ダメ人間になりたくなかった(でもなっちゃったかも)
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さっき、「ダメ人間になりたかった」という記事を読みまして。
いろいろ思ったりしたので、書いてみようかな。
なんとなく。
「オレ、ダメ人間だなぁ~」と思ってた「pha(ファ)」さんが、ふと周りを見渡してみると、自分よりもはるかに生きづらそうな人間が大勢いることに気づくわけ。
いろいろな人に会ううちに思ったのは「自分はそんなにダメではないかも」ということだった。
略
多くの人はもっと頭の中や心の中がゴチャゴチャしていて生きるのが大変なのか。そりゃあ世の中から揉め事や犯罪や戦争がなくならないはずだ。この世界は地獄だなと思った。
東京に来てからよく会うようになった人たちは自分よりもっと生きづらそうな人間が多く、なんとなくそういう人たちの集まりが自然に形成されていった。
家のない奴を家に泊めたり、金のない奴に金を貸したり、警察に保護された奴を引き取りに行ったり、病院に運ばれた奴を引き取りに行ったり、家中の刃物を隠したり、家中の酒を隠したり、自己破産の相談のため法テラスに行ったり、生活保護の申請のためNPOに相談したり区役所に行ったり、死んでしまった奴の葬式に行ったり、消えてしまった奴の部屋を片付けたり、そんな感じのできごとが東京に出てからたくさんあった。
う~む…。
ディープな世界だ。
確かに、phaさんは、ダメ人間ではない。
むしろ「非ダメ人間」というか「ダメじゃない人間」というか。
ちょっと救いのないことを言ってしまえば、
全人類の過半数は、phaさんよりもダメかもしれない。
・・・
いや、これは救いのないことではなく、救い?なのかな。
私が思うダメ人間とは「人と関わることが出来ない人」
人それぞれ、「ダメ人間」の定義って違うと思うんですけど、私の中では、「人と関わることが出来ない人」ってのが、すごく「ダメ指数」が高いかなって思っています。
まぁ、私なんですけど。
例えば、ものすごく極端な例を挙げると、
手足が無くても、「人と問題なく関われる」のであれば、生きていけるし、一般的に言う「成功」を収めることもできます。
輝くことができます。
乙武洋匡さんは、いわゆる五体不満足、生まれつき両手足がありませんが、すごく輝いています。
いわゆるリア充です。
ゴリゴリのリア充。
乙武さんの武器は外見(顔)、知性や積極性、いろいろあると思いますが、
人と円滑にかかわれる能力
「社交性」や「コミュニケーション能力」などが、えげつないんだと思います。
えげつないほどハイレベル。たぶん。
もしも乙武さんの目の前に神様的な何かが現れて、取引を持ち掛けたとしましょう。
神様的な何か(以下 K)
「こんにちは。日増しに秋の深まりを感じる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?」
「わっ!なんだチミは!?」
K
「私と取引をしませんか?」
Z
「と…取引だと…?」
K
「あなたに両手と両足を差し上げましょう。」
Z
「マジでぇ~!?超~嬉しいんですけどぉ~!」
K
「その代わりに、あなたのコミュニケーション能力を全部いただきます」
Z
「なにぃ~!?コミュ障になれってのか?」
K
「そういうことです。コミュ能力、全部いただきます」
Z
「そうするとどうなるんだ?」
K
「あなたは今後、人前に出られなくなります。」
Z
「……もし、人と関わったら?」
K
「1日、人と関われば、その後は体調不良で一週間、寝込むことになります。」
Z
「寝ていればいいのか?」
K
「もちろんその間、ずっとノイローゼ状態ですけどね。」
Z
「むむっ…。」
K
「どうですか?完全な両手足が欲しくありませんか?( ̄ー ̄)ニヤリ」
聡明な乙武さんは、この取引に応じることは無いでしょう。
手足が無くてもそれは直接的な「死」を意味するものではありませんが、
人と全く関われないという状況は、限りなく「死」に近いものを意味しています。
人と関わると体調を崩したり、精神的に病むというのは、下手すると両手両足が無い以上にどうしようもない状況なんじゃないかと思います。
まぁ私なんですけど。
どんな極悪非道の連中にも、仲間がいたり、家族がいたりしますよね。
それは一応、それなりにちゃんとコミュニケーションをとれているということです。
暴走族でもマフィアでも、カラーギャングでも何でもいいんですけど。
なんだかんだで、「人」と繋がっています。
たとえ犯罪者であってもです。
テレビのニュースで、我が子に手をかけて殺害した親の事件とか、時々やってますけど、それだって、加害者にはちゃんと配偶者がいて、子供もいたわけです。
たとえどんなに薄っぺらい関係性であったとしても、みんな誰かと繋がっているわけで。
そう考えると、徹頭徹尾、一貫して誰とも関わることが出来ずに、部屋で一人で孤立してるような人間の絶望感ね。
キツいだろうなぁ~と思いますよ。
地獄でしょう。
ということで私は、ニートや引きこもりのことが気になるのです。
私の場合、今はそれなりに楽しくやっております。っていうか過去最高に楽しい。
私の場合、だいたい小学校低学年の頃から
「この人達とうまくやっていくことなど、できそうにない」
と感じて生きてきました。
まぁストレスで吐き気をもよおしたりしながら、一応学校には通えてましたし、うわべだけでもなんとなく普通にやっていました。
なんだったら、普通以上に上手に立ち回っていたと思います。
「人と話すのがキツい。辛い。怖い」
と言っても、
「え~!嘘だ!信じられない!」
と言われる感じでしたので。
社会に出てからも、まぁ上手く生きていくことは出来てませんでしたけど、それなりにド底辺を彷徨うことは可能でした。
うわべだけでも、普通の人を演じることが出来ていました。
友達と呼べる人はいなくても、知り合いや彼女はいましたからね。
ところが。
困ったことに、挫折や再起を何度も繰り返すごとに、どんどん人間と関わることが出来なくなっていったんですよね。
普通は、努力したり経験を積めば、慣れたり、困難を克服できたりするんでしょうが、私の場合はむしろ症状が悪化する一方で。
一度落ちると全然復活しなくなってしまった。
前回の2倍、頑張れば、前回の3倍、寝込むような。
確実に泥沼だということが分かってきちゃった。
努力すればするほど、反動が大きいという地獄。
それでもう
「努力とか、そういうの辞めよう!無理!」
って開き直って。
社会復帰なんてや~めた!って。
まぁ、ある意味、自殺ですね。
「社会的な抹殺」を自ら選びました。
「もう、だれとも関わらないぞ!そうすれば落ちることもない★」
発想の転換。
そしたらもう、人生がバラ色ですよね。
「社会復帰しなきゃ」
「普通の人間にならなきゃ」
って思っていた時は精神的に不安定だったのに、
「復帰しない」
って決めたとたん、復帰できるくらい超元気に(笑)
今までの人生で一番充実してます(精神的には)。
おかげで精神的に安定して、このブログを始めることが出来たわけです。
インターネットっていいなぁ~。
ホント、ありがたい。
覚悟を決めて本当に良かった。
部屋から一歩も出ないといっても、実際には八百屋に買い物に行きます。
相方に連行される形でならギリギリ、旅行にも行けます。
挨拶や日常会話もできます(笑)
ただそれ以上のことは、しません。やめた。
やろうと思えばやれるけど、その後の反動が厄介なんですよね。
ぐったりして数日、寝込みます。
今、私には1人だけ理解者がいて。
相方の、通称・大福。
大福の目から見ると、私の生き方がすごく面白く見えるらしくて。
まさに、大福が「私」と「世界」を繋いでいる感じ。
多分きっと私も、軽々しく自分の事を「ダメ人間」だなんて言っちゃいけないのかも知れない。
私よりもはるかにキツい地獄を、今まさに、さまよっている真っ最中の人々だって、大勢いるはず。
phaさんが気づいたように、周りを見渡せば、もっともっと生きづらい人間がいっぱいいるんだろう。
地獄ですわ~。
やっぱ地獄(笑)
なんだかんだ言って、結局、私は幸せ者です。今はね。
こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、ホントにね、自分史上過去最高に毎日が楽しい。
心底、「あ~最高~ ♪」って思ってる。
(時々、ひとりごとで言ってるw)
特に何もないんだけどね(笑)
何もない毎日を楽しいと感じられるようになった、ってことなんだろうな。
【追記】もしかすると「嫌だなと思うことをやらなくなった」というだけで、心がウキウキしてるのかもしれない。そんな気がしてきた(笑)
最後に。今、ひとりぼっちで、絶望のどん底にいる人へ。
誰とも関わることが出来なくても、スーパースターになる方法はあります。
輝く方法はあります。
超絶コミュ障のカリスマ、ヘンリー・ダーガーの生き様を見よ!
生きていく方法はいくらでもあります。
どこかに突破口はあります!
私みたいなヘンテコな生き方してても人生楽しめてる人もいるから!
大丈夫!
(^^)