最近ちょっと「人生がんばろうかな~…」って思ったんだけど、やっぱ辞めるw
向いてないんでしょうね、きっと。がんばるのが。
ということで、あらためて覚悟を決めなくてはなりません。
「よし、オレはがんばらないぞ」と。
頑張ってる人はすでに大勢いるし、「頑張れ頑張れ」って叱咤激励してくる空気も充満してる。もうね、飽和状態なんでしょう。日本は。
もちろん、がんばる人を否定するつもりは毛頭ありません。
私の場合はあくまでも、
「頑張りたい人は頑張ればいいし、がんばりたくない人はがんばらなくていい」
というスタンスです。
どっちでもいいんですよ。こんなクソみたいなこと。
クソですよクソ。人生なんてクソ。
(言い過ぎか)
そもそもね、もういいでしょ、がんばらない人が存在していても。
「がんばらざる者、死すべし!」
みたいな生きづらい空気とか、マジ勘弁って話ですよ。
いつまでも、搾取する側の連中が考えたスローガンを信じ込んでいられるほど、こちとらナイーブでもピュアでもねぇっつーんだよ。
大事なのは価値観の多様性ですよ。
生き方の多様性です。
「みんな一緒」とか「分かり合える」とか、そういうの要らん。
本来、人間はみんな違うのよ。
分かり合えなくていいのよ。
「分かり合えないまま、それでも共存していきましょう」
ってのが本来の健康的な世界の在り方なんじゃねぇのかって話ですよ。
かねこさんも、
みんなちがってみんないい、つってんだろうが。
ちなみに、
「みんなちがってみんないい」
の反対は
「揃いも揃ってみんなダメ」
だそうです。
(超どうでもいい豆知識)
そもそも、がんばらなくちゃできないことって、自分には向いていないことなんじゃねぇのか。
分かり易く言うとさ、さかなクンが魚の図鑑を見ている時って、がんばってないのよ。
好きでやってることだからさ。
だけど、
さかなに興味がない子供が、無理矢理、魚類図鑑を読まさせられてるとしたら、きっとその子は、がんばって図鑑を読んでるはずなんだよな。
たとえば、今ここに納豆が大好きな人がいるとしよう。
その人は毎日、喜々として納豆を食べている。
……それって「頑張って」食べてるんだろうか?
いや、頑張っていない。1ミリも頑張っていない。
しかしだ。
もし仮に「納豆って超~臭いから大嫌いだ」って言ってる人が
毎日納豆を食べてるとしたらどうだ。
これはもう、頑張って納豆を食ってるんよ。
めちゃめちゃ頑張って食ってる。
歯を食いしばって、必死に、納豆を食ってる。
んで、そんな二人を客観的に見てみるとどうなるか。
周りの人々から好感を持たれるのは、納豆大好きでニコニコ笑顔で何の苦も無く納豆を食ってる人の方なのよ。ナイス・スマイル!つって。
でね、もう一方はどうかというと。
我慢して我慢して吐き気をもよおしながら死ぬ気で納豆を食ってる人の方は、周りから好感を持たれない。むしろ、なんなのコイツ?って目で見られてしまう。
これ、全然、割に合わない話だよなー。
頑張って納豆を食ってる人の方がむしろ報われない。
にもかかわらず、
1ミリも頑張っていない納豆好きの方はキラキラと輝いている。
口から糸を引きながら納豆をほおばっている時、彼の周りには虹がかかっている。
あの虹のかなたには何が待ち受けているんだろう…?
とにかく、世の中の仕組みはこうなっている。
ご愁傷様です。
分かり易く言うとだ、野球が得意なら野球やれよ、サッカーが得意ならサッカーやれよ。
将棋が得意なら将棋をやれ、SMの女王が得意ならSMの女王をやれ、ってことなのよ。
野球が得意なのに将棋をやらされるとか、サッカーが得意なのにSMの女王をやらされたりするところから、悲劇は始まっているんじゃないのか?
え?どうなんだ?
答えておくれよ…壊れかけのレディオ…。
つーことはさ、
「あ、今オレ、頑張ってるわ…。がんばらざるを得ないわ…。ってか頑張らさせられてる…」
って自覚がある時は、もうヤバいんだと思うよ。
一回立ち止まって考えるタイミングなんだと思う。
「これって本当に自分がやりたいことなのか?」
「これって本当に自分に向いていることなのか?」
「オレは本心では続けたいんだろうか?辞めたいんだろうか?」
そういうことを、自問自答する良い機会なんだと思うね。
さかなクンってすごいと思う。
— ネコ師匠 (@nekomasterTW) 2017年9月20日
「さかな大好き!」の気持ちを貫いて、それまで存在しなかった「さかなクン」という職業?(ポジション)を創り上げたんだから。
さかなクンは大卒じゃないのに、通いたかった大学の准教授を経て今は名誉博士だ。
「好き」の気持ちって、とても大切だし、強いんだ。
できる人間と比べてもしょうがないんよ。背負える重さはみんな違うんだから。
残酷なようだけどさ、人はみんな、最初に配られたカードが違うわけよ。
ワンペアの人もいればツーペアの人もいる。ロイヤルストレートフラッシュの人もいれば、役無し、すなわちブタの人もいるのよ。
「努力」は尊いものだけど、崇拝しすぎるのは危険だ。
金メダルを獲った者は、銀メダルを獲った者よりも努力をしたと断言できるか?
バカ言っちゃいけない。そんなわけないんだよ。
努力の量に比例してメダルの色が違う、なんてことはない。
もっというと、オリンピックに出場できなかった者はオリンピック選手よりも努力が足りなかったのだ、などとは、簡単に言えるはずもないのだ。
みんなそれぞれ、持っているものが違う。
だから、他人がどうこう言える筋合いじゃないんだよな。
なんだかんだ言って、みんなそれぞれ、できる範囲で、持っているカードを駆使して、精一杯やってんだよ。生きてんだよ。
それをね、他人がとやかく言うことは、本当はできないんだよな。
10キロしか背負えない人が20キロの荷物を背負って旅を続けることはできないワケよ。
— ネコ師匠 (@nekomasterTW) 2017年12月17日
「周りのみんなが20キロ背負ってるから自分もそうしなくちゃ」って他人基準で物事を決めてたら自滅するよ。他人はホント関係ないから。
「自分」としっかり相談して、自分のキャパは超えないように。人生は長丁場だ。
がんばれないなら、がんばれないで、それなりに生きていくだけのことですよ。単純明快。
がんばる君にエールを。
— 自由ネコ@はてなブログ (@gattoliberoTW) 2018年4月6日
がんばらない君には・・・・・・口ずさめる一つの歌を。
こんにちは。ネコフキンです。#ネコフキン pic.twitter.com/wmvaPFrYTu
近所の野良猫みたいに、日向ぼっこして1日を浪費すりゃいいんです。何と言う贅沢。
縁側でお茶すすっている老人みたいに、人畜無害なポジションで、なんとなく時の流れに身をまかせりゃいいんです。何と言うゴージャス。
それはダメだとか、それは悪だとか、言ってくるヤツがいたとしても、華麗にスルーすりゃいいだけのことです。まるでマタドールのように。
ちなみにマタドールって言うのは闘牛士のことです。
マタの部分に特殊な加工が施してあるドールのことではありません。
みんなそれぞれ、自分に合った生き方ってのがあるんでしょう。
いいんです。好きに生きれば。
ただし!
ひとつだけ、気をつけたいことがあります。
それは、
自分で決めた以上、結果がどうなろうと、全部自分で受け止める、ということです。
「あ~こんなことになるんなら、あの時、頑張っておけばよかった…」
とかね、ウジウジ言うのは最悪ですからね。
これができるかどうか?なんだよな~。
すなわち、
覚悟を決める、ということです。
非の打ち所のない人を演じない。不完全な自分のまま堂々と生きる。
— ネコ師匠 (@nekomasterTW) 2017年5月13日
たとえそれが、どれだけ無様なものだったとしても、偽らず、目を逸らさず、言い訳せず、受け止めること。
大切なのはその覚悟。 pic.twitter.com/Nfv8JzufAZ
最後にオマケ。がんばりたくなったら、またがんばりゃいいだけのこと。自由自在です。
「がんばらない」と決めたからには「がんばってはいけない」という話じゃありませんからね、一応。
こんなこと、わざわざ書かなくても分かると思うんだけど、念のため。
とにかくね、自分で自由に決めりゃいいのよ。
他人にどういわれようと。
自分の人生なんだから。
変な「縛り」とか「マイルール」とかを、イキって勝手にこしらえて、がんじがらめになりなさんな、ってことなのよ。
クソみたいなプライドとかさ、結構どうでもいいんですよ。
本人が楽しけりゃそれでいいのよ。
結果的に、極貧生活の中、短い一生を終えたとしても、それはそれでOKなのよ。
他人が勝手に、他人の人生に点数を付けることはできないんよ。
そもそも、他人の生き方にああだこうだと言ってくる人間の相手をするのは、非常に時間がもったいない気がします。
そういう人間に関わる暇があるなら、確実に昼寝していた方が有意義っぽいです。
叶美香師匠の名言。
「私どもは他人様のことはあまり興味がないので。自分たちが何をして楽しむかで精いっぱい」
人生には、このスタンスで挑むべし。
ま、とにかく。
そんなこんなです。
今後も頑張らない感じでダラダラやっていきます~。
何にもやる気がおきない時は、ボーっとしてりゃいいんですよ。
— ネコ師匠 (@nekomasterTW) 2018年3月29日
もしそこに問題があるとしたら「ボーっとすること」自体ではなく「ボーっとしてたらダメだ」っていう思い込みの方だよね。
本当はダメじゃないから。罪悪感とか不要です。
世間からの圧力に負けず、思う存分、ボーっとすりゃいいのだ。
私の永遠のライバルであり、盟友でもある「ぐわぐわ団」が、アンサーソング的なエントリーをドロップしてくれました。感謝感激!
ぐわぐわ団と自由ネコの、ただならぬ関係。
言うなれば、馬場と猪木。ジョンとポール。王と長嶋。
もっと言うと、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピット。