炎上商法に手を染めた新潮45を製本するため伐採された木々が気の毒
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もうね、木々が可哀そう。私の場合、地球規模のマクロな視点で見ちゃうからさ。
ものすごい極論を言えば「新潮45」の暴挙は、ある意味、環境破壊でもありますよ。
あんなもん、わざわざ製本するだけの価値があるのか?
伐採された木々の気持ち、考えたことあんのか?インク代も勿体ない!
ダークサイドに堕ちて炎上商法に手を染めた新潮45には、もはやケツを拭くだけの価値もない!トイペ以下だ!
やめて欲しいわ~。森林伐採。もっと地球にやさしい感じでお願いしますよ。
可哀そうですよ。森の木々たちが。
ほら、聞こえてきませんか?
森のささやきが。森のすすり泣く声が…。
切り倒されて、パルプ?っつーの?なんか、紙の材料にされて。
それでやっと、生まれ変わって日の目を見たかと思ったら「新潮45」だもんなぁ~…。
それだったら、まだトイレットペーパーに生まれ変わった方が、マシだったと思うよ。
とりあえず、今注目のご意見番「せやろがいおじさん」に説教していただきましょう。
これがもうね~、正論過ぎですよ。
新潮45の「そんなにおかしいか杉田水脈論文」について【せやろがいおじさん】
参考。
小川榮太郎氏いわく「私のような伝統保守主義者から見ればLGBTは充分ふざけた概念である」
何これ。
「伝統保守主義者」って何。
カッコいい言葉使って、「私は頭いい」のテイでドヤってますけどね、もうちょっと分かり易く言い替えた方がいいんじゃないですかね。
「私のような伝統保守主義者から見ればLGBTは充分ふざけた概念である」
↓
「私のような老害から見ればLGBTは充分ふざけた概念である」
by 小川榮太郎
うん、この方がしっくりいきますね。
新しい価値観や概念をど~しても生理的に受け入れられない、ってことはあるかも知れません。しかしだね…
特に、50、60、70まで、ずっと正しいと信じていた価値観と、真逆の考え方が突如出現した時なんかは、自分の気持ちとどう折り合いをつけていいのか分からない、って場合もあると思う。
しかしね、
「生理的に受け入れられない、違和感を感じる」
っていうのと
「自分と違う意見は間違ってる(正しいのは自分の意見である)」
ってのは、違うわけじゃないですか。
「自分の意見や考え方が正しい」って思い込んでるから「自分と違う意見は間違ってる」って感じちゃうわけでしょ。
でもね、倫理とか、モラルとか、価値観とか、そんなもん、時代と共に、常に移ろいゆくものなのです。
何が正しいかなんて、時と場合によって変わるんです。
新しい時代の波に乗れなかった老害たちが徒党を組んで「新潮45」という名のタイタニック号に乗り込んで、セリーヌ・ディオンの曲に合わせて十字架のポーズを決め込んでも、そんなの虚しくイカ臭い慰めに過ぎないのです。
逝ってよし!
参考。
変われなかった老害たちの末路。
結局これは、LGBTうんぬんという話だけではなく、既得権益を守り抜こうとする老害たちと、新世界を創り出そうとする天使たちとの闘争なのである。
これはもうね、ある意味「デビルマン」みたいな話なのかも知れません。
不動明と飛鳥了、
デビルマンとデーモン族の雌雄を決する闘いのような。
何言ってるのか、自分でも全く分からなくなってきております。
ノリです。ノリだけで私はここまで来ました。
正直に言うと、「新潮45」も読んでいません。読みたくもない。
様々な噂を総合するに、新潮45には、読む価値もない。
え?このブログにも、読む価値が無い?
・・・・・・・・・
それ言っちゃいますか。そこ突いてきますか。
そこ指摘するなら、私だって考えがありますよ。
じゃあ、あなたや私がこの世に存在してること自体にも、そもそも意味なんて無いんじゃねーの?つって。
こりゃ、とんでもない方向へサイコロが転がり始めちゃいましたね。
人は何故、生きるのか。
風呂敷広げ過ぎて、回収できなくなってますね。
それもこれも「新潮45」のせいです。
分かった。
和解しましょう。
我々はまだ若い。やり直せるだけの時間がまだ残っているはずだ。
まだ若いんだから、和解しましょう。
・・・・・・
「ダジャレ」ではない。「韻を踏んだ」のだ。
価値観も概念も、常に変化し続けるもの。
ダジャレと言ってしまえばオヤジギャグ、
しかし
韻を踏んだと言い張れば、今日からあなたもヒップホッパーだ。
収拾がつかなくなってきています。
「新潮45」問題が、こんなに厄介なことになるなんて。
もうちょっと慎重に事を進めればよかった…。
(ヒップホッパーの血が騒いだ)
実はね、さっき、妥協案をひらめきました。
クオリティの低いダジャレを連発している間に。
(結局、自分でダジャレって言っちゃってる)
和解案。
新潮45も、電子版にすりゃいいんじゃね?
でました。自由ネコの大岡裁き。
新潮45が電子版になれば、もう今後は、製本化する必要がなくなり、原材料となるパルプも不要。
よって、森林伐採も食い止めることが可能になります。
あの、原始の森がよみがえるのです。
もう一度、美しい星「緑の地球」を取りもどそうではありませんか。
どうでしょうか。
(こんな見事な着地は見たことが無い)
【特別企画】そんなにおかしいか「杉田水脈」論文 を集録。炎上中の新潮45、10月号。