何かを掴み取りたければ、何かを手放さなければならない。
なんか当たり前のこと言ってますけど。
人それぞれキャパが決まってますからね、限度があんのよ。
キャッチ&リリースではなく、リリース&キャッチなんよね。
人生っつ~のは、旅のようなもの。自分の背負える分の荷物しか持って行けない。
人それぞれ、キャパシティが決まってますから。
許容量というか、許容範囲というか。
持ち運べる荷物の量の上限が決まってるわけです。
まぁなんつ~か、人間の器っていうかね、大きさも人それぞれでさ。
東京ドームばりにデカい人もいるだろうし、
武道館レベルの人もいる。
なんだったら、
地域の公民館レベルの人もいるわけです。
キャパは、みんなそれぞれ違うんです。
私なんかは相当小さいですからね、
トランクルームくらいの大きさですから。
クロネコ単身赴任パックで十分なくらい、荷物少ないですから。
それ以上、背負えない。
キャパが小さいんで。
許容量が少ないのにたくさん詰め込もうとすると、すぐパンクしますからね。
サクサクッと自滅してしまいます。
ですから、
所有物に関しては、相当吟味しなければならないわけです。
人生という名の旅路に、たくさんのモノは持って行けない。
少数精鋭、本当に大事なものだけを選び取らなければならない。
物質的なものだけではなく、目に見えないものも含めてね。
例えば人間関係とか。
他人が何を持っているのかは関係ない。自分の価値観に従うべし。
でもね~、大抵の人間は「周囲の人が何を持っているのか」で、物の価値を判断しようとするじゃないですか。
まぁそういう教育を6,3,3で12年、がっつり受けてきてますからね、洗脳されちゃってんのよね。
みんなが持ってるから自分も持たないと、って思っちゃうんだろうな。
「みんなiPhoneなの?じゃあ私もiPhoneにしよう」
とかね。
何か知らんけど、女子中高生の間では、スマホがiPhoneじゃなかったらイジメられるケースもある、って話を聞いてさ、闇が深いな…って思ったデスヨ、アタイは。
みんなが結婚するから私も結婚しないと人生が終わる。
とかさ。
みんなが正社員だから私も正社員にならないと人生が終わる。
とかさ。
別に、本当はさ、みんなと違ってても全然OKなんだけどさ。
どういうわけか、「周囲の人と違う」イコール「ダメだ」って反射的に思いこんじゃってる人が多いような気がすんのよね。
完全に自分オリジナルの価値観の中で生きりゃいいのにね。
どうしても「みんなと同じルールの中でどれだけ上手に立ち回れるのか?」っていうことにばかり執着して自滅してる人々が多いように感じます。
みんなが野球やってるからって野球やらなくてもいいんだよ。
サッカーやりたいならサッカーやりゃいいし、
カバディやりたけりゃカバディやりゃいいんだよ。
お手玉でも、手芸でも、あやとりでも、
なんでも好きなことやりゃあいいんだ。
人生なんて好きに生きりゃいいんだ。
年収が100万円なら「年収100万で人生を楽しむ方法」を模索すりゃいいのよ。全力でな。
どうやって金持ちになればいいのか?って考えるんじゃないくてさ。
カネがないなら無いなりに、どうやって人生を楽しめばいいのか?ってのを考えりゃいいんだよね。
全然、女にモテないんなら「非モテのまま人生をエンジョイするにはどうすればいいのか?」ってことを真剣に考えればいいわけよ。
そういう方向に、エネルギーを注ぐべきだと思うんよね~。
「人生ってのはそういうゲームなんだ」っていうテイにしちゃえばいい。
自分の中で、そっちの方向に誘導していけばいい。
無い物ねだりばかりじゃなくて、今、有るものに目を向ける。
今、自分が持っているモノに目を向ける。
発想の転換、発送の飛躍。
結局、人生しんどい人は、自分にフィットしたゲームをやってないんよね、きっと。
苦手なゲームに取り組んでるからしんどいんだよ。
本当は、ギターが得意なのにドラムを頑張ってるとか。
本当は、セパタクローが得意なのに、生け花を習ってるとか。
全然、自分の持ち味を生かせない種目に取り組んじゃってるんよね。
例えば、
「結婚とか、家庭を持つとか、子育てとか、そういうの全然向いてねぇわ」
って人もいるだろうし、そういう人は周りにあわせて無理に結婚しなくてもいいと思うんだよね。
人にはそれぞれ、向き不向きがあんのよ。
そもそも、スタートもゴールも違うんだよ。
今の社会の在り方に、フィットする人もいるし、フィットしない人もいるんよ。
金儲けが得意な人もいれば、金儲けが苦手な人もいるんよ。
それでいいんよ。
みんなが同じである必要なんて無いんよ。
みんなが金持ちにならんでもいいし、みんなが長生きしなくてもいいんよ。
みんなが家庭を持たなくてもいいし、結果的に孤独死しても、それはそれでいいんよ。
あんな生き方はダメだとか、こんな生き方は許せないとか、今の世の中はどんどん生きづらくなってるけど、本当は、基本的にはどんな生き方でもいいのよ。
今、生きるのがしんどい人は、しんどさを誤魔化しながら生きるのではなく「自分にとってしんどくない生き方」を真剣に徹底して模索&追求していったらいいんじゃないでしょうかね。
ということで、私なりに彷徨い歩いて、行きついたのがここ、はてな村。
ブログはいいね~。
いつでも自分の書きたい時に書けばいいんで。
他人の指図を受けずに、自分で考えて自分で書く。
こりゃ最高じゃないですか。
無職の人の肩書は「無職」ですけど、無職の人がブログを書けば、肩書は「ブロガー」になりますから。
たとえブログの収益が、年間で100円だったとしても。
ゴッホは生前、2枚しか絵が売れなかった、という話を聞いた事があります。
本当かどうかは知りません。
ともかく、
ゴッホは絵を売って生計を立てることはできなかった。
しかし、それでも、
ゴッホの肩書は「画家」でしょう?
肩書きとは
「それでカネを稼いでいるか?」
ではなく
「それに人生をかけているか?」
で決まると、私は思うのです。
だから、無職も、ニートも、ひきこもりも、ブログ書けばいいんじゃないかと思いますね。
そうすりゃ、誰かに「何をやってる人なの?」って聞かれた時に「ブロガーです」とか「ウェブサイトの運営を少々…」とか答えられますからね。
なんつってか。
人生がしんどい人は、まず手放せ。積み荷を降ろせ。己の中に余白を保て。
うわ~!やべ~!ってなってる人は、まず、いったん落ち着きましょう。
寝る、ひたすら寝る。
可能な限り、寝る。
いったん、冷静になる。
冷静になったら、不要なモノをどんどん手放す。
ついつい、目先の、目に見えるものばかりに意識が向きがちですが、
「物質的に不要なモノ」というよりも「不要な価値観」を捨てていくことが重要だと思いますね。
考え方の問題。
よく目にするのが、家族間の問題とかね。
嫌だ嫌だと散々、毎日のように文句を言いながら同居してるとか、意味が分からん。
なんだかんだ理由を付けて、自分の中の問題の根源をすぐ傍らに置いておく。
これ、結局、「共依存」の類なんじゃないかと思うんだけどね。
文句言ってる側も、相手に依存してるんよね、きっと。
嫌なら、グダグダ言ってないで、離れればいいのに。
周りに親不孝と言われようと、何と言われようと「無理なものは無理!」とキッパリ決断して、覚悟を決めて距離を置けばいいのに。
しかしそういう人は、「でも」とか「だって」とか、なんだかんだ理由を付けて、今日もまた、家族に対して憎しみを込めた言葉を吐く。
不毛…何という不毛…。
家族の関係にしても、職場の人間関係にしても、メンタルを病むほど苦痛なら、サクッと軽やかに、その場を去ってしまえばいいのにね。
世間体とか、強固な思い込みとか、いろんなしがらみが、それを阻むんでしょうね。
嫌だね、めんどくさいね。
そういうの、どんどん手放せたらいいのにね。
もっと軽やかに、タンポポの綿毛のように、裸の大将・山下清のように、自由に生きられたらいいのにね。
どんどんどんどん、手放して、身軽になって、縦横無尽に駆け巡れ!
飛びまわれ
この My Heart
Wow Wow Uh Wow Wow Wow Wow Wow Wow Uh Wow Wow Wow Wow
お分かりいただけただろうか。
だんだん、収拾がつかなくなってきているのである。
ということで、ワタクシ的には、なにはともあれ、一回、自分の中に余白を設けたいと思う。
一応、自分の中では、「ヒマでヒマでしょうがないからブログでも書くか…」っていうのが理想なんすよね~。
そこを目指してるんだけど最近は、なかなかブログを書けないっていう。
非常~に不本意な状況。
もっとヒマにならなければ!
I need hima.
もっとヒマを!
ヒマをくれ!
ヒマをGETしたい!
ヒマを入手したい!
結局、「ヒマ」を手に入れるために、何かを手放さなければならないわけよね。
何かを手に入れるということは、何かを捨てることと同義なのかも知れない。
なんつってな。
一回、体勢を立て直しましょう。
とりあえず、昼寝でもするか。
メンタルがヤバくなったら、ネットは控えましょう。
無いものではなく有るものに目を向ける。
自分にとって心地よい歩幅で歩け。
自分の人生の主役は「自分自身」なのである。
あるがままなり。