私は過去に「人生に行き詰ったら旅に出ろ!」的な記事を書いたことがあります。
「旅はイイぜ!旅推奨!」みたいな。
しかしですね、実を言うと個人的にはもう、ホントね、
「旅とか旅行とかマジ勘弁!」って心境に達しております。
プリン食いすぎると、プリン嫌いになるじゃん?
あの感じかも知れない(全然違うかもしれない)。
逆に言うと、地球人全員、「もう旅とか超ウンザリ!」ってなるまで、徹底的に旅してもいいんじゃないでしょうか。
おそらくね、もともと別に、旅が好きなワケじゃなかったんでしょうね、私の場合。
でもさ、
煮詰まっちゃって。人生に。
どうしようもなくなっちゃったから、とにかく環境を強制的に変えなきゃダメだなって思って、アパート解約しちゃったんですよね。
20代の後半くらいの話。
とにかくさ、「社会の歯車」のひとつとして、ただグールグールと回ってるだけの人生なんてまっぴらだ!まっぴらぴらすけ出ておいで!
…ってなるじゃないですか、若い頃って。
なんかもう、全部、納得いかなくてさ。
社会に対しても、自分に対しても。
共同便所、共同玄関、家賃2万のボロッボロのアパートの四畳半にこもってさ。
「人生とは何ぞや?」
って考えてても、ラチあかねぇな、ってなって。
どうやって生きていったらいいのか、全然分かんなくなっちゃってさ。
んでさ、確実に間違いないのは「このままではダメだ」ってことなのよ。
それだけはハッキリ、分かってる。
そんな時に、たしか…
アウトドア雑誌のBE-PAL(ビーパル)でさ、九州までヒッチハイクする、っていう記事を見かけたワケ。
それで、ピンと来た。
私は、人にペコペコ頭を下げるのが大嫌いだったし、他人の善意をあてにしながら旅をする、っていうのは性に合わなかったから、人力で、自分の足で移動しようって思ったんだよね。
それから、人力で移動する旅行者とか冒険家の本を図書館で読みあさって、イメージトレーニングですよ。
有名無名問わず、国内国外問わず、陸上海上問わず、とにかくいろんな人の旅行記?を読んだ。
徒歩、
自転車、
ローラースケート
車椅子
乗馬用の馬
カヤック
リアカー
……などなど。
旅の資金を確保するために真面目にバイトするようになって。
無駄遣いもしなくなって。
体(というか足)を慣らす意味で、バイト先までは往復2時間だったかな、自転車で移動するようになって。
少しずつ、キャンプの道具とか買いそろえて。
心技体、っつ~かな、全方位的に、準備を進めていくわけですよね。
着々と準備が整ってる時って、楽しいんだよね~。
遠足の前のような気分。
とにかくね、人生に煮詰まってるヤツは、強制的に環境を変えるために、旅に出るといいですよ。
自分の中で必ず、何らかの変化がありますからね。
ニート&ひきこもりには、ぜひ薦めたい。
家族との関係で悩んでるとか、仕事の関係で悩んでるとか、人間関係で悩んでるとか、まぁとにかくそういうの、全部、ブン投げて、逃げちゃえばいいんですよ。
もちろん、旅なんてしなくても、部屋で座禅を組んで瞑想してるだけで、何かに気づけるなら、それに越したことないんだろうけどさ。
凡人にはなかなか難しいからなぁ。
旅に出て、いろいろあって、ドミノが倒れるように人生が激変して、現在に至る。自分が得た一番大きな「気づき」は…
いろいろと心境にも変化があったしね、目には見えないけど得るものもたくさんあったと思います。
んで。
とにかく、私の中で、一番、大きかった気づきはね、
ひとりで生きててもあんまり楽しくない
みたいなことだったんだよなぁ…。
言っとくけど、それまでの人生、散々、ひとりで生きてきたんだけどね。
「ひとり、最高!」くらいの人間だったからね。
でもある時、はじめて、
誰かと一緒に生きた方が楽しいだろうな。
ってメチャメチャ思ったんだよね。
痛感したというか。
・・・・・・・・・
どこだったか、琵琶湖だったか、忘れちゃったけどさ、
今日はここで寝ようって思ってさ、夕日が沈むのを見てたのよ。
すごくイイ景色っつ~かな、感動したんだよね。
夕日なんて死ぬほど何回も見てるんだけど。
おぉ~!
って思って、写真撮ってさ。
その時に、もしも周りに誰かがいたら、
「この景色、スゲーな!」
って、話しかけてたと思うんだよね。
相手は単なる通りすがりの、全然、知らない人だったとしても。
いま自分が味わっている感動を、誰かと共有したい!
って、強烈に思ったワケ。
なんというセンチメンタル。
普段はそういうこと全然思わないんだけどさ。
もう何百日も日本各地を放浪しながらテント生活しててさ。
精神的にもいろいろ、極限状態にあったのかも知れない。
喜びは分かち合えば2倍になり、
悲しみは分かち合えば半分になる。
…みたいなこと、よく聞くけどさ、ホントにね、そう思ったんだよね。
今ここに誰かがいたら、自分はもっとうれしいだろうなって、心底思ったワケ。
多分、この経験だと思うね。
自分の中で一番大きかったのは。
「さびしさの向こう側」を知った、みたいな。
なんか変な言い方だけど。
これさ、多分、実体験じゃないと分かんないのよ。
「誰かと一緒に生きるって素晴らしいですよ」って本に書いてあるのを読んだだけではダメなんだよな。自分の血や肉になるかっていうと、ならない。
「実感」がないと気づけない。
理想を言えば、ひとりで生きていけるのがベストなんだろうけどさ。人は誰でも、矛盾を抱えて生きているのです。
「誰かと一緒に生きる」ってのは、危ないっちゃ危ない面もあるんですよ。
いわゆる「共依存」とかね。
たった独りで生きていくことができれば、他者に翻弄されることはなくなるわけで、それはある意味、理想と言えば理想的な生き方なんですけどね。
それって無人島で生きるようなもんだから、あまり現実的ではない。
そして、
ひとりの人間に依存せず、バランスよく数人に依存すると精神的に安定しますよ、っていう考え方も、正しいと言えば正しい。
これはもうね、人の数だけ、正解があるんすよね。
どの生き方が正しいとか、どの生き方が間違えているとか、そういう問題じゃないんで。
各自がそれぞれ、自分にとっての心地よいスタイルを取り入れればいいんでね。
んで。
自分の場合は、
紆余曲折あって、「大福」という、ソウルメイト的な相方と出会えたおかげで、今のスタイルに落ち着いたんだけどさ。
ちなみに大福さんは、旅行が好きなんですよ。
登山とか、キャンプも行くしね。
それで私も、大福に連れ回されて、今でもあちこち行くんだけど、正直な話、私は旅行とか全く興味なし。
どこにも行きたくない。
部屋でブログを書いていたい。
大福が行こうと言うから、ついていってるだけ。
これがすなわち、誰かと共に生きるっていうことだと思うんでね。
私は大福と共に生きるって決めたから、自分の人生の半分は大福に差し上げようと思ってるわけです。
大福も人生の半分を私の都合に合わせてくれてると思うしね。
お互いさま。
「誰かと共に生きる」ってのは、自分の人生の半分を相手に預ける、ってことだからさ。
それって、自分の都合が押し通せる状況が半分になるってことだから。
関連過去記事
「旅」って言ってるけど、本当は「人生」って言い換えても同じなんじゃないかと思っております。
話があっちこっちに飛んでる気がしますけど、どこかでうっすらと繋がっていると思って、大目に見ていただきたいです。
この記事のタイトルに「もう一人旅なんてしない」ってワードを入れたわけですが…。
これね、人生も同じだなぁと私は思っているわけです。
「一人旅」イコール「ひとりで生きていくこと」
これはもうね、十分です。
もうウンザリ。
マジ勘弁。
大事なのは、家族だったり、友達だったり、恋人だったり、「分かち合える人」がいるかどうか。
やっぱりね、喜びにしろ悲しみにしろ、分かち合える人がいるのといないのとじゃ大違いなんすよ。
完全に、全くの別物になっちゃう。
逆に言うと私は、
「分かち合える人」がいれば、それでもう十分なんじゃないか?
本当に必要なものはすでに手に入っているんじゃないか?
すでに幸せなんじゃないか?
っていう気さえしています。
きっと、もうね、十分なんです、私は。
足りてる。
満たされている。
そういうことなんだと思います。
だからもう、ひとりで旅に出たいなんて全然思えない。
大福と一緒なら行ってもいいかな、って感じです。
なんとなく、まとめましょうか。とにかくね、旅したくなくなるまで、旅してみると良い。
人生に行き詰って、どうしようもなくなった時は、全部捨てて、旅に出てみましょう。
2泊3日とかじゃダメですよ。
そんなのは、ただの息抜き、その場しのぎでしかない。
何かを掴むまでは戻らない!という覚悟ね。
会社も辞めて、友達とも縁を切って、恋人とも別れて、家族とも音信不通状態…。
「不退転の決意」ってやつですね。
逃げ道を全部ふさぐ。退路を断つ。
そのうえで逃避行!
…って、なんか矛盾してますね。
逃げるんだか逃げないんだか。
どうやって生きていけばいいのか分からない?
何をすればいいのか分からない?
じゃあ…旅だ!
幸運を祈ります。
私の場合、自転車のあと、物足りなくなって徒歩の旅も。