オリエンタルラジオの『PERFECT HUMAN』の動画を初めてちゃんと観ました(笑)
レイザーラモンRGなんかと同様に「面白くない」を突き抜けちゃうと「逆に面白い」になっちゃうパターンでしょうか。
面白くないと言えば、面白くないんですよね、これが(笑)
でも全然面白くない事を、何の疑いもなく真顔でやってる事の面白さ、みたいな、1周まわって結局、面白いっていう感じですね。
これは、私がリスペクトするフレディー・マーキュリー師匠にも若干、通じる部分がありますね。
フレディー師匠はカッコいいとか悪いとかを超越しちゃった存在です。
昔、世界のナベアツが白いランニングシャツにモモヒキ穿いてフレディーに扮するネタがありましたが、まさにアレです。
フレディー本人は、周りを笑わすつもりはまったくない……はず。
でも、一歩引いたところからみると「コレ…カッコ悪くね?」っていう(笑)
オリラジの『パーフェクト・ヒューマン』は新しい笑いの形なのか?
ナインティナインの岡村さんが、オリラジの『パーフェクト・ヒューマン』についてのコメントで「もしかするとこれが新しいお笑いの形なのかもしれない」って語ってましたね。
ボケて、ツッコんで、みたいなスタイルは、過去のものになりつつあるのかも知れません。
実際、今の若い人は島木譲二師匠のパチパチパンチも、ポコポコヘッドも、全然笑えない訳じゃないですか。
でもこれ、あと30年くらい経つと、もう一回、ポコポコヘッドで大爆笑する時が来るのかも知れませんけど。
ともあれ、新しい表現方法を積極的に取り入れ、挑戦し続けるオリラジの生き様は、高く評価されてしかるべきだと私は考えています。
まだ誰も足を踏み入れていない荒野を進むのは、非常に勇気がいる事です。
それが結果的に、面白かろうが、面白くなかろうが、そんなことは別にどうでもいいんです。
大切なのは、開拓者精神、最初の1人目になる度胸があるかどうかです。
オリエンタル・ラジオは、闘っているのです。
オリラジの事を「つまらねぇ」とか「PSYの江南スタイルのパクリですよね」とかディスることは簡単です。
しかしそれは、私的には、的外れな批評と言わざるを得ません。
ピカソのエピソードにこんなものがあります。
ある取材者がピカソにこんな質問をしました。
「ピカソさん、あなた実は、いろんな画家のスタイルをパクってますよね?」
ピカソはこう答えます。
「いかにも。私は他の画家の作風をパクってるよ。
もし私が、すでに高い評価を得た今の作風をずっと創り続けていれば、誰からも批判を受けないだろう。
しかし私は、自己模倣はしない。自分自身の作品のモノマネはしない。」
ピカソは闘っているのです。
黙って黙々と、すでに評価を得た作品と似たり寄ったりのモノを創り続けていれば、大衆は喜んでくれる。
しかしあえて、新しい事へとチャレンジし続ける道を選んでいるのです。
みずから、舗装されていない「イバラの道」を進もうとしているのです。
オリラジの『パーフェクト・ヒューマン』という表現方法は、既存のお笑いの範疇には収まらない、新たな世界への第一歩だったのです。
これを簡単に「つまらない」の一言で片づけてしまうのは、ちょっと軽率なのではないでしょうか。
「面白い」とは何なのか?「カッコイイ」とは何なのか?
人間っていうのは、カッコつければつけるほど、カッコ悪くなる部分ってあるじゃないですか。
ノンスタイルの井上が、カッコつければカッコつけるほど、びっくりするくらい気持ち悪くなっていくという、あの感じとか最高です。
最初は嫌いだったのに、1周まわって、いつの間にかノンスタ井上の事が超大好きになっている自分に気付いたりしますよね(笑)
いつの間に、ノンスタ井上の事で頭の中がいっぱいな私…的な(笑)
NON STYLE 井上裕介のみんなのアイドルになりたくて - Yahoo!ブログ
そして、カッコ良さを通り過ぎると、物凄くカッコ悪くなるけど、それさえも超越してしまえば、もう一回カッコ良くなるという、ちょっと意味が分からないところまで到達してしまったのが、我らがフレディー・マーキュリー師匠です。
フレディー師匠の勇姿を観よ!!
ダセ~!カッコ悪い~~!!
でも、だからこそ、超カッコいい~~!!
ダンスとかも、超~ヒドイじゃないですか、フレディー師匠(笑)
衣装も意味分かんないし(笑)
でも、びっくりするくらい、全く照れてないんですよ(笑)
物凄く俯瞰の位置から見れば、全力で超~みっともない事をやってる。
なんでしょうね、カッコイイ⇒カッコ悪い⇒カッコイイみたいなのを3周くらい回ってんのかな、結局、
フレディー、超カッケ~な!!
ってなるんですよ(笑)