私のブログには頻繁に、相方の「大福」なる人物が登場する。
私にとって大福は圧倒的に重要な唯一無二の存在であり、「私」と「世界」とを繋ぐ架け橋だ。
ソウルメイトとも言える「大福」に出会ってから人生が激変した話をちょっとしよう。
今回、便宜上「ソウルメイト」という言葉を使うが、私個人的にはスピリチュアルなものに傾倒しているワケでもなく、言葉の意味や定義がどうだとか、そんな事には、まったく興味が無いしどうでもいい。
そのへん、ご了承ください。
私が「ソウルメイト」という言葉を使う場合「お互いが魂で繋がっていると感じている者同士」とか「ものすごくウマがあう者同士」というような意味合いでしかない。
それ以上でも、以下でもなく、難解な意味を含めるつもりはない。
ソウルメイト「大福」と出合う以前、人生は「出口の見えない真っ暗なトンネルの中」のようだった。
若い頃は、何のために生きているのか全然分からなかったし、分からなくては生きていけないと思っていた。
何をしていても「これじゃない」「違う」と感じていた。
「こんな事をしたくて生まれてきたわけじゃないだろう」
図書館へ通って、宗教や、哲学や、心理学や、精神医学や、自己啓発の本を読んでは、何かを理解したと勘違いし、その後は我に返って、また振出しに戻るという事を果てしなく繰り返していた。
本をたくさん読んだところで、多分、何も分かりませんよ。
そこには答えなんて、無い。
分かったような気分になるだけ。
一時しのぎです。
幻想です。
一生、幻想の中で生きていくことが出来れば、それは幻想ではなく、リアルになるけれども、多くの場合、いつか目が覚める。
あれ?他人の書いた本の受け売りで「オレの人生」を生きる事なんて出来ないじゃん。
オレの人生を生きるには、オレが答えを出すしかない。
100人いたら100通りの答えがある。
ところが、答えなんて、そう簡単に見つかるもんじゃない。
地獄といえば地獄。
しかし、だからこそ人生は面白い。
キツイ。つらい。絶望したくなる。
本当に出口なんてあるのか?って何も信じられなくなる。
そこからですよ。スタートは。
結局オレは、何も掴めず、何も得られず、人生の大半を消費してしまった。
ただ、好転する予兆はあった。
それは
「中途半端に、死んだように生きててもダメだ、怖がってないで行くしかない!」
と覚悟を決めた時だった。
そこから、ようやく「オレの人生」が回り始めたんだよね。
ずいぶん時間がかかっちゃったけど、まぁオレくらいのバカなら、このくらいは当然だろう。
凡人なら20年間、人生について悩んだり迷ったりするのは、デフォルトだと思う。
答えが出るまで20年。足掻け。苦しめ。
歴史に名を残すような超偉大な思想家、孔子でさえ「四十にして惑わず」って言ってる。
孔子が毎日毎日、考えて考えて、それでも40まで惑っていたのに、凡人が20代、30代で、何かを掴むだなんて、そんなの嘘だろ。
やっぱりね、やりたいことをやるしかなかった。勇気を出して飛び込んだ先で何を見つけたか。ソウルメイトの大福に出会った。
私はその時、芸術家になりたかったんだけど、ずっと躊躇していました。
成功できるわけがない、とかいろいろ考えたりしてね。
そして実際に成功しなかったけど、やっぱり挑戦して良かった。
大福と出会えただけで十分すぎるほど、ぼろ儲けです。
・・・で、大福に出会ったことで何が変わったか。人生がバラ色になった。
なんか、物凄く陳腐な言い方だけど、人生がバラ色になりました。
大福と一緒にいると、超~楽しい。
何をやっていても、楽しい。
よく、何かの待ち時間とかに大福と「しりとり」とかするんだけど、それだけでも楽しい。
何でもいい。
相撲でも、ジャンケンでも、大福とだったら、何やっても楽しい。
この存在は、一体なんなのか?
大福の代わりが務まるような人は、いない気がする。
これほど、自分にピッタリな人間はいない!
大福だけは、絶対に逃しちゃいけない!
そんな風に思ったワケ。
神様か仏様か知らんけど、何か人知を超えた存在からのギフトですよ。
「大福との出会い」は、ギフト。ご褒美。
相変わらず、人生は出口の見えないトンネルの中なんだけど、大福と一緒にいれば、それでも別にOKだって思えてくる。
出口なんて無くたっていいじゃん。
どこにもたどり着かなくたっていいじゃん。
それより僕と踊りませんか?
的な。
私が大福と出会った時に
「いた!ついに発見した!何故か分からんけど、昔から知ってる人みたいだ」
って感じたんだけど、大福も、私と同じように感じていたと言った。
大福と私は、性格は全然似ていない。
しかし、それが上手く功を奏しているような気もする。
お互いの欠けている部分を補うような感じかも知れない。
ともかく「ソウルメイト」に会えたか否かで、人生が別物になる。
地獄だったはずの人生がメチャメチャ楽しくなる。
「ソウルメイト=探していた自分自身の半分」を見つけたと感じた時、人生の目的の大半は達成したとさえ言えるんじゃないだろうか。
いや、これ以上の喜びは、もしかすると、無いのかも知れない。
さっきも書いたけど、この世は、鏡のようなもの。
自分自身を偽って「仮面」を被り続けているうちは、同様に「仮面」を被った人たちにしか出会えない。
「本当の自分」に出会いたければ、勇気を出して飛び込むしかない。
そしてそこでソウルメイトに出会えれば、これほど嬉しいことは無い。
最後に古代ギリシャの哲学者エピクテトスの言葉を。
宴席で作法を守るように人生の作法を守ることを忘れてはならない
ご馳走がまわってきて自分の前に来たら、手を伸ばして礼儀正しく一人分を取る
次に回っていくのを滞らせることのないように
まだ、まわってこないうちから欲しそうにしないで自分の前に来るまで待つように
子供についても妻についても地位についても富についても同じ事である
きっと、ソウルメイトも、恋人も、親友も、同じ。
欲しそうな顔をして待ってるべきじゃない。
自分自身が精一杯、一生懸命、何かに取り組んでいれば、おのずと自分の順番が回ってくるようになっている。
人生をバラ色にしよう。
すべては自分次第。