人生っつーのは取捨選択の連続ですよね。
大事だと思えるものをかき集め、不要なものを投げ捨てて…。
それってある意味「自分の中で価値があるもの」に優先順位をつけていく作業と言えなくもない。
じゃ、一番、いっっっっちばん大事なものって何なのよ?
……という話を。
突きつめて突きつめて考えた結果、人生において真に重要な課題は「神と自分との対話のみ」という結論に達した、とある偉人の話(うろおぼえ)
例によって、今回もうろ覚えですが。
まぁねぇ、数十年後にこうしてブログに書くって分かっていれば、当時から、ちゃんとメモしておいたんでしょうけど。
昔、むか~し、読んだ本の中に、こんなエピソードが書いてあった…はず。(非常にあいまいな記憶です)
ちょっとね、名前とか、国籍とか、全然、思い出せないんですけれども。
まぁとにかく、なんかすごい人だったはずなのよ、その人。
18世紀の話だったか、19世紀の話だったか…結構前の話だったような気がします。
場所はヨーロッパだったような…違ったかな…?
何の分野だったかなぁ~、
科学者だったのか、哲学者だったのか、
あるいは、貴族のような身分の人間だったか…。
とにかく、
こうしてエピソードが残っているわけですから、ギリギリ「歴史上の人物」と言っても過言ではないわけで、そういう意味で、ざっくり「とある偉人」としておきましょう。
んでね、その「とある偉人」がですねぇ、ある時、気づいたらしいんよね。
「あっ、本当に重要なのは『神と私の対話』だけなんだな」って。
それ以外のミッションはすべて、枝葉の部分に過ぎない、と。
人生において、真の意味で、ガチで、ゴリゴリのガチで、一番重要なのは「神との対話」しかないんだ、って。
突きつめて突きつめて考えていくと、そういうことにたどり着いた、と。
・・・・・・・・・
なんか、そんなエピソードをどこかで読んだんすよね。何十年も前に。
「とある偉人」は当然、とある分野で、多大なる功績を残した人物なわけですよ、人類に、社会に、大きな影響を与えた人物…だったはず。
言ってみれば、成功者、勝ち組ですよ。人生の勝利者。
ところが。
そんな偉大な人物が、ある時、気づいたわけです。
「私が真に取り組むべきミッション」に気づいちゃった。
それで、地位も、名誉も、カネも、すべての人間関係をも投げ捨てて、田舎に引っ込んじゃったらしいんよね。
当然、周りの人は止めたらしいんだけどさ。
「せっかくつかんだ今のポジションを全部捨てちゃうなんてもったいない!」
「あなたは偉大な能力の持ち主なのだから、その力を社会に還元して欲しい!」
「家族も友人も全部捨ててまで、取り組まなければならない課題なのか?」
その「とある偉人」が、何教の信者だったのかは覚えていません。
もしかすると、便宜上、手っ取り早く「神」という表現を用いただけで、実際には、なにかこう、もっと説明しがたい存在について語っていたのかもしれません。
たとえば…
人知を超えた偉大な存在、というか。
「大いなる自然」とか、
「八百万の神」とか、
「地球の意志」なのか、
「グレートスピリット」とか、
「宇宙の真理」なのか…。
ちなみに、私自身は、人間どもがこねくり回した既存の宗教とかはあんまり信じていないんで、神がアングロサクソン系の人間の姿をしていて、バスローブみたいなの着てるとか、髭ボーボーとか、そういうのは無いなと思いますけど。
「人知を超えた大いなる存在」みたいなものは、ちょっと信じてる部分があるんですよね~。願望も含めて。
それに分かりやすい名前を付けるのならば、とりあえず「神」ということなのかなぁと。
んで、結局、その「とある偉人」は、人里離れた自然の中で、自給自足的に畑を耕したり、神に祈ったりして、生涯を終えました…みたいな話なんだけどさ。
なんかさ~、
当時の私には、相当なインパクトだったんでしょうね。
「私よりも何十倍も頭がいい人が、徹底して生き方を突きつめていくと、結局最後は、そこに行きつくんか…」とかさ。
「自分なら、すべてを捨てて、隠遁生活とかできるんだろうか?」とかさ。
ましてや、
社会的に大成功を収めた人が、手に入れたものを全部捨てて、自然の中で一人で暮らすとか、ちょっと難易度高すぎねぇか?って思ったりしてさ。
でもねぇ、今なら、ちょびっと分かりますよ。
私は成功者でも勝ち組でもありませんので、引きこもるのはイージーといえばイージーなんですけどね。
結局ねぇ、全部、「枝葉の部分」なのかもしれませんよね。
LINEの既読スルーとか、
インスタ映えとか、
正社員とか、派遣とか、
一流企業とか、ブラック企業とか、
接待ゴルフとか、賭けマージャンとか、
車とか、マイホームとか、
結婚とか、独身とか、
公園デビューとか、ママ友ランチとか、
SNSによる誹謗中傷とか、マウンティングとか、
自粛警察とか、自宅警備とか、
・・・・・・
ぜ~~んぶ、枝葉の部分なのかもしれません。
徹底して突きつめていけばね。
そういえば、こんな話も聞いたことがあります。
真に重要な問題は「生き死に」に関するものだけだ。
みたいな。
そういわれると、そうなのかもしれませんね。
前髪がきまらない、
だとか、
スマホが中国製、
だとか、
そんなの、クソどうでもいい話なのかもしれません。
我々は、そんなクソどうでもいい案件に囚われて、クソみたいに一喜一憂して人生を終える。
これが無駄でなくて何なのか。
いや、そもそも、人生なんてもの自体が、まさに無駄そのものなのではないか。
なぜ人は生きるのか。
生きる必要なんてないんじゃないか。
人類なんて、滅びちゃってOKなのではないか?
勝手に「生きることは善」「生きることは良」という前提で話を進めているが、本当はそんなことないんじゃないか?
「生きていてOK」という地点から思考がスタートしている人は自己肯定感が高いのでしょう。
この世界には、いったい、どれだけの価値があるのだろうか。わざわざ生きる必要なんてあるのか
揺れ動く乙女心のように、行ったり来たり。
映画「セブン」のエンディングのモーガン・フリーマンのように思う瞬間もあるのですが…
映画「セブン」のラストシーンの、モーガン・フリーマンのような気持ちなのです
— 自由ネコ (@gattoliberoTW) 2020年4月4日
「ヘミングウェイがかつて書いた言葉がある。”この世は素晴らしく、戦う価値がある”と。後半には同意する」
Hemingway once wrote, "The world's a fine place and worth fighting for." I agree with the second part.
私もサマセット刑事(モーガン・フリーマン)と同様に、
— 自由ネコ (@gattoliberoTW) 2020年4月4日
『「この世は素晴らしい」とは言い切れない。しかし、それでもなお、戦うだけの価値はある』
と、そう思えてきたのです。 pic.twitter.com/8LbDly7ju2
でもね、ときおり、「やっぱ生きるのしんどいな」と思うこともあったりなかったりで。
こりゃもう、ダメなんだろうな、自分にはどうすることもできないんだな、あとは隠居しておとなしく畑でも耕して、地球と対話して余生を過ごそう…とか。
そういえば、この前の東京都知事選ね。ありゃ酷かったなぁ…。自分の中では、リトマス試験紙というかね、判定する材料として様子を見てたんですが
そういえば、どこに書いたのかなぁ…と思って探したら、noteの方に書いてあった。
かなりネガティブです。閲覧注意。
今回の都知事選で気づいた。オレはみんなが何を考えているのか分からないし理解できない。|自由ネコ|note
どうしても言いたかった汚物みたいな本音とかは、割とnoteに書いてる感じ。
たぶんね。
体感的には、10人に1人くらいなのかな、って気がするね。
話が分かる人間っつーか、話が通じる人間っつーか。
(あくまでも私個人の感想です。個人差があります)
私の独断と偏見に満ち溢れた実感では、
残りの9割の人は、言ってることや、やってることの、意味が分からないんじゃないかと思う。
おそらく、向こうも私が理解できないし、私も向こうが理解できない。
「何やってんだ?」ってお互いに思ってる感じなんだろうと思う。
都知事選の百合子圧勝で、そういうことが、かなりはっきりと、分かりました。
こうなってくるともう、どうにもならんと思うんですよね。
比率が9対1ともなると、ここからの逆転は難しすぎ。
不可能とは言わないまでも、おそらく時間がかかりすぎる。
100年かかるのか、200年かかるのか、いずれにしても、その時私はすでにこの世にはいないからなぁ。
昔、小学校1年生くらいのころ、1時間くらい息を止めることができる、バケモノ級の肺活量を持ったクラスメイトがいた。
いや、いるわけないんだけどさ。
イルカやクジラじゃあるまいし、1時間も息を止めていたら、シンプルに死ぬじゃないですか。
いや、イルカでも死ぬんじゃねぇか?
でもね、いたんですよ。
「ぼくは、いちじかんくらい、いきをとめることができるよ」
って豪語している、H君ってやつが。
んで、私は、「そんなことできるわけがない」って真向否定したんですけどね、おかげでクラスメイトから非難ごうごうですよ。
「きみは、Hくんをうそつきよばわりするのか!」
って、みんなにたしなめられまして。
んである時、Hくんが「実際にみんなの目の前で、長時間息を止めてみせる」ということでさ。
誰かの家の日当たりの悪い裏庭に、みんなで集まってさ、厳かな雰囲気の中、Hくんがおもむろに、鼻をね、つまんだんですよね。
それで何十分もの間、みんなでじっと、Hくんの様子をうかがって。
「Hくんすげぇよ!」
「やっぱりHくんは息を止めてる!だって鼻をつまんでる!」
「しかも口も閉じている!」
「わー!Hくんすごいよ!」
「わー!わー!」
「人間はそんな長時間、息を止めることなんてできない」と主張した私が、完全に間違っていたことになりまして。
子供心に、なんかいろいろショックを受けたっていうか。
何が正しいのかは多数決では決められない、っていう現実を小学校低学年にして突き付けられまして。
いまだにこんなバカげたエピソードを覚えているっていうことは、私の中で、けっこうなトラウマになってるのかもしれません。
基本的に人間不信というか。
いや、分かりませんけどね。
私が勝手に勘違いしているだけで、本当は、H君は、1時間くらい息を止めることができる特殊能力を持った少年だったのかもしれません。
本当にとんでもない肺活量だったのかもしれません。
・・・・・・
・・・・・・
そんなわけあるか!
そういえば確か、Hくん「ぼく、ほんとうはアルゼンチン生まれなんだ」って言ったこともあった。
いや、国名までは私もはっきりとは覚えていないんだけど。
それでHくんが「祖国で流行っていた歌」を口ずさんだりしてさ。
数日後に「もう一回歌ってみて」って言ったら、全然違う歌になってたけどな!
とにかくもう、人間社会に対して「こんな茶番には付き合いきれんわ」って思えてくる瞬間が、定期的に訪れる
こんなバカげたゲームになんて付き合いきれん。
オレはもう降りる!
・・・・・・
って感覚になる瞬間があるんですよねぇ…。
茶番・オブ・ザ・茶番。
長崎での首相会見、ネットでみました。あらかじめ送っておいた内容を質問者が読み、あらかじめ用意しておいた答を読む会でした。それなら事前に質問回答を書面で配っておき、会見ではそれを前提に質疑応答してはどうでしょうか。首相がこちらにカンペを見せてくれたので構図がはっきりわかりました。 pic.twitter.com/dNhblMsE7x
— 大島堅一 (@kenichioshima) 2020年8月9日
税金もったいない。
冒頭で取り上げた「とある偉人」も、もしかすると、そんな感じで、
「冗談じゃねぇ!やってられるか!」って半ギレで、
隠遁生活に飛び込んだ可能性もあったのかもしれないな…と思ったり思わなかったりする今日この頃です。
やっぱ最後は、母なる地球(大自然)を相手に暮らすのが健全なんすかねぇ~