スポーツ選手には国境も国籍も関係ない時代になりつつある?

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テニスの大坂なおみ選手が全米オープンで優勝!

「日本人初」の四大大会優勝ということで今、大変盛り上がっておりますね。

まずはこの快挙を手放しで喜びたい、喜びましょう!

話はそれからだ。

 

大坂なおみ選手は大阪出身で、日本とアメリカの二重国籍。練習拠点はアメリカ。お父さんはハイチ系のアメリカ人。

今、日本国内では

「大坂なおみ選手のグランドスラム優勝は日本人初だー!」

って歓喜に沸いていますけど、

 

もしかしたら海の向こうのハイチでも

「ハイチの誇りだ!ハイチ人のDNAなくして、あの身体能力は獲得できなかったはず!」

みたいに喜んでいるかも知れませんね。

 

あるいは大坂選手の練習拠点があるアメリカ国内でも

「ナオミ・オオサカはワシが育てた!アメリカの練習環境がナオミを強くしたのだ!」

って胸を張ってドヤ顔している関係者がいるかも知れません。

 

もう、こうなってくるとさ、上っ面だけの「国籍」なんて、あんまり意味がないような気がしてきますね。

「優勝したのは何人(なにじん)か?」なんてのは、もはやどうでもいい話なんじゃないですかね?

もう、そういう時代に突入してるんじゃないですかね?

 

先日ね、そういう記事をチラッと見かけて、ずっと気になってたんですよね。

(探してみたんだけどその記事が見当たらない💦)

たしか、こんなことが書いてあったような。

「もはやスポーツの世界では、国際大会に出場できる環境を求めて、選手が自由に、自分の国籍を選ぶことが珍しくなくなった」

みたいな。

 

 

先日のアジア大会を観ていて。中東の選手が活躍してるなぁと思ったらアフリカからの帰化選手っていうパターン多し。

石油で潤っている中東の国々の人はさ、カネいっぱい持ってますからね。

大金持ちが、わざわざ苦しいトレーニングを続けて、世界的なレベルのスポーツ選手にまで登りつめる…なんてことは、あんまりないんじゃないか?って気がしますね。

 

カネならそこそこ余ってますから。オイルマネー。

 

金持ちたちは、自分で汗水垂れ流して、スポーツで良い成績を収める必要がない。

もしもスポーツの分野で勝ちたければ、貧しい国々の有望な選手を探し出して、札束で横っ面ひっぱたいてやればいいんですよ。オイルマネーをぶっかけてやればいいんです。

言い方は悪いけど、まぁ、現実的には、そうなっておりますねぇ。

 

国際陸連は6日の理事会で、選手の国籍変更を新たなルールを整備するまで凍結すると決めた。これまでは国際大会の代表歴がなければ、国籍を変更して新しい国の代表を目指すことにさほど大きな障害はなかった。背景には才能あふれるランナーの宝庫であるアフリカ出身の若者たちが安易に中東のカタールやバーレーンなどに国籍を変えてしまうことがある。外電によると、国際陸連のマルボウム副会長(カメルーン)は「アフリカの才能が高い値を付ける国に売られている」と嘆いている。

■選手らの主体的選択と愛国心の複雑な関係

 自国にはとても現れない才能を持つランナーを、経済的な好条件を提示して引き抜いてしまう。

アスリートの国籍変更は悪いことなのか (写真=共同) :日本経済新聞

 

これね。 

才能あふれるランナーの宝庫であるアフリカ出身の若者たちが安易に中東のカタールやバーレーンなどに国籍を変えてしまう

 

問題は、これを是とするか非とするか。

 

ダメなんでしょうか。

 

感情論を抜きにして、冷静に、客観的に考えた時、

貧しい国の才能ある選手が、出場機会や経済的な豊かさを求めて、国籍を変更することはダメなんでしょうか?

 

 

個人的には、ダメじゃないと思っています。というか、この流れは、止めようと思っても止まらないでしょう。

人間の性(さが)というか。

人間の欲望というか。

 

一度でも、自国の代表として国際大会に出場した経験があれば、別の国に帰化しても、その国の代表にはなれない、みたいなルールとかで、規制しようとしてますけど、その結果、青田買いがさらに進んだだけだったりして。

 

ルールで抑え込もうとしても、おそらく、無駄ですね。

いずれは、なし崩し的に、いろんなことが「アリ」になっていくはずです。

 

サッカーなんかでも、いろいろありましたよね。

ヨーロッパのサッカーとか、EU圏外の国籍の選手は何人まで起用可能、とか。

助っ人外国人の国籍がEU内かEU外かで、扱いが違うなんてのは、厳密に言うと、たんなる人種差別なんじゃねぇのか?って。

 

国籍による差別を撤廃しようとすると、なんかもうね、「国別」みたいなくくりが、意味をなさなくなるんですよね。

最終的には「人類皆兄弟」的な。

「何人(なにじん)」VS「何人(なにじん)」みたいな視点ではなく、個人として、「人間 対 人間」として見ていくしかない。

 

問題は、今の人類がそれを、受け入れるだけの度量があるかどうか?

器(うつわ)の問題、人間一人一人の心の大きさの問題になってくるんじゃないかと。

 

 

アイススケートの羽生結弦選手の練習拠点はカナダ、指導者もカナダ人コーチですよね?

羽生選手が活躍した時に

「日本人さすが!」

「日本のアイススケート界、さすが!」

っていうのは、なんかちょっとモヤッとしますよね。

「日本人だから凄いんだ。日本人すげぇ」って思いたいのかも知れませんけど。

 

「羽生結弦さすが!羽生すげぇ!」

っていうのが、もっとも違和感が無いです。

 

羽生選手の国籍がどこであれ、練習場所がどこであれ、指導者が何人(なにじん)であれ、「羽生結弦選手が素晴らしいこと」には、違いがないからです。

 

絶賛するなら国籍どうこうではなく、

羽生結弦本人、羽生結弦個人を絶賛すりゃいいんで。

 

国籍にこだわる必要は、あんまりないような気がしてきますよね。

 

例えば。

万が一、羽生選手が、カナダに帰化したら、どうすんの?

例えば。

「スポーツ選手は練習拠点のある国の代表として国際大会に出場しなければならない」というルールが制定されちゃったらどう?

「さすが羽生!元・日本人!誇らしい!」

っていうの?

 

その縛り、要らなくね?

 

「日本人が初の快挙!」って話になった時、かならず「同じ日本人として誇らしいです」ってコメントが出てくるんだけどさ、いや、お前は別に何も誇らしいことやってねぇぞってちょっと思っちゃうよね。

快挙を成し遂げた、その一個人がすげぇんであって、自分も同じ国籍なだけで、何も努力しないでドヤるのはどうなんだ?みたいな。

そんな気持ちも、若干持ちつつ、私も日本代表が活躍すると、うれしいんだよね~。

 

ま、とにかく、羽生結弦選手のケースを考えると、国籍は日本人、生まれも日本人、だけど、カナダで練習してるし、カナダ人コーチの指導を受けてる。

こういう場合、「日本スゲー」っていうよりは「カナダ・スゲー」の方が正しいような気がするし、もっと言えば「羽生結弦スゲー」が正解なんじゃね?って気がするって話ね。

 

これ、練習拠点や、スポーツ環境の話ね。

 

 

今度はDNA的な観点から観てみようか。卓球の張本智和選手は日本人だが、お父さんもお母さんも、元・中国人の卓球選手だ。

もうさ、こうなってくると、ますます「日本人だから」というくくりが意味をなさなくなってきてるよね。

張本一家は2014年に日本に帰化したので、変な言い方になるけど、お父さんもお母さんも、日本人歴はまだ浅い。

 

張本選手の場合、両親のどちらかが日本人のDNAを持っている「ハーフ」でさえない。

DNA的な話をすれば、がっつり100%、中国にルーツがある。

 

さて。これをどう捉えるかだ。

 

張本選手は、まぎれもなく日本育ちの日本人である。

法律上、何の問題もなく日本人だ。

卓球界のルール上も、日本人プレーヤーということになる。

日本代表として、打倒中国の中心的な選手である。

ハッキリ言おう、間違いなく、張本選手は日本卓球界の宝である。

 

これを、「血」とか「DNA」で判断したがる人々はどう考えるか。

国籍上は日本人でも、DNA的に両親が中国人だった場合、「DNA至上主義者」は、どう捉えるだろうか。

 

差別するだろうか。日本人として認めないんだろうか。

もう一度言おう。

張本選手は、まぎれもなく日本人であり、日本卓球界の宝である。

 

卓球界には、中国1強という、悩ましい問題がある。

世界の卓球人口はめちゃめちゃ多いはずだが

「卓球をオリンピック種目から外すべきではないか?」

という意見もあるらしい。

 

オリンピックに選ばれる競技というのは、ある程度「世界的に普及している」種目でなければならない、ということらしいんだけど。

(それで、野球は過去に除外された経緯がある。世界的には普及してないから)

 

んで、卓球と言えば、中国ですね。まさに卓球王国です。

卓球は世界的に普及してはいるものの、実際に国際大会の結果を観てみると、あきれるくらい、中国人選手が上位をほぼ独占しているんですよね。

(そんな中、日本はかなり大健闘しています)

 

はっきり言ってしまうと、

世界ランキングの上位は「中国人選手」と「元・中国人選手」がほとんど、という状態。

 

中国卓球のレベルが高すぎるので、世界トップクラスの実力がある選手でさえも、中国代表にはなれない、という問題が発生しています。

それで、国際大会への出場機会を求めて、準レギュラークラスの選手は他国へ帰化するわけです。

その結果、

「卓球って実質、中国でしか普及してないのと同じだね、オリンピックから除外しようか」

という話になっちゃうわけね。

 

これはこれで、またひとつ、大きな問題でもあります。

今回は掘り下げませんけど。

 

 

ちなみに、過去にはこんな出来事もありましたよね。体操の塚原直也選手がオーストラリアの国籍を取ろうとして失敗?あと猫さんの件。

あんまりハッキリ覚えてないんですけど、体操の塚原直也選手が、国際大会(ロンドンオリンピック)への出場機会を求めて、オーストラリアの国籍取得に挑んだんですが、大会には間に合わなかった、とかなんとか。

 

確かねぇ、帰化申請すると、審査があるんだけどさ。

その中の簡単な日常会話のテストで、塚原選手は英語が全然分からなくて不合格だった、って噂を聞いたことがあります。(ホントかどうか知らん)

 

結局、その翌年かな、再チャレンジしてオーストラリア人になったわけですけど、時すでに遅し。

今現在は、ご両親の騒動で一躍有名になった、あの朝日生命体操クラブの総監督を務めているそうです。(国籍はオーストラリアのまま)

 

あ、あと、最近だとあれだね、猫ひろし。

マラソンでオリンピックに出場するために、カンボジア国籍を取得して、なんかもう、めちゃめちゃバッシングされてましたね。

 

あれはやっぱ、何かねぇ…。

イメージが悪かったよね。

なんか、ふざけてるように見えちゃってさ。

まぁ、芸人さんだからさ、当然、ふざけるんだけど。

 

あと、アレ。

「マラソンのレベルの低い国へ行けば、そんなに速くないオレでも代表にはなれるだろ?」っていう考え方がさ、

物価の安い国へ行って、ドヤ顔で豪遊して金持ち気分を味わっているハンパな成金と、同じような臭いがしちゃってるというか。

 

 

そろそろ、まとめますか。結局ね、この流れは、止められないと思うよ。逆流させることは不可能。

エントロピー増大の法則ってのがありますが、それと同じようなことなんじゃないでしょうかね。

(違う?)

 

最終的にはね、全ての人類は「混血」になるんですよ。

ってか、すでになってるんだけどね。

 

「◯◯人だから」ってのは、割合でしかないんよね。

 

我々はネアンデルタール人との混血だった 覆る進化の定説 :日本経済新聞

人類進化の定説が大きく揺らいでいる。最近の研究では、ネアンデルタール人などの旧人類と現生人類との間に、これまでいわれていたような深い断絶はなく、実はかなりの交わりがあったことが明らかになってきた。むしろ、別の血を入れることが人類をより強く進化させてきたようだ。

今日の非アフリカ系の人々のゲノム(全遺伝情報)の最大3%がネアンデルタール人由来だ。人によってそれぞれネアンデルタール人由来の異なるDNA断片を持っている。そのため、現生人類が受け継いだネアンデルタール人の遺伝情報の総和は3%よりはるかに高く、最近の計算によれば少なくとも20%にはなると考えられている。

 ホモ・サピエンスとの混血があった旧人類はネアンデルタール人だけではなかった。近年発見されたデニソワ人(シベリアの洞窟で見つかった4万年ほど前の謎めいた指の骨から回収されたDNAによって特定された人類集団)も、私たちの先祖との間に混血があった。

 

われわれ人類(ホモ・サピエンス)は皆、ネアンデルタール人との混血なわけよ。

 

もっと言うと、いろ~んな血が入ってんのね。人それぞれ割合が違うだけで。

 

みんな雑種なのよ。

血統書付きの人間なんてのは、いないんだよ。

 

こうなってくるとさ、国境とか、国籍とかって、何か意味あんのかな?ってなってくるよね。

いつまでもそういう分類分けして、区別して。それって、無くすことできないのかな?っていう気がしてくる。

 

国籍が違う。肌の色が違う。話す言葉が違う。宗教が違う。

・・・・・・・・・

そうやって、区別してるつもりが、いつのまにか「差別」を生んでないだろうか?

 

アフリカ大陸なんて、地図、観てごらんよ。

はるか昔に、アフリカに攻め込んできて支配したヨーロッパの連中が、勝手に、地図上に定規で直線を引いて、「この線からこっちはオレたちの領土~!」とかやっちゃってさ。

地形や、そこに住んでいる人々の暮らしを無視して、押し寄せてきた部外者が勝手に定規で引いた直線が「国境」だって?

そんなバカげた話があっていいんだろうか。

 

難しい話なんだけどさ~、ホント。

仲間意識とか。

郷土愛とか。

所属の欲求とか。

愛国心とか。

 

まだまだ、今の人類にとっては、難しすぎる問題です。

幼いからねぇ、人類は。

もっと成熟して、大人になれば、乗り越えられるのかも知れないけど。

今はまだ、もう少し、イザコザも続くでしょう。

 

もしかすると「スポーツ」の分野が、国籍や国境を最初に乗り越えるのかも知れませんね。

今回、全米オープンを制した大坂なおみ選手は、いわゆるハーフです。

(お父さんがハイチ系アメリカ人)

 

現在、陸上競技で活躍している選手の中にも、たくさんのハーフの選手がいます。

ハンマー投げの室伏広治選手のお母さんはルーマニア人。

室伏選手のフルネームは「Koji Alexander Murofushi(広治 アレクサンダー 室伏)」です。強そう。

 

短距離走にも期待の星がいますね。

サニブラウン・アブデル・ハキーム選手のお父さんはガーナ人。

ケンブリッジ飛鳥選手のお父さんはジャマイカ人。

 

今後の日本バスケットボール界は、お父さんがベナン人の八村塁選手や、アメリカから帰化したニック・ファジーカス選手がけん引していく気配です。

女子バスケの方も、現在日本の大黒柱として活躍中の渡嘉敷来夢選手はお爺さんがアメリカ人ですし。

 

もうね、将来的には「◯◯の血が流れているから」とか「◯◯生まれだから」というのは、あんまり関係なくなっていくような気がしますね。

そうなると…どうなっちゃうんでしょうかね…?

国籍や国境が意識されず「国別対抗」みたいな発想が無くなった時、世界はどうなっているんでしょうかね?

ちょっと想像がつきませんね。

 

もしかすると、グローバル企業がそれぞれのチームを抱えて対戦する感じになるのかも…?

 

 

関連過去記事。

gattolibero.hatenablog.com

 

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