、ガバッと飛び起きてしまいました。
なんかね~「気づいちゃった」というか。
「頭の中でピカッと電球が光った💡✨」というか。
「人生の真髄」みたいなものに触れた感じがしたというか。
なんとなく、うっすらとは気づいていたけど、今朝、確信を持てたというか「腑に落ちた」感じがした。人生はゲームだ。遊びだ。楽しめ。
一応さ、理屈の上では、分かっていたのよ。
「頭の中」では、理解しているつもりだったんだけどさ。
なんかこう……ハッキリ見えた感じがしたんすよね、今朝、布団の中で。
過去にも何度か書いたけどさ、人生ってエンタメみたいなもんじゃないですか。
「ゲーム」みたいなもんじゃないですか。
「人生ってのはそういうゲームなんだ」っていうテイにしちゃえばいい。
自分の中で、そっちの方向に誘導していけばいい。
(略)
発想の転換、発送の飛躍。
結局、人生しんどい人は、自分にフィットしたゲームをやってないんよね、きっと。
苦手なゲームに取り組んでるからしんどいんだよ。
本当は、ギターが得意なのにドラムを頑張ってるとか。
本当は、セパタクローが得意なのに、生け花を習ってるとか。
全然、自分の持ち味を生かせない種目に取り組んじゃってるんよね。
この「人生」という名のゲームはですねぇ、自分で勝手にルールを変更しちゃってOKなんすよねぇ…。
自分が勝てるフィールドに持ち込めばいいんですよねぇ…。
「来世で頑張ります」という前に、我々にはインターネットでできることが、あった!
まだゲームは終わっちゃいねぇ!
徹底して「俺ジナル」な価値観のゲームを構築しろ!
人生はゲームだ。「遊び」だ。ルールは自分で創れ。遊べ。楽しめ。楽しんでこその人生だ。
(略)
「趣味は高級腕時計集めです!」って人は、いつまでたってもお金が足りない。
でも
「趣味は近所のジジイと縁側でやるヘボ将棋です!」って人は、カネなくても人生楽しめるんよね。
己の価値観の問題なんですよ。
「大金を稼がなくちゃ!」じゃなくてさ、「価値観の変革」ですよ。どうせやるなら。
身の丈に合ったライフスタイルを意識する。考える。
ゲームなんだから、楽しまなくちゃダメなのよ。
ゲームですよ。「遊び」なんですよ。
仕事じゃないんだから真剣にやれよ!って話なんよね。
人生はゲームだ。遊びだ。真剣にふざけろ。
かつて、タモリ(森田一義)はこう言ったそうです。
「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」…と。
「やる気のある者は去れ!」…と。
・・・・・・・・・
どういう意味なんでしょうか(´・ω・`)。
タモさんはこういうことも言ってますね。
「節操なんつうのはない方がいいですよ。 節操を持ってるとね、やっぱ心が自由にならないからね」
なるほど。
初期の頃の熱いエントリー。
まだ読者もほとんどいなかった頃だから、多分全然、読まれていない。もったいない。
人生はある意味、とても不公平なゲームだ。
最初に配られた手持ちのカードが例え「ブタ」だったとしても、それを駆使して戦わねばならない。(ポーカーの役無し=ブタ)
貧しい家庭に生まれた者、ブサイクな顔で生まれた者、障がいを持って生まれた者…。
それぞれが自分だけの戦い方を見つけ出さなければならない。
これ読んで、泣けてきた。
熱いね、当時のオレ、熱いわ。
まだ駆け出しで誰にもブログを読まれていないのに、めちゃくちゃカッコイイこと言ってる(自画自賛)
自分的には永久保存版だな。今回、発掘できてよかった。
前回、前々回のおさらい。
(略)
まず最初に、人生というゲームでは、最初に配られたカードを駆使して勝負しなければならない、という話をした。
最初から「ストレートフラッシュ」が完成してるヤツもいれば、「ワンペア」さえできていないヤツもいる。それぞれのスタートラインは、実は同じではない。
次の話では、最初に配られたカードがブタ(役無し)だったとしても、自分自身の「価値体系」を根本から変革することで、人生をエンジョイする事も可能なのだと説いた。
(略)
そしていよいよ今回、「何も持っていない人間は、どう戦うべきか?」について、ヒントとなるであろうオレなりの戦い方を公開する。(無料)
さて、そろそろ本題に入りますか。
(本題に入る前に1900文字オーバー)
誤解を恐れずにあえて言おう。尾畠さんも、服部医師も、今村弁護士も、「どれだけ人を助けることができるか?」っていう「ゲーム」をきっと「楽しんでいる」。
尾畠さんってのは、あのスーパーボランティアの尾畠春夫さんね。
お金の稼ぎ方よりもお金の使い方で、その人の人間性や本質がわかるって話(尾畠春夫リスペクト) - 自由ネコ
服部医師ってのは、15年以上も無報酬でベトナムの貧しい人々を診察し続けている眼科医師、服部匡志先生のことね。
【無償医療inベトナム】服部匡志先生の実話的ドラマを観て号泣 - 自由ネコ
今村弁護士ってのは、有罪率99.9%と言われる日本の刑事裁判に挑みつづけ、無罪を14件も勝ち取ってきたカリスマ・今村核弁護士のことね。人呼んで「冤罪弁護士」。(※実は弁護報酬が僅かなので裁判に勝っても採算が取れない)
【神回】NHK「ブレイブ 勇敢なる者」えん罪弁護士 今村核 - 自由ネコ
彼らは、全人生をかけて、いわば「人助け」に取り組んでいるように見えますが…。
それって、「何の見返りもない、お金を生まない、むなしい行為」に従事しているってことなんでしょうか?
やってる本人たちは、不愉快な気持ちでやってるのか?
不毛な行為を繰り返しているのか?
人生を謳歌できていないのか?
・・・・・・
いや、きっとそんなことはないはずなんですよ。
彼らは彼らなりの、己の価値観に沿って「最高の人生」を歩んでいるはずなんですよ。
平たく言うと、人生を楽しんでいるはずなんです。
これ、めちゃくちゃ極端な言い方してますけど、言ってることの意味っていうか、ニュアンス、分かりますかね?
ちょっと強引だけど、マリオに例えてみましょうか。
マリオブラザーズは、ピーチ姫を助けるゲームじゃないですか。
マリオは人助けのために、登ったり降りたりジャンプしたり、様々なミッションに挑んでいるわけですよ。
「マリオブラザーズ」って、そういう「ゲーム」じゃないですか。
でも、その時にさ、マリオに悲壮感ってありますか?
マリオは自己犠牲の塊ですか?
マリオは何の見返りもないのに過酷な労働に従事しているんですか?
答えは、ノー。
マリオブラザーズって、そんな悲しく切ないゲームじゃないですよ。
マリオやってる時、コントローラーでマリオを操作しているとき、あなたは「マリオブラザーズ」という名のゲームを「楽しんでいる」でしょ?
ゲーム中、ほぼ全員が「マリオ可哀そう」 なんて、きっと微塵も思っていないはず。
「スーパーマリオブラザーズ」をコントローラーで操作してる時、遊んでいる人は、楽しんでいるでしょ?
と、言うことはですよ。
「スーパーボランティア尾畠春夫」をコントローラーで操作している春夫の脳内在住のリトル尾畠は、間違いなく、ゲームを楽しんでいる、ってことなんすよね。
わかります?
尾畠春夫を中で操っている「リトル尾畠」は、この人生という名のゲームを目いっぱい、楽しんでいるはずなんですよ。
「スーパーボランティア・尾畠春夫」を操縦する中の人「リトル尾畠」
(写真はイメージです)
ベトナムでノーギャラで医療活動を続ける服部医師もそうですよ。
安い報酬で「冤罪裁判」と戦う今村弁護士だってそうですよ。
中で操っている「リトル服部」や「リトル今村」は「人生ゲーム」を謳歌しているはずなんです。エンジョイしているはずなんです。
中で操縦している「リトル◯◯」。
(画像はあくまでもイメージです)
引用元:メン・イン・ブラック (吹替版)
もっと言っちゃうと、
あなたも、わたしも、中で操縦している「リトル俺」にコントロールされているとすれば、当然、「リトル俺」はこの「人生という名のゲーム」を楽しむべきなんです。
だって、「ゲーム」だからさ。
遊んでナンボ。楽しんでナンボ。
極論を言っちゃうと
「うわ~、家が火事になっちゃったよ!」
とか、
「マジかよ!?不治の病だって!?」
とか、
そんな人生の重くしんどいビッグイベントでさえも、ゲームの中に設置された障害物みたいなもんなんです。
どうでしょうか。
視点を変えると、モノの見え方が変わってきませんか?
見慣れた景色が、当たり前の毎日が、ちょっと違って見えませんか?
自分の心の中に潜む「リトル◯◯」という概念について語った人物としては、最近ではサッカーの本田圭佑選手が有名ですね。
あの「リトルホンダ」です。
-ACミランを選んだ本当の理由は?
心の中で、私のリトル・ホンダに聞きました。
「どこのクラブでプレーしたいんだ?」と。
そうしたら、
心の中のリトル・ホンダが「ACミランだ」と答えた。
そういう経緯があって、ACミランに来ました。
“リトルホンダ”の定義については、「直した方がいい」と注文をつけ、「おもしろおかしく言ってくる人が僕の周りにもたくさんいるのですが、みんな自分の心の中や頭の中にいる、いわゆるもう1人の本質的な素の自分だと思う。人間は本音で言わないし、見られたくないものを隠す。でも常に本当の自分は自分に対して嘘はつかないので。その一節を一回披露したばっかりに、おもしろおかしく言われるているんですけど」と本田節で改善を訴えた。
この世はでっかい宝島。そう、ゲームの舞台なのである。スライムを倒せ。ゴールドを手に入れろ。やくそうで回復しろ!
全部、自分に与えられたミッションなのです。
ひとつクリアするごとに、レベルが上がり、強くなるのです。
そう考えると、意味のないことなんて全然ないのです。
「何故、こんな重い荷物を運ばなければならないんだ?」
↓
「やった!こんだけ重けりゃ良い筋トレになるぜ!」
発想の転換。
見かた次第で、前向きにも後ろ向きにもなれる。
あとはもう自分次第なんです。
なんだったら、
台所で食器を洗うだけで、レベルが上がっちゃっていいんです。
てれれれってってってー♪
詳細はコチラに。
私ねぇ、気づいたんですよ。
一般人って、大抵「お金(円)」に価値を見い出しているじゃないですか。
でもね、
スーパーボランティアの尾畠さんとか、
ベトナムでノーギャラ診療の服部医師とか、
えん罪と戦う今村弁護士とかは、
何か「私たちには見えないゴールド」を手に入れてるんだと思うんよね。
人をひとり助ける度に、
てれれれってってってー♪
って効果音が鳴り響いて、
私たちの目には見えないゴールドをGETしてる、ってことなんだと思うんです。
それは、私たちのゲームにとってはあんまり価値が無いゴールドなのかもしれないけど、
尾畠さんや、服部医師や、今村弁護士が参加しているゲームの中では、とてもとても、価値のあるゴールドなんだと思うんです。
あ、ちなみに、その「価値のあるモノ」の単位が「ゴールド」かどうかは分かりません。
しかし少なくとも「yen(円)」ではなさそうです。
尾畠さんの参加しているゲームの中で重要なのは、「円」でも「ゴールド」でもなく、通貨の単位が「obt(オバタ)」なのかも知れません。
1回のミッションで「2000obt」もGETって…すごくないですか。
結局、私たちは、2000オバタも、2000ハットリも、2000イマムラも、その価値を理解できないっていうだけなんですよね。
我々の感受性が鈍いから、その価値に気付けていないだけなんです。
「何の見返りもないボランティア活動なんて、やっても損するだけだよ」
って、我々が勝手に思いこんじゃってるだけなんですよね。
逆に言うと「yen(円)」にしか価値を見い出せない人って、実はめちゃくちゃ貧しい人なのかも知れませんね。たとえドバイに別荘を持っていたとしても。
たとえマスクの転売で大儲けしたとしても、心は「極貧」なのかも知れませんね。
私たちのような物欲まみれの薄汚い人間たちが取り組んでいるゲームと、尾畠さんたちが取り組んでいるゲームは、そもそも根本的に、そのルールや内容が全然違うってことなんですよね。
ゲームには当然、ルールがある。ゲームに参加するならば、あらかじめルールに対して納得した上で参加すべきだろう。
例えばね、みんなでバスケットボールをやってる時にさ。
ひとりだけ、
「なんでボール持って5歩、あるいちゃいけねぇんだよ!なんだよ!トラベリングって!?そんなルール、納得できねぇよ!ルール改正しろ!」
ってブチ切れてる奴がいたとしたら、どう思いますか?
「うわ…うぜぇ…何コイツ…」
って思いますよね?
バスケは「ボールを持ったまま3歩以上歩くと反則」っていうルールの中で遊ぶゲームです。
そこへ、あとから参入してきたルール無用の奴が「俺は何歩でも自由にボールを持ったまま走る!」って言って、ボールを抱えて猛然とゴールへ突進していったとしたら、なんかもう、そのゲーム、ぶち壊しじゃないですか。
サッカーの試合をやってるところへ突然、「オレは何物にも縛られず、自由に生きたいんだ!」って言って、全裸で(ただし亀甲縛りのロープだけは身につけて)、猛然とピッチに乱入してきた観客がいたとしたらどうですか?
それはもう、また別の話になってきちゃってますね。
とにかくね、一応、ちゃんとルールはあるんですよ。
最低限、守らなくちゃならないルールがあるわけです。
ゲームって、そういうものです。
「何やってもOK」な「無法地帯」じゃない。
テニスはサーブを二回ミスするとダブルフォルトになるんです。
「オレだけサーブミスは連続10回までセーフ」とか、そんな特例はないんです。
相撲をするんなら、ちゃんとマワシを絞めなきゃダメなんです。
クマのプーさんスタイルで、上半身Tシャツ、下半身丸出し、っていうわけにはいかないんです。
そんでさ、これ、「人生という名のゲーム」に関しても、おそらく当てはまると思うんすよね。
やって良いことと悪いことがあって。
大事なのは、
「ゲームに参加するなら、そのルールに納得してから参加した方がイイ」
ってことだよなぁ…って今朝、思ったんよね。
逆に言うと、
「自分が納得できないゲームに参加しても、思うような成果は得られない」
って可能性が非常~~に高いと思うんよね。
もちろん、納得がいかないルールがあった場合、ルール改正を求める行動を起こす、っていうのも当然、全然アリなんですけどね。
そうやって、少しずつ、みんなが納得できるルールを作り上げていく、っていう行為は非常に重要なんだけれどさ。
そうではなくて、「今のルールに納得がいかない」って言って、全裸で猛然とサッカー場を駆け回るとか、そういうのはダメすぎるじゃん。
それってもはや「テロ」じゃないですか。
んで、私が一番言いたいのは、
「ルールに文句言いながら、その勝てないゲームをだらだらと続ける」
っていうのが、一番良くないよね、
って話でさ。
ここなんですよ。
これ、けっこうキモの部分です。
思い当たるフシがありませんか?
「嫌だ嫌だとぶつぶつ文句を言いながら、でも、辞めるでもないし、改善を求めるでもない」
っていう。
そういう人、いるでしょ?
そして、
下手すると……
自分でも気づかぬうちに、そういう人になっちゃってる時、ありませんか?
私は結構あります。
これなんすよ、ここ。
これに気づけるか気づけないか。
ここ、大きな分かれ道。
多分、「生きるのしんどい」って思ってる人って、絶対にここを意識した方がイイと思うね。
極論を言うと、
もう、どっちかに決めちゃう。
「嫌なら辞める、もしくは、続けるならグダグダ言わない」
この2択。
厳密に言うと「ゲームのルールを変えるために尽力する」っていう第3の道があるんだけど、これはもうね、めちゃくちゃパワーが必要だから。
下手すると、一生かかっても成就できない可能性あるから。
ここに自分のHPとか生命エネルギーを全振りしちゃうのは、個人的にはあんまりオススメしません。
リスクでかすぎるし、達成する確率が低すぎる。
私も、この第3の選択肢は諦めました。
ここにエナジーを投入していたら、命がいくらあっても足りない。
人生を3回繰り返しても全然、難しい。
「これはもう、自分に与えられたミッションじゃないな、もっとパワフルで生命力にあふれた人にお願いしよう。自分は自分にできることをやろう」
って、考えをシフトしましたから。
んで、そんなこんなで私の場合は、「嫌なら辞める、やるなら納得してやる」っていう方向で、何事にも取り組んでいる次第です。
オリエンタルラジオの中田敦彦(あっちゃん)が以前テレビで「学生時代は勉強をゲームに見立てて問題を解いていた」と語っていた
お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」のあっちゃんがさ、以前、何かのテレビで言ってたのよ。
家で受験勉強する時にさ、「今、自分はゲームをしている」っていうテイで、問題を解いていた、って。(うろおぼえ)
1問クリアするごとに「よっしゃ!第1ステージクリア!次は第2ステージだ!」みたいな。
ゲームで1面、2面ってクリアするみたいなイメージで、問題集に取り組んでいたらしいのよ。
そうすると、苦にならないって。
モチベーションを維持できるって。
人生を楽しむ。ゲームを楽しむ。人生そのものを遊びつくす。
あっちゃんは、頭いいよね、ホント。
めちゃくちゃ頭がイイ。
これ、このブログを始めたばかりの頃に書いた記事です。
4年前からオリラジ(オリラジ中田)に着目している私の眼力w
新しい表現方法を積極的に取り入れ、挑戦し続けるオリラジの生き様は、高く評価されてしかるべきだと私は考えています。
まだ誰も足を踏み入れていない荒野を進むのは、非常に勇気がいる事です。
それが結果的に、面白かろうが、面白くなかろうが、そんなことは別にどうでもいいんです。
大切なのは、開拓者精神、最初の1人目になる度胸があるかどうかです。
オリエンタル・ラジオは、闘っているのです。
「日本のお笑いはオワコン」騒動にも言及。
もちろん私は、あっちゃんがまっちゃんに謝罪する必要なんてないと思いました。
脳科学者・茂木健一郎氏が蒔いた種(日本のお笑いはオワコン発言)が発芽して「ジャックと豆の木」みたいに巨大化し、騒動が想像以上に大きくなっていますね。
(略)
先に結論から言ってしまうと、
ダウンタウンの松本人志(通称まっちゃん)は、茂木氏の意見に反論
オリエンタルラジオの中田敦彦(通称あっちゃん)は茂木氏の意見に賛同
ということですね。
(略)
個人的には、あっちゃんは、まっちゃんに謝る必要はないと思います。
そして、これ、大事。
まっちゃんも、謝らなくていいと思っているんじゃないでしょうか。
まっちゃんも、あっちゃんも、謝らなくていい、と思っているような気がするんですよ。
違うかな。
私はそうであってほしいと思っています。希望的観測も込めて。
(略)
私はちょっと勘ぐっているのですが、もしかすると、ここまでのやりとりも、実は全部、プロレスなんじゃないか?って気もしてるんですよね。
オーディエンスを盛り上げるために、意図的に対立の構図を作り出しているのではないか。
まっちゃんも、あっちゃんも、バカじゃない。
むしろ頭、メチャ良いですからね。
盛り上げようとして、意図的に仕組んだ芝居なのではないか?
あっちゃん(オリラジ中田)は、かつてライブ会場で
「『天下を獲る』ために、オレたちがやるべきことはただ1つ!松本人志、その人を倒すことだ!!!!」
って語ったそうです。
お笑い界の頂点を目指すなら、今頂点に君臨している大物とやりあうってのは、あながち間違ってもいないですね。
・・・・・・・・・
しかし。
その後のオリラジ中田は、どこで何をしているかというと……
これですよ。
中田敦彦のYouTube大学。
これがまぁ~~面白い。
今のオリラジ中田の主戦場は「テレビのバラエティ番組」ではありません。
現在の「既存のお笑い界」のルールを根底から変えるためには、時間も熱量もかかりすぎると判断したんでしょう。
かといって、今のお笑いのルールの中でゲームをしても、松本人志には勝てない。
さてどうするか。
軽やかに、さっと「自分が戦うフィールド」を変更してしまいました。
頭がイイ。フットワークが軽い。決断が早い。
もはや古いイメージの「お笑い芸人」という枠の中に納まりきらない存在になってしまった。
大きなくくりで言えば「エンターテイナー」という意味で、やってることはブレていないんだけどね。
めちゃくちゃ「華麗なる転身」と言えるんじゃないでしょうか。
これ、おそらく、私がさっき言った、
「ルールに文句を言いながら、その勝てないゲームをだらだらと続ける」っていうのが、一番良くない
っていうのと、通ずる話なんですよね。
極論を言うと「嫌なら辞める、もしくは、続けるならグダグダ言わない」この2択。
「ゲームのルールを変えるために尽力する」っていう第3の選択肢は、時間もパワーもめちゃくちゃ必要になるから非推奨。
っていう、まさにこれと同じようなことを、オリラジ中田も考えたんじゃないかと思うんすよね。
ゲームに勝つためには、自分が十二分に力を発揮できる、戦えるフィールドで勝負する。
私も再三にわたって「自分の土俵で戦え」って話は書いてきましたけど、まさにそういうことなんすよねぇ。
羽生善治は短距離走ではボルトに勝てないが、ボルトは将棋では羽生に勝てない。
— ネコ師匠 (@nekomasterTW) 2016年5月6日
戦うなら、自分が勝負できるフィールドを見極めないと、努力が全然報われない事になりかねない。
無暗やたらに頑張るのもいいが、それと同じくらい、自分の長所、特性、ストロングポイントを知ることが大事。
自分に向いていない場所で戦っても勝てないし、どっちみち輝けないんすよね。
生きづらい人は、このことについて深く真剣に考え抜いた方が良いと思うね。
そろそろまとめに入りますか。いいですか、人生はゲームです。遊べ。楽しめ。そして楽しむために、目いっぱい考えろ。頭を使え。自分と向き合え。ルールを把握しろ。勝てるゲームに参加しろ。
人生はゲームです。
朝起きたら、
「布団から這い出すことに成功すれば10ポイントGET!」
とイメージするのです。
「上手にコーディネートできればミッションクリア!」
と思いながら服を選び、そして着ればいい。
「燃えるゴミを出せたから、HPがちょっと増えた!」
って思いこめばいいんです。
通勤通学時、
「今日も遅刻しなかったら、3日連続クリアなので、ボーナス得点で倍になります!」
ってことにしちゃえばいい。
自分で勝手に設定しちゃえばいいんです。
自分が勝てるルールにしちゃえばいいんです。
自分が勝てるゲームに参加すればいいんです。
新しい「俺ジナル」のゲームに取り組めばいいんです。
どうやっても、オレが勝つルールになっているゲームに取り組めばいいんです。
あ、ちなみにね、
私は、この世界、現世とは、
「上級国民たちが長い時間をかけて、上級国民にとって都合のいいルールで作り上げた、上級国民のためのゲーム」だと思っています。
この視点から社会を眺めると、今まで理不尽だと思えてきた事件やニュースが、めちゃくちゃ腑に落ちるようになるんですよね。
「池袋自動車暴走事故」しかり、
「森友学園問題」しかり、
「桜を見る会問題」しかり、
全部、なにひとつ、理不尽なことはないんです。
「カネや権力を持っている人々が、自分たちにとって都合のいいルールで運営しているゲーム」
という前提で世の中を見まわしてみると、あれほど混沌としていたはずの世界が、完全に理路整然として映るんです。お試しあれ。
あ~~、最後の最後で、めっちゃ脱線しちゃいましたね…。
え~~と。
もう一回、仕切り直しますか。
とにかくね、私はもう、例えば…
「カネをいっぱい稼いだ人が勝ち」
みたいなゲームに参加するつもりはないんですよね。
絶対に勝てないゲームには参加しない。
自分に向いていないゲームには参加しない。
自分が楽しいと思えないゲームには参加しない。
そういうことです。
もちろん一応、私も宇宙船地球号のメンバーですからね、今の社会のルールに従わないとならない部分もあります。
ですから、お金を全然稼がない、ってのはかなり難しいんですけどね。
税金とか、ネット代とか、病院代とか、どう頑張っても「yen(円)」で払わないと怒られる場面もありますからね。
「豊作だったんで今年は人参で払います」とか、許してもらえませんから。
ただ、「今の社会のシステムに、できるだけ取り込まれないように気を付けることはできるかな~」ってのはひそかに思ってるけどね。
ゲリラ戦ですよ。
ひっそりこっそり。
レジスタンス。
あたかも従順に飼いならされた家畜のようにアホヅラさげつつ、既存の社会システムや構造に対して、心の中では反旗を翻している…みたいな。
そこはもうね、うまいことやっていきたいと思います。
・・・・・・
どうですか。
まとまった?
・・・・・・
まとまってない?
最後の最後に。
今朝、飛び起きたあと、断片的に走り書きしたメモの中からいくつか言葉を。
「目に見えないゴールドをためろ」
「ずっと平坦だと、それはそれで楽しくないんだ」
「自分にとって価値のあるものを求めろ。誰かにとっての価値じゃない。自分にとっての価値だ」
「それは自分が一番になれるゲームを開発し始めたってことなんじゃないか」
「誰かの作り上げたルールにのっとった既存のゲームではなく、新しいゲームを作り出そうとしている」
「だからみんなも、自分が勝てるゲーム、自分が楽しめるゲームを作り出せばいいんだ」
「私はお皿を洗うという行為を自分なりの価値あるものにしてみた。ゲームのように楽しむことにした。『お皿洗いゲーム』にしたのだ」
「今の気持ちを忘れないようにしたい。何度でも思い出そう。迷ったらまたここに戻ってこよう」
最後は「パーフェクト・ヒューマン」でお別れです。ごきげんよう。