病気や障がいを抱える方々は相模原市障害者施設殺傷事件をどうとらえたのか
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今日、ブログでとりあげるのは神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件についてです。
記事にするかしないか、数日、迷いました。
非常にデリケートな話題です。
中途半端な態度では臨めない。
スゲー疲れる。
時間もかかる。
でも、記事にすることにしました。
しいて理由を挙げるなら、自分自身がいろいろ感じたことを、サクッと忘れてしまわないために。
さらに言うと
「いろんな立場にいる人達が、いろんな考え方をしているんだなぁ~」と、読者のみなさんに感じてもらえたらいいな、っていう思いも少しあります。
なんかこういう言い方すると、非常に傲慢な感じがして嫌ですけどね。
「四つ這いおとな」というブログ
僕はまだ四つ這いをする。これからもずっと卒業することはないだろう。それは、僕が歩けないからだ。僕はそうやって、生まれてから20年以上生きてきた。
(略)
まずひとつ言えるのは僕が「脳性麻痺」という状態になっているということだ。
だから僕が歩けなかったり、手もあまりうまく動かせなかったり、その他いろいろな制限を受けているのは、基本的に全部生まれつきなんだ。
「四つ這いおとな」氏とは、数か月前からブログを通じて親しくやり取りさせてもらっている間柄です。
主義主張の違いから舌戦?を繰り広げることもありますが、まぁそれも含めて仲良くしてるブログ仲間です。
彼は自身のブログを通じて「我々が目指すべき社会の在り方」を訴え続けています。
本人がどう捉えているのかは分かりませんが、私には、彼の人生そのものが、ある意味「たたかいの歴史」のようにさえ思えます。
そんな彼にとっては、今回の「相模原市障害者施設殺傷事件」は、当然、避けては通れない問題です。
これはあくまでも、「四つ這いおとな」氏、彼個人の意見であって、障がい者全員の総意ではありません。
100人いれば100通りの意見があって良いわけで、障がいがある人だって、皆それぞれ違った意見、信念を持っています。
例えば、この記事の中に、他のブロガーさんの記事に言及している部分があります。
重度知的障害を伴う自閉症児の息子さんを持つ、お母さんのブログに対してです。
四つ這いおとな氏は、このお母さんの考え方に疑問を呈しています。
私自身も「あれっ?」と思いました。
もしかすると、私が間違って理解してるだけかも知れませんが…
このお母さんの中では
「理想の世界=さまざまな障がいのある人々が心身ともに完治してハンデが無くなる世界」
というような感じだと思うんです。
四つ這いおとな氏いわく
でも、これは結局根本的な解決にはならないんだ。だってこの考えかたの奥底にあるのは、「弱さの否定」で、それを「矯正」することによって解決しようとすると、「社会の力」はますます衰えていく一方になるから
障がいや病気とは縁遠い生活をしている人なら、このお母さんのように「全員が健常者になればいいのに」っていう考え方もあるだろうな、とは思いましたが、
障がいのある息子さんがいて、こういう風に考える人もいるんだなぁと、改めて考えさせられました。
(もちろん、ブログの記事を1つ読んだだけでは、お母さんの真意は分からない可能性も大きいです。いろいろ決めつけてしまうのは危険ですので、興味を持たれた方は、是非、引用元のブログを読んでみてね)
まぁともかく、いずれにせよ、
「1人も弱者がいない素晴らしい世界を創ろうぜ」
じゃなくて、
「強い奴も弱い奴もいろんな奴がいて、それでもOKな世界を創ろうぜ」
という考え方の方が、いいような気がするんですよね、私も。
例えば
「テストで最下位の人間を排除しましょう」 という考え方だと、まずテストで0点だった者が排除されます。
しかし、それで理想の世界が実現するのかといえばそうじゃない。
次に排除されるのは、新しく繰り下げで最下位になった者たち、すなわちテストで1点だった者たちです。
そして、1点だった者たちを抹殺した後、
次に排除されるべき最下位の人間は、テストで2点だった者たちです。
最下位の者(一番弱かった者、一番役に立たない者)を排除する、という考え方自体を改めないと、どこにも辿り着くことは無いでしょう。
イジメの問題に似てますね。
今、イジメられている子が自殺すれば、イジメが無くなるのか?
答えはNO。
次に弱かった子が標的にされるだけです。
「弱者」を虐げる、搾取する、排除する、そういう考え方が無くならない限り、終わりはありませんよね。
全員が強者の世界など、あるわけがないんですから。
おっと、すでに1900文字いってしまいました。
後半は駆け足で行きましょう。
他にも、こういった方々のブログもありました。あわせてどうぞ。
明恵(みょうえ)氏のブログ。
非常に興味深いです。
stargazer-myoue.hatenablog.com
私は現在、30代で若年性パーキンソン病という進行性の難病にかかっています。
病気が進めば、体の自由が奪われ、最終的には寝たきりになります。
今は症状が軽く一応健常者ですが、少しずつ障がい者に近づいています。
そのため、現在の私は健常者と障がい者の中間の存在です。
(略)
数年前、私が病気と無縁であったころ、正直、障がい者は邪魔な存在でした。
足手まといにしかならない存在であり、この世の中において必要性が見出せませんでした。
必要のないものは捨てればいいと思っていました。
当時の私は自分以外の他者の命を大事にしていませんでした。他人の命は物扱いでした。
当時の私は人間性が欠落していました。
昔の私はこの犯人と似たような存在だったと思います。
そんな私が病気になり、自分が障がい者になると分かった時、人生が一変しました。
自分自身が足手まといの存在になってしまったと思ったからです。
だいちゃん氏のブログ。(氏は不要か(笑)?)
過激な記事タイトルですが、内容は決してヘンテコじゃありませんよ。
・重度障害者は健常者が思っているほど不幸ではない
・安楽死させろだなんて他人が人の人生を勝手に決めるな
・障害者は図太く堂々と生きていこう
これが私の主張です。
個人的には
「安楽死に関する事を他人がどうこう言うな」
っていう部分には、非常に共感しています。
ということで、まとめ。
私は今回の「神奈川県相模原市の障害者施設『津久井やまゆり園』殺傷事件」に関して、
現時点では特に、逮捕された元同園職員、植松聖(さとし)容疑者(26)について、あれこれ言及するつもりは、ありません。
そういう趣旨で書いてる記事ではないので。
というのも、もともと私はあまりテレビやネットのニュースを見ない人間なので、最新の確かな情報を知らない、という場合が非常に多いんです。
先日、偶然つけていたテレビで「植松容疑者は2月の時点で大麻の陽性反応が出ていた」というニュースを見た時に思いました。
このニュースを、見たか、見なかったかで、言及の仕方が、かなり変わってくるだろうなと思ったわけです。
おそらく今後も事件や犯人(容疑者?)に関する追加の情報がいろいろと出てくるでしょうが、それを逐一、追いかけないと、言及するのは難しいな…そう思いました。
ということで、切り口としては、今回の記事はタイトルのように
「病気や障がいを抱える人々は相模原市障害者施設殺傷事件をどうとらえたのか」
という感じになりました。
いろんな立場の人が、いろんな考え方、捉え方をしているんだなぁと、私自身、いろいろと考えさせられました。
ちょっと予想以上に長くなりました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。