映画『藁の楯』(大沢たかお 藤原竜也)観たんだけど酷かったな…
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昨日の夜、テレビで放送してたじゃん?
映画『藁の楯』(主演:大沢たかお 藤原竜也)。
連続殺人の容疑者(藤原竜也)の首に大富豪が懸賞金10億円をかけたことにより、日本国民1億2千万人が、藤原竜也の命を狙う状態になった。
警視庁の敏腕SP(大沢たかお)はその本心とは裏腹に、殺人鬼藤原を護衛する羽目になり葛藤に苦しむ…みたいな話。
かなり荒唐無稽な設定で、題材としては面白そうだったんだけどさ、酷かったな…。
【閲覧注意】今回の記事は毒舌担当のブラッキーが執筆しております。ブラッキーのことは嫌いになっても、自由ネコのことは嫌いにならないでください。
『藁の楯』ファンは、今すぐ踵を返して、ここを立ち去れい!ボロクソに感想を書くよ。
お久しブリーフ!毒舌担当のブラッキーです。
いや~酷かったね!
「監督 三池崇史」っていうクレジットを見て嫌な予感はしてたんだけどさ。
やってくれたな…って感じですよ。
大沢たかおも藤原竜也も、すごく好きな役者なんでね、何とかなるかな…?って期待したんだけど、どうにもならなかったね。
率直に言いますよ。
中学生とか高校生が考えた話かと思った。
「ぼくがかんがえたさいきょうのけいさつしょうせつ」
誰だよ?誰が書いたんだよ?
って思ったら、原作者が『ビー・バップ・ハイスクール』で知られる漫画家・きうちかずひろ先生でした。
なるほど。
深掘りするのはやめておきましょう。
いや、設定自体は面白かったんだよ。
余命いくばくもない超絶大富豪の老人が
「私の可愛い孫を殺した、憎い殺人鬼を始末してくれた人には10億円差し上げます」
って日本中に呼びかけたら、どんなことが起こるのか?
っていうぶっ飛んだ設定ね。
もうちょっと、上手に料理すれば、面白くなった可能性はあると思うんだよな…。
ちゃんとさ、警察内部の各部署の力関係とか組織の事情に詳しい人への、徹底した取材を敢行してさ、それらの情報を元にしつつのフィクションであれば、もうちょっとリアリティのある仕上がりになったんじゃないのかね。
どう考えても、取材してない。
事前のリサーチがお粗末すぎて、現実離れしすぎている。
「そんなことは絶対にないだろ大会」が開催されてしまっている。
「警察って多分、こんな感じだと思うんだよね」って中高生が想像で描いたレベル。
「犯人の護送って大体こんな雰囲気かな」くらいで描いちゃってる。
ニトログリセリンを積んだ暴走大型トラックが突っ込んできて、大爆破とか、まぁいろいろと面倒なことになったんで、急遽「やっぱこの先は車じゃなくて電車を使おう」ってなってさ。
たまたま良いタイミングでホームに滑り込んできた新幹線の車掌に、SPの1人が警察手帳を見せて「この電車の一両を今から我々が貸し切りにする」って言って、車掌が「はいそうですか。了解です」みたいな感じとかなんなんだ。
指揮系統とか、どうなってる。
警察もJRもそんな感じでいいのか。
なんかいろいろ安易すぎてさ。
もうちょっと説得力のある理由をつけないと、全体がバカっぽくなってる。
殺人鬼(藤原竜也)を護送しているSPが、藤原容疑者の腰縄から手を離して、うっかりよそ見をしている間に逃げられるとか、子どもの警察ゴッコよりもずさんだ。
よそ見してもいいけど、最悪でも、腰縄は掴んでないとダメだよ。
何回も何回もうっかり目を離し過ぎだぞ、松嶋菜々子。
まぁそういう場面のオンパレードなんですよ。
まっとうな大人が考えた話としては、ちょっとどうかな…っていうリアリティの無さ。
■目立つ酷評
英映画評論家ジェフ・アンドルー(Geoff Andrew)氏はツイッター(Twitter)に「こっけいなほど過剰な演技に無意味さの強調、そうした陳腐な展開が延々と続く」と書き込んだ。
映画誌「CineVue」もウェブサイトに『藁の楯』評を掲載。「完全な失敗作」との講評で採点は5点満点中、1点だった。
カルト映画専門誌「エレクトリック・シープ(Electric Sheep)」も、「鉛の風船が失墜するようだ」と失望感を表現した。
某刑事「オレは違う!濡れ衣だ!GPSで居場所を発信していない!嘘だと思うなら、身体検査してみろ!やましいものなど何も持っていない!」
(身ぐるみ剥いで身体検査)
某刑事「ほらな、なにも怪しいものは持ってなかっただろ!?」
遠めから見ていた大沢たかおが一言
「お前…その手首の傷…マイクロチップ(GPS付き)埋め込んだな?」
はい、某刑事確保~。
なんだ。
なんなんだ。
こんな感じで大丈夫なのか?
これさぁ…
撮影中とかにさ、大沢たかおとか、いろいろ言いたくならなかったのかな。
「いや、監督、ここちょっとおかしくないスか?」
とか。
松嶋菜々子とかも
「私、こんな間抜けな役、やりたくありません!」
ってならなかったのかな。
プロだね。
プロの仕事だね。
マジリスペクト。
ある意味では、三池監督も期待に応えてると言えなくもない。
三池作品は当たりハズレが激しい、ということが持ち味という事でね、これはこれでみずからの役割をしっかり果たしているんじゃないかと。
とにかく、3周くらい回って、非常に楽しめました。
こういう作品は、みんなで鑑賞しながら
「おいっ!」
ってツッコむためにあると思っています。
結局これ、映画『藁の楯』のテレビ放送ってタイミング的に、藤原竜也の現在上映中の映画の宣伝の一環だったんですよね?
映画『22年目の告白 -私が殺人犯です-』
これも面白そうじゃないですか~。
監督は誰かな?
まさか三池監督…?
違うよね?
(あえて確認しない)
ちなみに、藤原竜也容疑者の護送には、警察車両、新幹線、徒歩、個人タクシー、一般人から強引に奪った自家用車、などを乗り継ぐのではなく、シンプルにヘリコプターを使えば良かったんじゃないかって気がします。
身も蓋もない意見でフィニッシュ。
追記気味に一言。連続殺人鬼にモラルで何かを訴えかける意味について。
思い出した。
追記気味にちょっと書きます。
藤原竜也が演じる殺人鬼に対して、大沢たかおが演じるSP(セキュリティ・ポリス)が、モラルを問うシーンがあったんです。
「何故、どうしてお前は人を殺すんだ~~!」
って感じで。
でね、私、思うんです。
殺人鬼が人を殺す動機を、一般人が、一般人に理解できるように、自分たちの物差しで測ることってできないんじゃないかなって。
理屈とか、倫理観とか、そんなものとは別次元の話なんじゃないか?って気がするんですよね。
ちゃんと親身になって話を聞けば、人を殺す理由が自分たちにも理解できるはずだ、っていう発想は、なんつ~か根本的に違うんじゃないか?って気がするのです。
映画の中のシーンでも、
藤原竜也が「おばさんは、おばさん臭ぇんだよ。(だから殺した)」みたいに動機を語る場面がありますが、それって、一般人にとっては殺人を正当化する理由になんてなりえないじゃないですか。
でもきっと、殺人鬼にとっては、ちゃんと理に適っていて、つじつまが合っていて、殺人の動機として成立してるんだと思います。
一般人のモラルに当てはめて考えてしまえば、理解不能ですが。
「粘り強く説得すれば、きっと分かり合えるはずだ」っていうのは、間違えているかも知れないし、危険な発想でさえあるかも知れない。
そんなふうに思いましたね。
『藁の楯』の大沢たかおのように、正義とか、倫理とか、まぁなんというか、一見正しそうな道しるべにしたがって生き、そして当然、他のみんなもそのように生きているはずだと強く信じる、という行為…
これ、すごく素敵だったり、良いことのように見えてしまいがちですけど、実を言うと「自分の物差しで他者を測る」という意味でしかない、っていう気がするんですよね。
「私にとっての正しさ」で、殺人鬼を説得できる、改心させることができる
という思い込みがあるとすれば、それはむしろ逆に傲慢で、過激で、危険な発想のような気もするのです。
おそらく、殺人鬼にでさえ、実はちゃんと自分なりの行動原理というか、自分自身を納得させられる指針みたいなものはあるんだけど、その物差しの目盛りというか単位が、一般人には到底理解しがたいものである、ということのような気がするのです。
実際はどうなのか、分かりませんけど。
ちょっとした追記のつもりが長々と書いてしまいました。
疲れたので、今日はこのへんで。