自分の場合うっかりすると、ついつい「正論めいたこと」ばかり言っちゃいそうになるんで、あえて定期的に「クレイジーなこと」を言うように心がけています。
善人とか、常識人とか思われても困るし。
「自由ネコさんは良い人だ」とか「優しい」とか、勝手に勘違いして近寄ってきて、勝手に失望して去っていくとか、ホントマジめんどくせぇ
結局これねぇ、勘違いさせない、ってことが大事なんだと気がついたよ。
最初から「善人」とか「正義の人」とか「優しい」とか「常識人」とか、そういうイメージを持たれないようにするってことが重要なんだなって。
人ってやっぱり第一印象が大切じゃないですか。
— 自由ネコ@はてなブログ (@gattoliberoTW) April 25, 2019
だから私はできるだけ「このオッサン、クレイジーだな…」って思われるように、けっこう気を使っております。
たまにいるんですよ、
勝手に他人にレッテル貼って、「この人、思ってたのと違う!失望した!」って言って激怒してさ。
それで去っていってくれればまだイイんだけど、アンチに豹変しちゃうヤツもいるからな~。
ず~っと粘着されたりとか。薄気味悪い。気持ち悪い。
でもそういう輩もいるんよね、世の中には。
ホント、知らんがなですよ。
でも、有吉が言ってたよね。
「有名になるってことはバカに発見されるということだ」
みたいなこと。
ホント、確実に、バカは一定数いるからなぁ…。
できるだけバカに見つからないように、知名度アップ的な活動していかなければならない。
・・・・・・・・・
無理だろ。
何度も何度も言うけれど、オレは、自由ネコは、峰不二子的ポジションなの!
善でもないし、悪でもないんですよ。
峰不二子は、峰不二子なのよ。
時には、ルパンの敵であり、時にはルパンの味方でもある。
あっちの陣営についたり、こっちの陣営についたり。
一見、何の信念もなくフワフワしているようにも見える。
しかし!
実を言うと不二子は、軸がぶれてるわけでは断じてない。
不二子は、いつなんどきであろうとも、まったくブレずに「峰不二子」であり続けている。
そういうことなんよ。
峰不二子は、何ものにも縛られることなく常に、峰不二子なのよ。
そういうことなのよ、自由ネコってのは。
ゲゲゲの鬼太郎で言うところのねずみ男ですよ。ハクション大魔王で言うところのアクビちゃんですよ。
ねずみ男は、鬼太郎を陥れるようなことも平気でするし、鬼太郎のピンチに突如現れて救うこともある。
敵なんだか味方なんだかよく分からない。
アンパンマンで言うところのドキンちゃんも、そういう立ち位置だっけ?
悪く言えば気まぐれ。
よく言えば、常に自分に正直に生きてる。
その時、その瞬間の「自分の心」に従って生きている。
だからね、外部の人間が定義したような、善とか悪とか、正義とか、大義名分とか、そんなものには縛られないんですよ。
自分がやりたいからやる。
自分が楽しいからやる。
それだけですよ。
いたってシンプル。
そしてこのブログも、そういうことなんですよ。
オレは、オレの心の中にある羅針盤に従うだけですよ。
「自由ネコ」は、正義の味方でもないし、悪の手先でもない。トリックスター(trickster)なのである
トリックスター (英: trickster) とは、神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者である。
往々にしていたずら好きとして描かれる。
善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴である。
物事を、秩序を、ひっかきまわすトリックスターがいるからこそ、物語に面白さが生まれるワケよ。
予定調和ばかりじゃ神話は成立しないんだよ。
「正しい人」なんてクソも面白くないだろ。
世界を憂うくらいなら、己の人生、全部ひっくるめて茶化せ。ふざけろ
何をためらうことがある?
たった一度きりの人生で、何を恐れている?
現実世界では無力でも、インターネットの中では誰でも王様だ。
いや、神だ。
リアルな世界ではボロアパートの四畳半に住んでいるフリーターだとしてもだ。
インターネットの中では王様だ。
自分のブログやホームページの中では一国一城の主だ。
堂々と、胸を張って、己を表現すればいいのだ。
間違えてるとか、正しいとか、そんなことはどうだっていいんだ。
茶化せよ。
自分自身のことさえ茶化せ。
己の人生さえも笑い飛ばせ。
そこからだ。
本当のスタートは。
守ってるうちは何も変わらないぞ。