先ほど「パック寿司の蓋を醤油皿にする女」という匿名のブログ記事(嫁に行けないよと言われた…という内容)を発見。
これ、誰でも心当たりあると思うんですよ。
スーパーで買ってきたお寿司とかさ、醤油のためにわざわざ小皿を用意するのも面倒だな、って時、ありますよね。
そもそも「スーパーの寿司」をチョイスした時点で、時間なり、労力なり、かなり妥協してるはずですから「醤油皿」を妥協するのは誤差の範囲内でOKじゃね?って気もしますが…。
さて。そういう女性は嫁に行けないのかどうか。
こんな記事を発見。「パック寿司の蓋を醤油皿にする女」そんなことじゃ嫁に行けないよと言われました。…とのこと。
一部抜粋。
そんなことじゃ嫁に行けないよと言われました。
①パック寿司の蓋を醤油皿にしても何も思わない男と結婚する
→それはそれで微妙
②きちんと醤油用の器を出す女に私がなる
→几帳面な男と結婚する
この後、③、④、と続きます。
んで、このかたの結論としては、こんな感じね。
私は皿を出して洗うより捨てるものを皿にした方が洗わず済んでエコやなと思うしそういう反論してしまうんでまず結婚から厳しいんですけど…
醤油皿うんぬんというよりも、むしろ、
「エコだとかなんだとか、それっぽい理屈をこねて反論する」
そういう性格の方が問題で、結婚が難しいのかな…っ自己分析をなさっているようで。
いろいろ考えてるんすね~。大変なんだね~。
「パック寿司の醤油」案件と「嫁に行けない」案件には、直接的な因果関係など1ミリもないような気がするんですがねぇ…。
結婚している女性の中にも、寿司のフタを醤油皿にする人、大勢いると思うし。
逆に、
毎回マメに醤油皿を使う人の中にも、結婚できない人、大勢いると思うし。
ぜんっぜん、関係ないと思うんだけど。
でも、それでも、関連付けて考えちゃうってことは、結婚できなくて困ってる人は、ものすごく敏感になってる、ってことなんでしょうね。
「はい、それ!それが結婚できない原因!」
って、周囲の人間に指摘されたら、ああそうか、そうなんだな、って思いこんじゃうんだろうね。
「余計なお世話だ。うるせーんだよ、ボケ!」
って心の中で思っとけばいいのにね。
全然、気にしなくていいのに…ってわけにはいかない状況なんすかね~。
大変だね~…。
少ない情報量の中で、このかた(通称・増田氏)が結婚できない理由を推測してみた。
この醤油皿の記事を「はてな匿名ダイアリー」に書いたかた、仮に増田さんとしますが、
増田さんは、「結婚したい、でも結婚相手がいない」っていう状況なのかな。
(勝手に推測&妄想)
それである時、友だち同士なのか、親戚の集まりなのか、スーパーで買ってきたお寿司食べようってことになって。
「醤油皿、わざわざ用意しなくていいよね?パックのフタの部分を醤油皿に使えばエコだし」
って思って実行したところ、
周囲の人に
「あなたのそういうとこ!それが結婚できない原因!」
って指摘された、って話のようですね。
まぁねぇ、
「あなたのそういうズボラなとこ、よくないよ!」
って指摘されたってことなんだろうけどさ、これ、実際問題、どのくらいズボラな人間なのか?ってのは、これだけでは判断できないからねぇ~。
増田さんの「ズボラ度」がどのくらいか。
こういうのって「一事が万事」って部分、あると思うのよ。
醤油皿に関してはズボラだけど、それ以外はすごく几帳面でマメ…なんてことはないと思うんだよね。
問題は、「じゃあ、どのくらいズボラだったか?」
っていう程度の問題、あると思うんよね~。
たとえば。
靴下に穴が開いていても気にしない程度か。
靴下が片方、裏返しだったとしても気にしない程度か。
靴下が片方、明らかに別の色でも気にしない程度か。
あるいは、
靴下が、歩いているうちに半分脱げて、土踏まずのところにだぶだぶに溜まってるけど気にしない程度か。
はたまた、
靴下を片方、履いていなくても気にしない程度か。
ん?
何の話だったか、分からなくなってきた。
ま、とにかく、増田さんが、とんでもなく、アクロバティックなまでにズボラ、っていう可能性も無くはない。
そして、そういう場合なら、ズボラさが命取りとなり、結婚できない、ってのは、あるかも知れない。可能性としてさ。
でもね~、そこまで徹底してズボラな人、あんまりいないと思うんだよね…。
だから今回は、その可能性は除外してもいいと思う。
(じゃあ今までのくだりは何だったんだ?って話)
それよりも、気になるのはここよ。「フタを醤油皿男子と結婚⇒微妙」っていう考え方!
もう一回、引用しますよ。
①パック寿司の蓋を醤油皿にしても何も思わない男と結婚する
→それはそれで微妙
「それはそれで微妙」 って何?
これ、なんかすごく、モヤッとするね。
自分のことは棚に上げてる感、ハンパなし。
率直に言って、イイ意味で「割れ鍋に綴じ蓋」って思っちゃうけどなぁ…。
あなたにとって、ちょうどいい、ピッタリのパートナーじゃないの?って。
でも、それでは納得できない、ってことなんでしょ。
自分にピッタリじゃダメで、もっとマシな相手じゃないと、満足できない、ってことなんでしょう。
・・・・・・・・・
それじゃあ、結婚できなくて当たり前だよなぁ…。
人間に点数を付けることなんてできないとは思うんだけど、あえて話を簡単にするために点数制で説明するとですよ。
「80点以上の男と結婚したい!」って言ってるあなたは60点の女ですよ?
って話じゃないですか。
そりゃ、上手くいくはずがない。
もし仮に、60点の女が80点の男と結婚できたとしたら、
女にとっては大成功だけど、
男にとっては大失敗ってことだし。
女はヨッシャー!ってガッツポーズするかもしれないけど、男にとっては悲劇ですよ。大ハズレ。
これ、逆もまたしかりで、男女が入れ替わっても同じことだよね。
高望みするから、上手くいかない。
あるいは、自分のポジションが見えてないか。
自分を80点だと思い込んでるけど、実際は40点だったりして。
無意識のうちに自分を過大評価していないか?
「自分とピッタリではないパートナー」を求め続けていないか?
よく「恋」と「愛」は別物、とか言うけれど、「結婚」に何を求めるか?も、人それぞれ
ものすごーーーく、極端に言っちゃうと、恋人とか、結婚相手に求めるものを、強引に2つに分けるとしたら、
「ドキドキ」
か
「安心感」
か?
ってことだと思うんよね。
ザックリものすごく乱暴に分けちゃうと、って話。
若い時なら、パートナーに「ドキドキ」を求める人が多そうだし、
年取ると、パートナーに「安心感」を求める人が多そうだよね。
「ドキドキ」が何なのか?ってのはよく分からんけど、何だろうねぇ「安心感の逆」とか「危険な香り」みたいなこと何でしょうかねぇ…。
酒井法子さんは、高相祐一氏を選び、
矢田亜希子さんは、押尾学氏を選ぶという…。
これねぇ~、個人的には研究テーマとして非常に興味深いと思うんですけどね、酒井法子さんも、矢田亜希子さんも、独身当時は、男なんて選びたい放題だったと思うんですよ。
とりあえず自分の周辺の誰を選んでも、結婚できたと思うんです。
選択肢はごまんとあった。
そんな中で、結婚相手に選んだのは、高相氏であり、押尾氏だったというのがねぇ…。
なんかすごく不思議な感じしますよね。
究極の「ドキドキ」は犯罪スレスレってことなんでしょうかね。
(まぁ、スレスレっていうか、結果的には向こう側に行っちゃってますけど)
話が脱線気味なので、戻しますか。
いや、脱線ついでにもう一個脱線しておく。
恋人ならまだしも、結婚相手にまでドキドキを求めちゃうと、大抵の場合は上手くいかなくなるんじゃね?
結婚相手にドキドキを求めちゃうケースとして、ドラマ「カルテット」のクドカン&松たか子夫妻のケースがあったじゃないですか。
私はもう、まっっったく、クドカン(宮藤官九郎)に感情移入できなくてさ。
ネタバレというか、もう説明しちゃうけどさ、ドラマが進むうちに、明らかになっていくわけですよ。
クドカンは「一生、ドキドキしたいから」松たか子を結婚相手に選んだわけよ。
でも、実際に結婚してみると、松たか子も、意外と普通の人間だったんだな…だからもう、結婚生活無理!
僕は君に、もっとミステリアスな女性であってほしかった!
ということで、失踪しまーす!
っていう、
クドカンの言い分、全然、意味わかんねぇっつーか。
いずれにせよ、「ドキドキ」を相手に求め続けるのは、酷だよね。
何その要求。
結局、「ドキドキ」を求めてパートナーを選んだ場合、長く続かないのかも知れない。
まず「人選」という時点で失敗する可能性が高いというか。
そしてもうひとつ。
もし仮に、人選としては間違えていなかったとしても、
結婚生活に「ドキドキ」を要求し続けるなら、いつかどこかで、破綻する可能性が高いんじゃないだろうか。
っていうかね、こんな話をしようと思ってたわけじゃないんだけどさ。
何を書こうと思っていたのか、正直、思い出せないんよね…。
ちょっと思い出す時間を下さい。
(しばし休憩。マジで)
ダメだ。思い出せない。今から着地の方法を考えます。
はい、なんとなく閃きました。
もう一回、増田氏の記事、読み返してみたけどね、これさ、増田氏はさ、
- 私のルールに従わない者は許さん。
- 私はマイルールにのみ従う。他人のルールうざい。
っていうスタンスなんだろうね。
だから結婚できないんじゃないだろうか。
あるいは、結婚したいと思える人物が現れないんじゃないだろうか。
増田の中では「増田ルール」っていう、絶対的な約束事があって、自分としては、それを順守したい。
それでいて、他人が増田ルールに違反するのは許せない。
自分が王様じゃないとダメ。
そりゃ、結婚できないし、しない方がイイ。
結婚すれば、半々だからね。
自分の意見を尊重してほしいなら、相手の意見も尊重しないと。
でも、それは許せない、っていうんなら、ひとりで生きていった方がイイ。
私ね、独居老人の問題ってさ、時々考えるんだけどさ。
「老人の独り暮らしって、何かと危険だから、この世から独居老人を無くしましょう」
みたいなの、なんかすごく違和感あるんすよね~。
だってさ、「独居老人は良くない」っていうんなら、独居老人同士で、一緒に住めば良いじゃん?
そうすれば、孤独な老人同士、話し相手も出来るし、緊急時に通報してもらえるし、お互いにウインウインじゃん?
でも、実際には、そうはならない。
おそらく、実際に、孤独な老人同士をマッチングして、一緒に住まわせても、上手くいかないんよね。
「ワシ、こんな頑固なジジイと一緒に住むの、イヤじゃ!ひとりの方がマシ!」
って声が上がると思うんだよね、お互いに。
お互いがお互いの存在を容認できないと思うんだよ。
そして、そういう人同士を無理矢理、同じ箱の中に閉じ込めても、きっと上手くいかないんよね。
独居老人は、自分と同じような独居老人と、空間や生活をシェアすることを望んではいないと思うんよ。
もっと言ってしまえば、独居老人は、他の人と一緒に折り合いをつけて生きていくより、自分のルールの中で生きていくことを望んでいる、ってことだと思うんだよね…。違うのかな?
できることなら、誰かと一緒に生きていきたい、でも、そのために、ライフスタイルの半分を妥協しなくちゃいけないとしたら、それは嫌だ、だから独居老人やってます、ってことだと思うだよね。
これ、結婚生活とか、家族の問題とかも、ある意味では同じだよね。
誰かと一緒に住むのなら、誰かの意見も尊重しなければならない。
誰かと一緒に生きるなら、自分の人生の半分は相手に差し出さなければならない。
「オレはお前のルールには従わない。お前は俺のルールに従え。」
そんな都合の良い話は無いってことだよね。
誰かと共に生きるってのは、ある意味では、自分を半分捨てるってことだ。
それができないなら、将来、独居老人まっしぐら!ってのも致し方ないと思う。
ひとりきりなら、パック寿司のフタを醤油皿にしても誰にも文句は言われないし。
結局、グダグダになってしまいましたが、一応の結論。
パック寿司の蓋を醤油皿にするからと言って結婚できないわけではない。
「フタ醤油女」には、ちゃんと最適な「フタ醤油男」が存在しているはず。
問題は、フタ醤油女がフタ醤油男を「微妙だ」とジャッジしていること。
こんな感じかな。