映画『カメラを止めるな!』観てきました。
どうだったか?っていうと、かなり面白かったです。
確かに、面白かったんです。ですけど…。
どうもね、な~んか通常とは違うんですよ、私が感じた「面白さ」の中身が。
それでちょっと考えてみました。
私自身の脳内で何が行われていたのか?
本題に入る前に、まずはザックリと紹介。映画『カメラを止めるな!』とは?
INTRODUCTION
監督&俳優養成スクール・ENBUゼミナールの《シネマプロジェクト》第7弾作品。短編映画で各地の映画祭を騒がせた上田慎一郎監督待望の長編は、オーディションで選ばれた無名の俳優達と共に創られた渾身の一作だ。
脚本は、数か月に渡るリハーサルを経て、俳優たちに当て書きで執筆。他に類を見ない構造と緻密な脚本、37分に渡るワンカット・ゾンビサバイバルをはじめ、挑戦に満ちた野心作となっている。
2017年11月 初お披露目となった6日間限定の先行上映では、たちまち口コミが拡がり、レイトショーにも関わらず連日午前中にチケットがソールドアウト。最終日には長蛇の列ができ、オープンから5分で札止めとなる異常事態となった。イベント上映が終わるやいなや公開を望む声が殺到。この度、満を持して都内2館同発での劇場公開が決定した。
STORY
とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。本物を求める監督は中々OKを出さずテイクは42テイクに達する。そんな中、撮影隊に 本物のゾンビが襲いかかる!大喜びで撮影を続ける監督、次々とゾンビ化していく撮影隊の面々。
”37分ワンシーン・ワンカットで描くノンストップ・ゾンビサバイバル!”……を撮ったヤツらの話。
噂には聞いておりましたが、逆にね、その分、期待度も上がっちゃって、自分の中のハードルが上がっちゃった部分もあったんですけどね、それでもなお、観てよかったな!面白かったな!と思いました。
では早速、極力、予告編以上のネタバレにならないよう、気をつけつつ言及。
実際に演技がヘタなのか、「演技がヘタな俳優」の役を上手に演じているってことなのか?
映画開始と同時に漂う、B級感。
なんかもう、いろんなところに自主制作的な何かが漂っているわけです。
いきなり、演技ヘタ。
当然、観客は皆、思ったはずなんです。
「うわっ演技ヘタだなぁ…」って。
ところが、そこで「カーット!」と声がかかり、
ヒゲ面の監督らしき人物が躍り出て、パワハラまがいの激アツ演技指導を始めるシーンに。
それで映画館の観客たちは気づくわけです。
「あ・・・あぁ…、ということは、演技ヘタで正解なんだな」って。
演技がヘタな役者、っていう設定ですから。
初っ端からもうね、いきなり、すでに術中にハマっちゃうわけよ。
「えっ?このシーン、登場人物って、素の状態、っていう設定だっけ?それとも劇中劇を演じてるテイなんだっけ?」
って。
だんだん、混乱してくるんですよね。
ヒゲの監督が自ら「アクション!」って言って、手持ちカメラを回してるシーンとかさ、じゃあ、その撮影の様子を撮影してんのは誰なんだ?もう一台カメラあるってことだよね、って話じゃないですか。
演者はヒゲ監督のカメラに向かって芝居をするっていうテイですよね、最初の時点では。
んで、我々映画鑑賞者は、演者とヒゲ監督含めた全体の様子を撮影しているカメラを通した映像を映画館で観てるわけよ。(ということで、こっちのカメラマンは登場人物ではない)
そういう状態でさ、全体を撮影しているカメラのレンズについた血しぶきを登場人物ではないカメラマン自身が布で拭うシーンも登場するんだけど、それってアリなんだっけ?ナシなんだっけ?っていう。
マトリョーシカ人形みたいな。
今現在、内側なのか外側なのか、あるいは実はもう一個、仕込まれているのか。
「あれっ?どこからどこまでが意図的にヘタに演じてる場面で、どこからが一生懸命やってるけど実際にガチで実力不足でヘタになってしまってる場面だ?」
って、なんか混沌としてきて、煙に巻かれちゃうというか。
そうなってくると、役者の下手さが気にならなくなるというか。
イマイチな芝居もマイナス要素じゃなくなるというか。
役者さんたちはみなさん、オーディションで選ばれた無名の方々なんでね、顔を一瞥しただけでは、芝居が上手いんだかヘタなんだか、よく分からんわけですよ。判断できない。
まぁ実際の話、ぶっちゃけていうと、みなさん、そんなに演技上手くないと思うんだけどさ、でもね、その素人っぽさが、マイナスに作用しないような作りになってるんですよね。
これ、ひとつ、非常に興味深い手法だと思いましたね。
実に面白い。
たとえば。
「主人公は野球のド素人」っていう設定にしてしまえば、演じる役者さんが、ボールの投げ方がヘンでも成立しちゃう、ってことですよね。
昔、世界の北野武監督が『あの夏、いちばん静かな海。』という映画を真木蔵人主演で撮影する時にさ、あまりにも真木蔵人がセリフ駄目なんで、極力、セリフ無しにしよう、ってことで、「主人公は聴覚障碍者」という設定になった、という話を聞いたことがあります。(昔、たけし本人が語っていました。事実かどうかは不明)
まぁとにかく、本来、普通の映画であれば
「極力、演技の上手い役者を使っていく」
という方向で、問題点を解決していこうとするわけですが、
低予算の映画の場合、ギャラの関係で、演技の下手な役者を使わざるを得ない、という事情もあったりするわけで。
この『カメラを止めるな!』は、そのへんのやりくりというか、致命傷を避けるテクニックといいましょうか、極貧クリエイターの生活の知恵とでもいいましょうか、
「演技の下手な役者をどう使うのか?」
という点において、非常に参考になるんじゃないでしょうかね。
特に、今のご時世、ユーチューバーとかね、自分で動画を撮る人、多いですから。
低予算で何らかの映像作品を作りたいと考えている方には、大いにヒントがありそうな映画だと思いますね。
よく分かりませんが。
映画『カメラを止めるな!』を見ていて、ふと、三谷幸喜監督の映画『ラヂオの時間』を思い出した。
これ、けっこう多いんじゃないかと思います。
あれっ?『ラヂオの時間』っぽいな…って。
ものすごく簡単に言うと、
「生放送のラジオドラマを放送中に、演者や裏方のわがままで次々とハプニングが巻き起こるが、皆で機転を利かせて何とか乗り切る…」
という感じの内容。
しかもこの映画の冒頭は、
4分間の長回し。
『ラヂオの時間』は、1993年に上演された、劇団東京サンシャインボーイズの演劇。脚本・演出は三谷幸喜。1997年には三谷幸喜の初監督作品として映画化された。
なお、舞台版は「ラヂオの時間(Radio Time)」と記述し、映画版は「ラヂオの時間(Welcome Back Mr. McDonald)」と記述する。
概要
三谷が初めて手がけた連続ドラマ『振り返れば奴がいる』の脚本が、三谷の与り知らぬところで書き直されていた、という経験から生まれた作品で、1993年に三谷幸喜が主宰する劇団「東京サンシャインボーイズ」の作品として脚本が書かれ、上演された。映画化されると、ラジオという低予算な世界で想像と声だけで演ずることから生まれる壮大なスケールのストーリー、テンポの良い展開、絶妙な笑いで人気を博し各賞を総嘗めにした。またベルリン映画祭にも出品され、三谷曰く「ドイツ人がこれほど笑うところを見たことがない」
『カメラを止めるな!』(カメ止め)の上田慎一郎監督が、「ラヂオの時間」を知らないはずはない。
なんだったら、映画版だけではなく、その元になった舞台版のほうの「ラヂオの時間」さえも、リアルタイムで鑑賞している可能性もある。
相当、影響受けてるはずだなぁ…と思いました。
でね、私、思ったんですけど、
映画の完成度とか、クオリティとかで言っちゃうと、「カメ止め」よりも「ラヂオの時間」の方が圧倒的に上だと思うんですよね。
全てにおいて、三谷幸喜の「ラヂオの時間」の方が上なんじゃないかと。
カメ止め、面白い!
斬新!新鮮!
こんなの観たことない!
って大絶賛している人たちは「ラヂオの時間」という作品を知ってるのかな?って。
あ、ちなみに、さっき知りましたが、やはり「カメ止め」の上田慎一郎監督は、「ラヂオの時間」の影響をかなり受けたって語っているそうです。
でさ、何が言いたいかっていうとさ、パクってるとかパクってないとか、オマージュだとか、そういう話じゃなくてさ、おそらくね、「カメ止め」の良さって、クオリティの高さとか、完成度…ではないんだな、って話なんすよね。
三谷幸喜の「ラヂオの時間」にはない良さが「カメラを止めるな!」には、あるってことなんだと思ったんですよね。
じゃあ、「カメ止め」の良さってなんだ?って考えたら、おそらくこれはね、
例えば、「ピングー」とか、「ひつじのショーン」とかみたいな、いわば「あじわい」だと思うんですよね。(もちろん、カメ止めにそこまでのクオリティは無いが)
クレイアニメってあるじゃないですか、クレイ・アニメーション。
粘土で作った人形を少しづつ動かして撮影するような。
ひつじのショーンのクオリティ、やばし。
実写のジオラマ風だった「きかんしゃトーマス」が、単なるフルCGアニメになった時、
「おいおいおい、そういうことじゃないんだよ!」
って思った人、めっちゃいっぱいいたと思います。
「きかんしゃトーマス」のあの手作り感が良かったのに。
それをCGにしちゃったら全部、台無しじゃん!って。
でもまぁ「手作り」が良くて「CG」はダメだ、って話でもなくてさ、
「手作り」には手作りの良さがあって、
「CG」にはCGの良さがある、ってことですよね。
そう言った意味で、映画『カメラを止めるな!』には、ハリウッドの超大作には無い良さがある、ってことだと思うんです。
大金を投じた「ビッグバジェット」には、ビッグバジェットの良さがあり、
低予算の「自主製作映画」には、自主製作映画の良さがある。
三谷幸喜の「ラヂオの時間」にはない、あじわいが、「カメ止め」にはある、ってことだと思うんです。
「カメ止め」には、クオリティ重視、完成度重視の映画には無い、何とも言えないあじわいがある。 (たぶん、まず一番の気がかりは予算。)
これですね、カメ止めの面白さの正体。
金がない、でも作る。
両手を縛られたまま戦うカポエイラ的な醍醐味。
だからね、逆に言うと、「カメ止め」の上田監督に、ハリウッドからオファーが来て、予算がガッツリついても、正直、あんまり良い映画撮れないんじゃないかって気もしますね。
ということで、もう一回整理しますと、「カメ止め」は低予算だから成功したんじゃないかと。だからこそ評価が高いんじゃないかと。
がっつりカネかけて、アンジェリーナ・ジョリーとか起用して、ものすごいCG使って『カメラを止めるな!』的な映画を作っても、全然ダメでさ。
もしかしてもしかすると、我々の深層心理の中にも
「低予算の割によく頑張ったよ!」
っていう、ちょっと下駄履かせちゃった評価がね、あるんじゃないかなって気がするんですよね。
だから、普段、映画館で感じる面白さとは違う、何とも言えない、新鮮というか、いつも感じる面白さとは一線を画す「独特な面白さ」を感じたんじゃないかな?って気がします。
だってさ、普段、一般人がよく観る映画ってさ、
「低予算」っていう縛りがない作品じゃないですか。
撮影にも、お金かけてて当たり前でしょ?
出演者もテレビでお馴染みの美男美女じゃないですか。
「結構な予算をブッ込んでて当たり前」っていう前提で、ある程度安心して観れるわけですよ。
(言っても、何億もかけて作った映画だし、駄作といえどもそこそこのもんだろう)
っていう、そういう先入観とポップコーンを持って、座席に着くわけじゃないですか。
「ある一定の水準はクリアしてるはずだ」
っていう先入観と安心感をね、無意識的に持ってるはずなんですよ。
ところが、その感じが、
「カメラを止めるな!」には、無い。
どうやら役者は全員無名らしい、とか、
監督&俳優養成スクールのワークショップで制作された作品らしい、とか、
事前に仕入れた情報によると、かなり危ういわけですよ。
なんかもう、「素人の作品に毛が生えたようなレベルなんじゃね?」っていう想いが脳裏をよぎるわけですよ。
「大丈夫なんか?これ?」っていう。
そんでもって、
映画が始まった瞬間、案の定、ハンパないB級感が前面に押し出されてるっていう。
これ、ヤバいかも知れんな、大事故かも知れんな、っていう、不安感に襲われるわけよ。
なんつーかな、
発展途上国で木造建築のジェットコースターに乗ってる時のような心のザワザワ感。
怖い、なんか怖い、でも通常のアクティビティによる怖さとは違う。
別の意味で楽しめそう、みたいな。
面白い、面白いんだけど、別の意味で面白い、みたいな。
低予算の作品だからこその面白味、みたいな。
(低予算の作品の割には、みたいな感覚も込みで)
結局、映画を観終わった後に感じた「何とも言えない独特な面白さ」の正体って、こういうことだったんじゃないかと。
そんなふうに思った次第です。