ツイッターで「ダサい服を作るのは禁止にしてほしい(ダサい人が買っちゃうから)」みたいなことをつぶやいた人がいて、それに「いいね」をつけたり賛同した人々が何万人もいたらしい。
控えめに言って、地獄。
必ず、「人のファッションをあざ笑っているが、お前自身のファッションはどうなんだ?」というブーメランが戻ってきますよ。
必ず、いずれ、自分自身に跳ね返ってくるんですけどね。
そういうことを自覚したうえで、他人を笑っているのかどうか。
元のつぶやき自体は「ダサい人」を直接的にディスってるわけではなくて「ダサい服を作るメーカー」をディスっている、というニュアンスなんでしょうかね。
『法律で(ダサいアイテムを)作るの禁止にしてほしい。売ってたら買っちゃうやつがいるんだから売らないのが一番。不幸な人間を増やさないで 』
みたいな話なんでね、元々は。
軽い気持ちでツイートした「冗談」だったのかもしれませんけど。
ところが、それに対して大量に付いたコメントなんかは、かなりアレな感じだったみたいで。
いつの間にか「ダサい人を笑う」みたいな方向に向かったり向かわなかったり。
そして今度は「笑われた」と思った人々が反撃に出る、的な?
なんだかんだで、壮大なスペクタクルへと。
エピソード2、エピソード3、みたいな感じで、誰かが言及していって、どんどん感染が拡大していって。(感染ってなんだ)
これはけっこう、現代人にとって、重要な問題なんだなぁ…という気がしてきたので、今回、言及することにしました。
結局これ、「ファッションの問題」というよりも「外見の問題」なんでしょうなぁ
これねぇ、想像しただけでも、どんよりしちゃうんですけど、元のツイートをした人のプロフィール欄にさ、
「文句しか言わない整形ブス」
って書いてあって。
正真正銘、メッチャゴリゴリメッチャゴリの、純度の高い「自虐」なんすよねぇ…。
しかも、
自分の「外見」に対して、鬼のようにコンプレックスを持っているであろう人物なのよねぇ…。
そういう人間が、なんかもう、いろんなことを拗らせた結果なのか、
「ダサい服を着ている人間」イコール「不幸な人間」。不幸な人間をこれ以上増やさないで!
みたいな、
とんでもない方向から敢行するマウンティングっていうかさ。
なんか、2重3重に闇が深いっていうか、
ドス黒い感情のミルフィーユ状態っていうんですかね、何層にも積み重なって、黒い歴史を感じさせる年輪となって、それが地獄谷よろしく地上にポコポコと沸き上がってきた結果、日本中のファッションがらみの怨念をかき集めるという、「オラにお前らの怨念を分けてくれ!」的な、悪魔的ドラゴンボール状態となり、この令和の時代に爆誕したわけじゃないですか。
え?
ワケが分からない?
でしょうねぇ、私も分かってませんから。
とにかくさ、このツイート主自身が、自分のルックスに関して、何らかのトラウマを抱えていることは想像に難くないワケですよ。
過去に、何か相当、つらいことがあったんじゃないでしょうか…?
これ、ツイート主自身も、何らかの形で「被害者」であると言えそうですよね…。
過去にこっぴどく、
周囲の人から「ブスブス」言われたのかもしれない。
笑われたのかもしれないし、
いじめられたのかのかもしれないし、
差別されたのかもしれないし、
・・・・・・・・・
んで、その結果、整形に走る、っていう。
しかし、一度ゆがんだ心はもう元には戻らないという事なんでしょうか、「ブスは整形してもブス」という思いが自身の中にこびりついているのか、
結果的には「自称・整形をしたブス」的な、あたかも「長靴をはいた猫」みたいな言い回しで、自らを名乗り、
ひたすら文句ばかり言うツイッターアカウントを作成し、この世に呪詛の言葉をまき散らすことで生計を立て、呪いのハンドメイド作家へと成り下がるという、勝手な家内制手工業、すなわち「負のマニュファクチュア」を実現させてるワケですよ。
これが、逆産業革命じゃなくて何なんでしょうか。
これからの時代、こういうのはますます、〇〇警察に取り締まられることになるのでしょう…
そう考えると、「外見にまつわるエトセトラ」、なかなかのキッツイ案件ではあります。
これからの時代「露骨に外見で人に点数をつける」行為は、ますます許されない。たぶん。
いまアメリカで「Black Lives Matter」的なことになってるじゃないですか。
肌の色が何色かで、人を差別したり、レッテルを貼ったり、そういうの無しだよね、って時代に突入しているワケじゃないですか。(本来はもともと無しだったわけだが)
ようするにこれって、大きなくくりで言えば、ファッションも含めて「人間を外見でジャッジするなよ」ってことですよね?違うのかな?
そんな空気の中で、件のツイートおよび、そこにぶら下がった「人のファッションを笑う」ような無数のコメント群、これ、どうなんでしょうか。
なんなんでしょうか。
こういう人々が数万人もいるなら、そりゃ「いじめ」も「差別」もなくならんだろうな、という気もしてきますよね…。
時代は変わり、価値観も変わる。
極論を言うと私は、これからの時代、
女性に対して「綺麗ですね!」とか「かわいい~~!」とか言うのも、許されない時代が来る
と思っています。
それって結局、突き詰めて言えば、「人を外見で判断している(点数をつけている)」ことに他ならないからです。
ルックスを採点して、その点数が、高得点(合格ライン)であれば、口に出して言ってもOK、みたいなルールは、そもそも成立しないんじゃないでしょうか。
高得点だろうが0点だろうが、そんなことはどうでも良くて、
そもそも根本的に、「私はあなたの外見をチェックして判定しています」的なニュアンスのことを発言した時点で、もうアウトでしょ。本来は。
アナタの外見をジャッジした結果を発表します!
私の中の基準に照らし合わせた結果、あなたのルックスは80点以上、すなわち合格なので「きれい~!かわいい~!」ということになりました!
・・・・・・
いや、そりゃおかしいよ。
どっちにしても「私は人間を外見で評価するマンです」って言ってるのと同じだから。
いま、パッと出会った人に対して、「きれい」とか「かわいい」とか言っちゃう人の脳内では、瞬時に、そして時には無意識的に「外見を(あるいは外見のみを)評価する」というプロセスが発生しているわけよね。
「合格にしろ不合格にしろ、そもそも見た目を評価する行為自体、もうやめよう」って話になるのは時間の問題だって気がするんだよなぁ。
「合格な時は見た目評価アリ」ってのは、違うと思うんよね。
まぁ近い将来、そういう時代が来ますよ。
オイラの近未来予想。
「若気の至り」っていうんですかね、3年前には、私もこんな記事を書きましたけどね。
こういうのも、今後は許されない時代になるのでしょう。
ってかね、3年前の時点でも、若干、批判を浴びました。
「帽子のつばピーン文化をディスるな!」って。
実際のところは、
「帽子のつばピーン文化を受け入れられないオレがダメ」みたいな「自己批判」的なニュアンスなんですけどね、どっちかっていうと。
あと、
「アマチュアがプロにあこがれて真似するのは分かるが、プロがアマチュアにあこがれて真似するのはモヤる」って話だったんだけどね。
でも、多少ディスられました。
いまなら、もうファッションに関しては、めちゃくちゃ慎重にならないと書けない。怖くて怖くて。
服装以外に関しても同様に「それって世界を生きやすくする行為なのか、生きづらくする行為なのか?」考えてから発言するべきなんだろうな
自分の発言が、
「生きやすい社会」を作り出す方向なのか、
あるいは
「生きづらい社会」を作り出す方向なのか。
書き込む前に、いったん、考えてみるのがいいんだろうね、本当はね。
実際のところ、私自身、深い考えもなく、なんでもかんでも、思いついたこと書いちゃってるんで、えらそうなこと言えないんだけどさ。
でもね、時々、思うんですよ、マジで。
自分が発した言葉は「世界を住みやすくするだろうか。それとも、世界を住みづらくするだろうか。」
・・・って。
そういう基準で判断して、言葉を紡いでいくのが、ナイスな人だと思うんですよね。本来は。
自分自身が実践できてないから、全然、ドヤ顔できないんですけど。
たとえば、ブログを書いてるとさ、時々、ディスり的なコメントとかもらうこともあるわけですよ。
んで、当然、そういう時はムカつくんですけど。
でもね、その時に、ちょっと思いを馳せるのです。
「この人は、誰のためにこんなコメントを書き込んだのだろう?」
「この人は、誰の魂を救うために、書き込んだのだろう?」
「この人は、誰を勇気づけるために、書き込んだのだろう?」
「この人は、誰を笑顔にしたくて、書き込んだのだろう?」
「この人は、誰に前向きなエナジーを届けたくて書き込んだのだろう?」
・・・・・・って。
1分くらい、考えるんです。がっちり分析してみるんです。
そうするとですねぇ、分かるんです。
おそらく大半のケースで、ディスりコメントを書き込んでくる人は「誰かのために書き込んでる」わけじゃないんですよね。
誰かを救うとか、勇気づけるとか、そんな意図はないんです。
誰かに前向きなエナジーを送り届けるつもりもないんです。
大半の場合、ただ単純に「自分の優越感のため」だったりするんですよね。
「単なるマウンティング」だったりするんです。
「イライラしている自分のストレス解消」だったりするんです。
「世の中を良くしよう」とか「住みやすい世界を作ろう」とか、そんな意識は毛頭ないんです。
そういう人が反射的に「自分を慰めるためだけに」あっちこっちの記事に嫌味を書き込んでたりするんです。
んで、そのことに気づくと不思議と、こっちの心のザワザワが静まっていくんですよね。
「可哀そうな人だな」と同情してしまう時もあるし、
もっと突き放して「こんな奴、相手にする価値もない」とか。
最近は、ネットで誹謗中傷を書き込むと、書き込んだ個人が特定されて裁判になったり逮捕されたりするケースも多くなってきたんで、少しは平和な社会に向かっているのかもしれませんけど。
ま、とくかくです。
何か書き込むときは「自分の言葉が、ほんの1ミリだとしても、世界を良くするのか悪くするのか」それを意識してみるとイイんじゃないかと思います。
そして、他人のファッションセンスをダサいとか、ダサくないとか言って、あざ笑ったりディスったりする行為は、当然「世界全体を生きづらくする行為」だと思います。
確かに、今回の元ツイートで指摘されていた服やバッグは、正直、私もダサいな…とは思います。
んがしかし、それを着用している人を「不幸な人」だなんて到底思えないし、「一緒に歩くの恥ずかしい」とも思いません。
感性の問題ですから。人それぞれですから。
誰が正しいって話でもないし。
あくまでも、自分にとってはダサく思える、ってだけの話であって。
「自分はダサいと感じるから買わないよ」ってだけであって。
なんつーかな・・・
たぶん私としては、ツイート主の「自称・文句しか言わない整形ブス」さんが抱えているであろう「闇の深さ」に対して、すごくショックだし、
もう一個、
そのツイートに付けられた「地獄コメントの多さ」に、すごくショックを受けているんだろうな…。
そもそも、ファッションとか流行とか、そんなものに振り回されていること自体がダサくないか?という自問自答が大事なのでは
私自身、若い頃はホントにもうね、趣味が「ウィンドウショッピングのみ」っていう、ファッション大好き少年だったわけですよ。
ファッション雑誌も、毎月買ってさ。穴が開くくらいまで熟読してさ。
センスが良いか悪いかはともかく、少しでもお金に余裕があれば、服を買ってる感じでした。
なんなら、食費とか削ってまで服を買うくらいの。
下手したら病気です。
「やまい」です。
服って、終わりが無いんですよね。
半永久的に買い続けなければならない。
どこまでもどこまでも、キリがないんです。
ここで終わり、ってのがない。
流行に翻弄されていたら、一生、どこにもたどり着けない。
流されて流されて、買わされて買わされて、カモられ続けるだけです。
なんなんだろうな、当時は、自分の心の隙間を、モノで、服で、埋めようとしていたのかもな…。
買ったけど1回しか着ない服とかもあったもんな。
ヤバかったですよ、心理状態が。
今思えばね。
当時はヤバさに気づいてなかった。
んで、なんかもう、
「ファッションとは何か」
とか
「おしゃれとは何か」
とか
「本当の意味でのかっこよさってなんだ?」
とか、
めちゃくちゃ考えて考えて、ぐるぐるぐるぐる何周も回って、突き詰めていったら哲学的な話になっちゃって。「生きるとは何か」とか。
結局いま、服装にはメチャクチャ無頓着なおじさんになってしまいました。
服なんてべつに、なんでもいいぜ、っていう。
そもそも引きこもりなので、あんまり外に出ないんですけど、近所に買い物に出かけるときとかは、けっこうめちゃくちゃな格好してます。
別に、誰かに評価してもらいたいわけでもねぇし。
そもそも他人を服装で評価する奴と関わりたくもねぇし。
一応、相方と一緒に出掛ける時は、相方の意向もくみ取って、トータルで見て違和感が無いように、なんとなくコーディネートしますけど。
基本的には、あれこれこだわらず、自然体でいきたい、って感じで。
結局ね、自然体なのにカッコイイやつが一番、カッコイイんですよ。
カッコつけてないのにカッコいい奴が、本当に真の意味でカッコイイ奴なのよ。
たぶん。
たとえばさ、たとえが間違ってるかもしれんけど、
「髪型イケメン」は、坊主にしたらイケメンじゃなくなるじゃん。
でもね、
本当のイケメンは、スキンヘッドでもイケメンなんだよね。
だったら我々は、
「精神的イケメン坊主」を理想とすべきなのではないか。
目指すべきは、こころのつるっぱげ・・・
・・・・・・・・・
何を言ってるのか分からなくなってきました。
これ、どうしますか。どうやって終わればいいですか。
最後に一個だけ、オススメのアイテム紹介して終わるわ。Teva(テバ)のサンダル「ハリケーン XLT 2」
もはや服装に無頓着な私ですが、一個だけ。
靴だけは絶対に、こだわった方がイイと思っています。
靴が自分に合ってないのは、本当にダメ。
どんなに見た目がかっこよくても、どんなに自分好みでも、自分の足型に合ってない靴だけは、ホント、マジで買わない方がイイです。
靴に関しては、外見よりも、100倍、中身が大事です。
メチャクチャ安い靴を買ってみたら、靴底が薄くて砂利を踏んだらメッチャ痛いとか。
ちょっと歩いただけで、すぐに壊れて、耐久性ゼロだとか。
あと、足に合わなくて痛いとか、すぐに疲れて長時間は歩けないとか。
靴の場合は、露骨に、その商品の「本当の実力」が試されますから。
適当に選ぶと、あとで後悔する可能性が高いんでね。
んで、「ファッション的にも機能的にも値段的にもナイスだから、とりあえずコレ買っておけば間違いない」っていうサンダルがあるんで紹介します。
テバの「ハリケーン XLT 2」っていうモデル。
誰でも一度は、街で、海で、見かけたことがあるはず。
とりあえず、1年中、これ履いとけば安泰です。
外国人のバックパッカーとか、ほぼほぼコレ履いてるイメージ。
今度、デカい荷物を背負っている旅人を見かけたら、足元チェックしてみてください。たぶん、ほとんどの場合、テバのハリケーンを履いてると思います。
それくらいの世界的ベストセラー兼ロングセラーなサンダルです。
ちなみに私も、私の相方も、テバのハリケーンを履いてますし、もしも買い替える時には、次も同じモデルをリピート買いすると思います。完成度高すぎ。
本当はこのサンダルの話だけで、がっつり1記事書く予定だったんで、今日はこれ以上書きませんが、とにかくおススメです。
ファッション的に良し。
機能的に良し。
しかも
値段的にも良し。
買わない理由が無いです。
(類似品に注意)
めちゃくちゃ長くなっちゃったんで、今日はこのへんで。
一応、ファッション関係の話。
こちらはファッションというよりも「生き様」の話。感動の実話。