こんにちは。ゴミみたいな人間です!
ここんところ、いろいろと考えてました。ずっと。
「自分には何ができるだろうか?」…とかね。
※今日はいつも以上に支離滅裂な感じで行きたいと思います~。
自分にもしも、何らかの使命があるのならば、それはきっと…っていう話
「自分にできる最大限の何か」って何だろう?
って考えてみるとさ、
なんつ~かさ、やっぱりね、
どっちへ向かえばいいのか分からず迷っている人、
傷つき悲しみに暮れ、歩き出せなくなっている人、
人生に絶望し、自暴自棄になって横たわっている人、
的な。
まぁ言ってみれば「翼の折れたエンジェルたち」にね、ちょびっとだけ、なにかこう、『前向きなエナジー』をね、お届けできたらいいな、っていう。
あくまでも仮の話。
もしも、やるべきことがあるとするならば、ですよ。
それは「勝ち馬に乗る」とか、そういうことじゃない気がすんのよ。
今、人生絶好調で、ウェ―イ!って言ってる、いわゆる「勝ち組」の人々の勢いに便乗して、「自分も甘い汁、吸わせていただきます!」
みたいなことじゃなくてさ。
「人生の勝利者たち」の周りをぐーるぐーると回りながら、おこぼれを頂戴する形で恩恵を受けるとかさ、そういうことじゃないような気がしてるんだよな~。
自分にできるMAXがそれだとは思えないのよ。
オレにできる最大限の何かが、勝ち馬に便乗することだとは、どうしても思えなくて。
なんかもう、非常に傲慢な考え方かも知れないけどさ。
もうちょっと、何かできるような気がしてんのよ。
世の中をほんのちょびっとでも、1ミリでもよくするために、何かできることあんだろ?って。
世界を救うとか、そんな大それたことは夢にも思ってないけどさ。
オレが世界に平和をもたらす!とは思っていないけどさ。
でもね、やっぱりね、
どうしても、気になってしまうのですよ。
「ウェ―イ!人生の成功者です!」って言ってる人の向こう側で、生きづらさを抱えて、あがいたり、もがいたりしている「翼の折れたエンジェル」たちのことが。
それは何故かっていうと、
かつての自分自身がそうだったからです。
自分自身が、どうやって生きていけばいいのか分からない人間だったから。
「この世界に自分の居場所なんてあんのか?」って、途方に暮れていた人間だから。
自分自身が「翼の折れたエンジェル」だったからなのです…!
っていうか、
今でも現在進行形で翼の折れたエンジェルかも知れない。
バッキバキに折れたけどね、自然治癒したw
曲がったまま骨がくっついちゃったから、ちゃんとうまく飛べないんだろうな。
まぁ、自己流で。
ぶきっちょなりに、オリジナリティあふれるフォームで飛びますよ。
みんなのように、上手に飛べなくてもね。
いいんです。
私は私なりのやり方で、飛びます。
こういう話は、過去にも散々、このブログに書いてますので、過去記事を漁っていただけると幸いです。
最近あんまり、この手のエモーショナルな話(エモい話)は書いてなかったんでね、最近読者になった方はビックリしてるかも知れないけど。
かつて、クリント・イーストウッド監督はこう言った。(うろおぼえ)
物語に必要なのはコンフリクト(conflict)、すなわち「葛藤」である。
と。
人生っつ~のはね、ものがたりですよ。
あなたの人生の主人公はあなたです。
迷ったり、あがいたり、もがいたり。
それでいい。
葛藤があってこその人生。
忘れそうだから書くけど、結局、忘れちゃう。変わらなくていい。ありのままの自分でいい。
過去にも何度か書いたんですけどね、やっぱりね、時々、忘れちゃうんだよな~。
分かり易くいうと、こんな感じの話ね。
過去に、イケメンとブサイクの関係に例えたんですけどね、「人を勇気づける言葉」って、どういうことなんだろう…?っていう話。
あんまり適切じゃなかったかも知れないけど、まぁ言いたいことは伝わったかな…と思うんだけど。
もしもここに、ひとりのブサイクがいたとしてさ。
ブサ山イクオさん。(仮名)
そのブサ山さんがね、「人間は外見じゃない!ブサイクでも幸せになれる!」って主張してたとしましょう。
ここまでは、特に問題ありませんよね。
でもさ、
そのブサ山さんが、「この度、福山雅治クリソツに整形いたしました!ちなみに今、幸せです!」って言っちゃったら、「ん!?」ってなるわけじゃん。
この言葉を聞いて、勇気づけられるブサイクはいるだろうか。
救われるブサイクはいるだろうか…?
「ブサ山さんは、ブサイクなまま幸せになってこそ、ブサイクたちの希望の光となれるんじゃね?」
って話。
世のブサイクたちは思うわけです。
ブサ山さんは、あんなにブサイクなのに、今、とても幸せそうだ!
ということは、我々ブサイクも、幸せになれないことは無い!
可能性はゼロではない!諦めちゃダメだ!
……みたいな。
この論法を用いるとですね、私はゴミみたいな人間のまま、幸せになればいいんだなって話になるわけですよ。
福山雅治風の顔面に整形するかの如く、模範的な社会人を目指して「ゴミ人生」を脱出して、
そのうえで「ゴミ人間も生きてていいんだよ!」って声高に叫んだとして、どこに説得力があるんだ?
…っていう。
私は、カネも地位も名誉も何も持ってませんよ。
何やってもダメ。ホントに。
ちゃんと毎日8時間働くこともできない。
満員電車に乗ったら、おそらくストレスで死にます。
リアルな友達もひとりもいない。
かれこれ10年以上、年賀状とか書いてませんよ。
いわゆる「立派な社会人」ができそうなことは、何ひとつできない。
どうですか、これ。
逆にすがすがしい。
大抵の人間は、私よりはマシな人間のはず!
言っておきますが、私は今、人生が楽しくてしょうがないです。
日々、自分史上過去最高の一日を過ごしております。
自分のダメさを卑下するとか、落ち込むとか、やさぐれるとか、そんなのはとっくに超越しております。
一回死んでるからね、精神的に。
…いや、一回どころじゃないか。
何回も死んで、何回も這い上がってきたわけですよ、地獄の底から。
そんなもん、ちょっとやそっとじゃブレなくなるわ。
ダメな人間が、ダメなまま、人生をエンジョイしております。
どうよ?
ちょっと勇気出た?
私はとにかく、自分にできることを自分のやり方でやるだけ。
翼の折れたエンジェルの皆さんに告ぐ…!
人生に迷ったら、絶望しかかったら、またこのブログを読みに来るがいい!
過去記事をあされば、どこかに自分にとっての「追い風1.8メートル」的な言葉を見つけられると思う。
追い風1.8メートルは、目に見えて明らかな後押しとは言えないけれど、限りなくそれに近い風
前向きなエナジーを受け取っておくれやす!
私は幸い、ブログを書いたり、ツイッターでつぶやくことができたんでね、粛々と淡々と、やっておりますよ。
このブログと直接は連携していないツイッターをやってるんですけどね、これは自分の中で、一種のライフワークとなりつつあります。
毎日、朝起きたら、その日の気分で「追い風1.8メートル」的な言葉をツイート。
前向きに生きようとする誰かの背中を押すつもりで、毎日ひとことつぶやいております。
まぁ実際は、自分で自分を勇気づけるためにやってるような気もしますが。
非の打ち所のない人を演じない。不完全な自分のまま堂々と生きる。
— ネコ師匠 (@nekomasterTW) 2017年5月13日
たとえそれが、どれだけ無様なものだったとしても、偽らず、目を逸らさず、言い訳せず、受け止めること。
大切なのはその覚悟。 pic.twitter.com/Nfv8JzufAZ
凹みがちな人はフォローしとくべし!
Check It Out!
ちなみに明日明後日は野暮用で、お休みする可能性が高いです(笑)
とにかく!
何もできないような無能な人間でも、
「毎日たった一言、前向きな言葉をつぶやく」
だけならば、続けられる!
…と思うですよ。
このブログ「自由ネコ」の影響を受けてブログを始めたという皆さん、ありがとう!そしてこんにちは。ブログってのは、続けてこそ見えてくる何かがあるぜよ…
つい先ほど、数分前にも、ツイッターから
『「自由ネコ」を読んで、私もブログを始めました』
という言葉をいただきまして。
(先月もおひとり、いらっしゃいましたね)
こういうのはね~…
非常~に…
ありがたい!
ブロガー冥利に尽きます!
「自由ネコ」の影響を受けてブログ始めました、っていうかたがたね、何人くらいいるんだろう…
私が把握してるだけでも7人くらいかなぁ…?
もっとかな…?
記憶があいまいで恐縮です。
(私は人の顔とか名前とかの記憶力もダメなのです)
とにかくね、
「自由ネコを読んでブログを始めた方々」っていうページを作って、みなさんをリストアップする形で、それぞれのブログにリンクはりたいな…っていう気持ちも芽生えつつあるんですが、
いかんせん、全員を覚えていないのと、割とみなさん、簡単にブログを辞めちゃうっていう部分もありまして…。
なかなか実現は難しい今日この頃です。
でもね、もしもこのブログ「自由ネコ」を読んだことがきっかけで
私もブログを書いてみよう!魂の叫びを形にしよう!
って思って「はてなブログ」を始めたかたはね、遠慮なく、どんどん話しかけてOKですからね。
自由ネコ@はてなブログ (@gattoliberoTW) | Twitter
ぜひ、みなさんは、みなさんのためにブログを書いてみてください。
自分自身のためにブログを書いてみてください。
自分のために書いたブログは、必ず「自分とよく似た誰か」のチカラにもなりますからね。
ブログはイイよ~。
ブログを書けば、自分の頭の中にあるモヤモヤを文字にする事で、整理できます。
可視化して、客観的に捉えることができます。
あとで見返して、心境の変化や考え方の移り変わりに気づけます。
長く続ければ、必ずいつか、共感してくれる誰かが現れます。
だったらもう、こう言っていいんじゃないでしょうか?
逆に、なぜブログ書かないんですか?
ブログ書きなよ。
悲しかった過去も、悔しかった過去も、全部、ひっくり返せ。
光に変えろ。
アンタ…
輝きなさいよ!