自分が持っていないもの、失ったものを数えて悲観するのではなく、今、持っているものを数えてみる。
他人と自分を比べて、一喜一憂してもしょうがない。
そのやり方だと、永久に終わりはない。
どこにもたどり着くことなどできない。
誰かの持ち物を羨ましがって、自分がそれを持っていない事を悲しんで。
自分よりも恵まれてない人を見て、優越感に浸ったり、安心感を得たり。
いつまでそんなことを続けるつもりだ?
人生なんて、悲観しようと思えば、どこまででも落ちて行ける。
今の境遇を嘆き悲しむことは誰にでも簡単だ。
5億円持ってる者は、10億持っている者を見て、焦ったり、苛立ったり。
10億持っている者は、20億持っている者を見て、もっと欲しいと願う。
どこにゴールがある?
100億稼いでも、満たされることは無い。
考え方を変えるしかない。
こんな動画がフェイスブックで1億回以上も再生されてるらしい。
参考。
地位も名声も金も、イヤと言うほど手に入れたスティーブ・ジョブズ。
彼なら、何も後悔せずに死ねたのか?
画像を引用させてもらおう。
やっとわかったのさ
生きていけるだけの「お金」を手に入れたら
「お金」とは関係ないものを追いかけるべきだって
もっと大切な何かを…
これが果たして、本当にジョブズの言葉なのか、定かではない。
正直、ジョブズがこんな事を言うとは信じられない。
しかし実際に余命宣告を受け、病床に伏している状態だと、こんな気持ちになるのかも知れない。
これは作り話かも知れない。
しかし、それを踏まえたうえでも、一つの教訓として捉えることはできる。
何十億持っていても、何十兆持っていても、
欲しがっているうちは満たされることは無い。
100年生きようが、120年生きようが、
死ぬ間際には、悔いを残すことになるんだろう。
本当に大事なものって、何なのか。
死ぬ瞬間、「精一杯、生きた。悔いはない」と思えるように生きるには?
その答えを見つけるための猶予期間が「人生」なんだと私は思う。
自分が持っていないもの、失ったものを数えて悲観するのではなく、今、持っているものを数えてみる。
私は地位も名誉も金も、何も持っていない。
しかしそれでも、自分が必要としているものは、すでに手に入っていると感じている。
世界中に一人でも、自分を認めてくれる人がいれば、それ以上、望むものはない。
今、持っているものを数えるのだ。
- なんだかんだ言って生きてる。
- こうしてパソコンを使える環境にいる。
- ブログを書くことが出来てる。
- ツイッターもやれてる。
なんということだ…!
素晴らしい!
- 毎日3食、食べることが出来ている。
- 何を食べても「美味しい」と感じる。
- それなりに好きな食べ物を選択できている。
- お腹いっぱい、食べることが出来る!
最高!
- 息が吸える!
- 息が吐ける!
- 泣いたり笑ったりできる!
- 手もあるし、足もある!
- 目も見えてる!
- 歩ける!
- 背中がかゆければ、かける!!
- 扇風機が回ってる!
- リラクゼーションミュージックも聴ける!
- はてなブログは無料版!
今、トイレ行ってきたんだけど。
- 放尿すると気持ちが良い!
けっこうマジな話なんだけど、トイレで用を足してる時、
「あぁ~ありがたいなぁ~」
って、よく思うんだよね。
下痢の時とか、
「あぁ~生きてんなぁ~」
とか、思うよね。
思わない?
風邪ひいて、熱がある時とか、
「昨日まで熱が無かった状況を当たり前だと思ってたけど、健康ってありがたいものだなぁ~」
とか思うじゃん。あの感じに近い。
- 雨風をしのげる拠点がある!
- 布団で寝ることが出来る!
- 夜寝てる時に暴漢に襲われる可能性が低い!
「家があること、住む場所があること」のありがたみは、野宿すると、しみじみ分かる。
見知らぬ街の路上に無防備な状態で寝ることの恐ろしさを一度体験すると、寝てる間に襲われる可能性がないということが、どれだけありがたいか心底、実感する。
- テレビもある!
- ラジオもある!
- 車もそれほど走ってる!
- ピアノもねぇ!バーもねぇ!おまわり毎日ぐーるぐる!
どうして、支離滅裂になってるか、教えてしんぜよう。
もう、飽きてきてるからだよ★
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答えは一つではない。そのことを知らないと生きづらいぞ。
結局のところ 「全力で精一杯、自分に出来る事はやった」という実感が無ければ、「足るを知る」のも難しいのだ。
「人事を尽くして天命を待つ」的な。
自分の答えは自分で見つけるしかない。