「とりあえず、これ読め」っていう、集大成的なエントリーを書こうと思う。
一家に一台的な、人生のバイブル。
あくまでも「オレなりの」ではありますが。
これを読めば、人生、八方ふさがりで、どうしようもなくなった人や、いわゆる「翼の折れたエンジェル」的な人も、何らかのヒントや気づきを得ていただけるんじゃないかと思います。(何の参考にもならなかったら、その時はスマン!)
いきなり「神髄」みたいなこと書いちゃうけど、結局ねぇ、「ひとりの方が楽かも知れんけど、ふたりの方が楽しいんだぜ」って話なのよ
どっちを選ぶかは、それぞれの好みとか、自分の適性を考慮して、各自で判断すればいいと思うんだけどさ。
(便宜上「ふたり」と表現していますが、ようするに「複数」という意味合いです)
ひとりで生きるのか。
それとも
ふたりで生きるのか。
まぁ例外も当然あるんでしょうが、基本的には、こういうことなのよ。
ひとりだとラク、
ふたりだとタノしい。
これ、面白いですね。
意味がちょっと違ってくるのに、
「楽(ラク)」も「楽しい」も、どちらも同じ「楽」という漢字なのね。
んで。
まず、「ラク」と「楽しい」、どっちを選ぶのか?ってのが、大きな分岐点だと思うんよね。
ひとりで生きていくつもりなのか、
それとも
ふたり(あるいは二人以上の複数人)で生きていくつもりなのか。
どちらも、一長一短あると思うんでね、各自が自分にとって、しっくりいく方を選べばいいと思います。
ただね。
誰かとふたりで生きていく方の道を選ぶなら、覚悟してくださいよ。
誰かと生きるっていうことは「自分の人生を半分、相手に差し出す」っていうことと同じですからね。
こっちを選んじゃうともう、自分の人生なのに、自分の思い通りにはならんのですよ。
せいぜい、うまくいって50%。
残りの50%は、相手の都合で決まると思ってください。
基本的にはフィフティーフィフティーです。
なんでも「半分こ」です。
この過去記事とか、参考になるかもです。
「自分の人生の半分を誰かに差し出すのは嫌だ」と考えている人々は、こういうコミュニティを形成するのもアリかと。
シェアハウスよりも親密、しかし家族よりは薄い関係。
友達以上、家族未満、的な。
このエントリーも、ズバリ核心について書いています。
旅も人生も同じですよね。
ひとりよりもふたりの方が、きっと楽しい。
分かち合えば、楽しさは2倍に、悲しみは2分の1になる。
もちろん、ひとりで生きていく方の道を選んでもOKです。
私も時々、孤独を愛するスナフキンのように生きられたらいいのになぁと思うこともあります。
おそらくねぇ、今この記事を読んでいる大半の方々は、「誰かと共に生きる」方の道を選択するんじゃないかと思います。
だって、スナフキンほどの強さを持ち合わせている人なんて、そうそういないもんね。
向き不向きはともかく、ほとんどの人間は、できることなら誰かと一緒に人生を共有したい、と感じているはずです。
「ウマの合わない誰かと一緒にいるくらいなら、ひとりの方がマシ」
という場合はあるでしょうけど、
「ウマの合う誰かと一緒にいるよりも、ひとりの方がマシ」
ってひとは多分いない。…ハズ。
ということで、じゃあ次は、その「共に生きてくれる誰か」と出会うにはどうしたらいいのか?っていう話になりますよね。
はい、考えていきましょう。
「生涯の伴侶」とか、「人生のパートナー」とか、「相方」とか、言い方はいろいろあると思いますが、人生の大半の時間を共有してくれる誰かに出会えたならば、それはもう、人生のミッションの大半をクリアしていると言っても過言ではない…という気がするんですよね~、個人的には。
それくらい、人生の一大イベントだと思うんです。
「人生の半分を分け合える相手」と出会う、って。
これはねぇ~…、
なかなか一筋縄ではいかないと思うんですよね。
だって、自分ひとりでどうにかできる問題じゃないですからね。
相手がいるわけだから。
言ってみれば「相思相愛」、相手側も自分と同じように思っていないと成立しないわけだからさ。
自分が相手を気に入っていても、
相手が自分を気に入っていなければ、関係は成立しないわけです。
ここですよ、難しい点は。
んで、時々、「あ~女にモテてぇ~!」とか、「彼女ほしい~!」とか露骨に言っちゃってる人、いますけどね、コレ、逆効果だと思うんすよね~…。
私の実体験から導き出した「モテの極意」
モテたいって思えば思うほど…モテないんだぜ!
3割増しで持てる方法も伝授!
あとねぇ、古代ギリシャの哲学者エピクテトスの言葉も紹介しておきましょう。
宴席で作法を守るように人生の作法を守ることを忘れてはならない
ご馳走がまわってきて自分の前に来たら、手を伸ばして礼儀正しく一人分を取る
次に回っていくのを滞らせることのないように
まだ、まわってこないうちから欲しそうにしないで自分の前に来るまで待つように
子供についても妻についても地位についても富についても同じ事である
これですよ、これ。
まだ、まわってこないうちから欲しそうにしないで自分の前に来るまで待つように
子供についても妻についても地位についても富についても同じ事である
人生のマナーというか。作法というか。
あんまりクレクレ言ったり、欲しそうな顔をしない。
ちゃんと自分の順番が回ってくるまで、平然と待つこと。
子供についても、妻についても、地位についても、富についても。
・・・・・・
これがなかなかできていない、見苦しい人、周りにいませんか?
やっぱ、欲しがれば欲しがるほど、逆効果な気がしますよねぇ~…。
あとこれ。
ホント、気を付けたいですね。
素敵な人に出会いたければ、自分自身も素敵な人になるしかないんです。
イモ食って屁こいて、ソファーに寝そべって昼ドラ観てるだけで、みるみるうちに素敵な人たちが自分の周囲に集まってくる… なんてことはないんですよ。
そんな都合のイイ話は無いんです。
今のアナタを取りまいている状況は、アナタがひとつひとつ人生の岐路で選び取ってきた「無数の選択」の積み重ねの結果なんですよ。
だから
「私の周りには素敵な人がいない!」
って言っちゃうのって、
「私は思慮深さのない、あさはかな人間です」
とか
「私は自分自身を客観的に見ることができません」
とか、
カミングアウトしてるようなもんなんです。
もしも今、まだ「相方」に巡り合えていないのなら、淡々と、平常心で待ちましょう。
高望みはいけませんよ。
イイ男、イイ女を選ぶのではなく、「自分にピッタリな人」を選ぶのです。
自分に不釣り合いなくらい「良い人間」を選ぼうとするから、相手が見つからなくなる。マッチングしなくなる。
はい、以上を踏まえまして…。
ここまでの話をちゃんと理解して、やるべきことを実行し続ければ、いずれは「人生のパートナー」に巡り合えるんじゃないかと思います。
これ別にね、「異性」とか「結婚相手」とかに限った話ではなくてさ。
親子の関係かもしれないし、友だち同士かもしれない。
はたまた、運命の相手はペットの猫かも知れないし犬かも知れない。
いずれにせよ、やるべきことを地道に続けていれば、必ずいつか、自分の順番が回ってくるはずです。
いつか、「人生を共有してくれる誰か」が、目の前に現れるはずです、
ですから、その日を想定して、普段から、今の自分にできることをやりましょう。やり続けましょう。
あ、そういえば。
余談ですが、先週かな、先々週かな、このブログが4周年だったんすよね。
そう言えば何日か前に「はてなブログ」さんからメール来てました。感謝。
— 自由ネコ@はてなブログ (@gattoliberoTW) 2020年2月18日
まだ4年ですよ。ぜんぜんハナタレ小僧。
若手ですよ、若手。
ここからが本当の勝負。 pic.twitter.com/LUP5ObVWos
んで一応メモっておくと、4周年の時点で、読者数2500超え、累計アクセス数570万超えって感じで。
3周年の時と比較して想像以上にメッチャ増えているのでビビりました。全く実感が無いです。
ありがたいこってす。感謝感謝です。
最近、サボりがちなのでちょっと反省。
今後も、10周年、20周年、目指して、淡々と、地道に、魂を燃やそうと思います!