最近ブログの更新をサボって何をやっていたのかというと…

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このブログ「自由ネコ」の4月の投稿数、たったの14記事…。

ダメですね~。サボってますね~。

実は、ブログをサボって何をやっていたのかというと…別のブログを書いておりました。

 

1ヵ月で100記事。書いてるうちに、何が何だか分からなくなり、それでもなお書き続けた1ヵ月であった

サブブログの「自由メモ」。

jiyumemo.hatenablog.com

 

ブログ界の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)みたいなもんですね。

ウソです。

 

千日回峰行とは、ザックリ言うと山の中をひたすら歩き続ける修行。

 


道遥かなり 1

千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)とは、滋賀県と京都府にまたがる比叡山山内で行われる、天台宗の回峰行の1つ。満行者は「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれる。

「千日」と言われているが、実際に歩くのは「975日」である。「悟りを得るためではなく、悟りに近づくためにやらせてもらっている」ことを理解するための行である。

概要

7年間にわたって行う。1〜3年目は年に100日、4〜5年目は年に200日行う。

無動寺で勤行のあと、深夜2時に出発。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と260箇所で礼拝しながら、約30kmを平均6時間で巡拝する。

6年目にはこれまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60 km の行程を100日続ける。

7年目には200日行い、はじめの100日は全行程84 km におよぶ京都大回りで、後半100日は比叡山中30 km の行程に戻る。

千日回峰行 (比叡山) - Wikipedia

 

ちなみに、クレイジージャーニーにも出演した塩沼亮潤さんが達成したのは「大峯千日回峰行」だそうで。

「比叡山の千日回峰行」とは別物なんですね。知らなかった。

 

「大峯千日回峰行」は、千年以上の歴史がある「比叡山の千日回峰行」を模して近年に始まったもの

だそうです。

 

いろんなメディアで頻繁に「塩沼亮潤さんが1300年の歴史で二人目の大峯千日回峰行を満行」という表現を見かけますが、そもそも「大峯千日回峰行」の場合、歴史的には百年にも満たないのではないかという話みたいで。

歴史が浅く、それゆえ当然、満行者も少ない(2名のみ)ということなんでしょうかね。

元祖の方の「比叡山の千日回峰行」は、満行者が50人以上いるみたいだし。

(詳しいことは各自で調べてみてネ)

 

まぁとにかく、いずれにしてもスゴイことですよ、まったく。

 

私はこういう、黙々とね、ひとつのことに打ち込む修行みたいなの、好きなんですよね。

ひたすら、無心になって、やり続けるだけ。

 

無心になるまでやる、意識が飛ぶまで、徹底的にやる、そういうのが好きなんです。

 

とりあえず、サブブログでコツコツと、やみくもに、ひたすら、書いて書いて書き倒す1ヵ月間でした。

良い記事も、悪い記事も、ホームランも、三振も、あったかもしれません。

(いや、ホームランは無かったか)

 

とにかく、記事のクオリティなんて気にせず、ガムシャラに、よかろうが悪かろうが、後ろを振り向くことなく、次々と生み出し続ける毎日でした。

ある意味、理想的。

 

難しいことを考える暇もなく、後悔する暇もなく、常に前へ。

一度投稿してしまえばそれはもう、過去のもの。

振り返らずに、次の一歩を踏み出す。

その繰り返し。

 

最高じゃないですか。

ブログ、最高ですよ。

最高の精神安定剤だ。

 

うわっ、図らずも名言が誕生。

 

「ブログは最高の精神安定剤である」

 

悲しくなったらブログ。

泣きたくなったらブログ。

腹が立ったらブログ。

することがなかったらブログ。

 

何これ。

 

ブログ、最強じゃん。

 

気の合う仲間が集まったらブログ・パーティー。

 

冠婚葬祭にもブログ。

 

お茶うけに、ご飯のお供に。

 

ブログ万能説。

 

「千日回峰行」を2度満行し、87歳で亡くなった天台宗大阿闍梨(だいあじゃり)の酒井雄哉(ゆうさい)さんいわく。

“現代の生き仏”が死の3日前に語った「最期の言葉」 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

 

亡くなる3日前のこと。

声をかけると、目を開き、ニコニコとほほ笑み、ひと言、ひと言、ゆっくり、ゆっくりと話された。


 「思考力がなくなってきたんだよなあ。痛みもなんもないんだよ。人間の体はうまくできてんねえ」

 

 いま、どんなことが頭に浮かぶかと聞いてみると、

 

 「それがねえ、なんにも、思い出さないねえ……。欲がなんにもなくなっちゃったの。なんにもないんだな。人間って、なにか持っているつもりでいて、なにも持っていないんだな……」

 

 こう言ってまた目を閉じた。

 

意外と、死ぬことって、そんなに悪いことでもないし、怖いものでもない、って気がするね。

一説によると、人間は2週間何も食べない(エネルギー補給しない)と死んじゃうらしいんだけど、その時、恐怖とか痛みとか、感じないらしいんよね。

 

というのも、カロリーが不足しているから、脳がフル回転できないわけよ。

つねにボンヤリ、「夢うつつ」みたいな状態になるらしい。

いろいろ考えることもできない。

寝ぼけてる感じ。

恐怖を感じる部分も、 痛みを感じる部分も、正常に機能しなくなる。

あとはもう、眠るようにフェードアウトですよ。

 

ホントかどうか知らないけど、そんな話を何かで見つけて以来、 個人的には、ちょっと気が楽になりましたね。

あ~~、そんな感じなんだ…って。

 

なんか、話が思わぬ方向へ脱線してるようなので、軌道修正しますか。

 

死の間際の酒井雄哉大阿闍梨いわく。

人間って、なにか持っているつもりでいて、なにも持っていないんだな

 

 ありがとうございます。

 

豪邸も、高級車も、エルメスのバッグも、地獄までは持って行けない。

 

「無」ですよ、「無」。

 

それでいいのだ。

 


一日一生 (朝日新書)

 


続・一日一生 (朝日新書)

 


がんばらなくていいんだよ

 

サブの方のブログ。

たまには様子見にきてちょんまげ。

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