ちょっと訳あって、お正月にデパートに行ったんですよね。
そしたら運悪くモンスタークレイマーのジジイに絡まれてしまいました。
反面教師ですね~。いろいろ考えましたよ。
「モンスタークレイマーのジジイ」…通称・モンクレ・ジジイ。
いくつくらいですかね~。70代でしょうか。
こういうのに限ってとりわけ元気だったりして余計にタチが悪い。
足腰も丈夫みたいだし、何より、声がデカい。
地下一階の食品売り場のレジ付近で、大声で怒鳴り散らしてるんですよね、モンスタークレイマー・ジジイ。
フロア全体に響き渡るような怒号。
「憎まれっ子世にはばかる」とはまさにこのこと。
先に言っておくと、このジジイ、完全にブラックリストに載っている常習犯なんです(店員さんから聞いた情報)。
デパート側からしたら、「あのモンクレ・ジジイまた来たよ…さっさとくたばれよ…」という気持ちだと思います。毎度毎度、他のお客さんにも迷惑ですしね。
The Monster Claimer
自分の娘と一緒に来店した時は、借りてきた猫みたいにおとなしいらしいんですが、ひとりでお使いを頼まれて来店した時には、頻繁にモンスタークレイマー化しているそうで。
しょ~もないことで因縁をつけて、若い女性店員を大声でどなり、ののしり、延々とクレームを言い続ける。
不愉快極まりないクソジジイです。さっさと逝っていただきたい。
逝って良し!
くっだらない話なんですよ。
「まだ他にも買う予定なのに勝手にレジでお会計された!」
って怒ってるんです。そのゴミジジイ。
だったら、商品の入ったカゴをレジに持って来て置くな、って。
百歩譲っても、大声で延々と店員さんを罵倒するような案件じゃねぇだろうが。
まぁねぇ…話はそれだけじゃなくてさ。
嘘みたいな話ですけど、私もこのモンスタークレイマージジイに絡まれまして。
完全なもらい事故。
自由ネコ VS モンクレG…!正月早々縁起が悪いね!
私もすぐにその場を立ち去ればよかったんでしょうが、なんかもう、若い女性店員さんがクソジジイにめちゃめちゃ罵倒されてるのに、周りの人たちは全員、傍観してるだけだしさ、そのままスルー出来なかったんですよね…。
そしたら、モンスタークレイマーが近づいてきて、
お前も同罪だ!
みたいな事を言いだして。
お前は何だ!
名を名乗れ!
この無礼者が!
とか言いだして。
そこをどけ!
なんだお前は!?
絡んできやがって!
警察を呼ぶぞ!
とか言ってきてさ。
もう完全にもらい事故ですよ。
私、もともとは全然、関係ないんだけどね。
でもまぁ、罵倒するターゲットが女性店員さんから逸れたんで「ナイス・俺、良い仕事した」って事にしておきましょう。
それで、
私もブッチ―ンときちゃって、
「絡んできたのはてめぇだろ…よし、警察呼ぼう」
って言ったんです。
小さな声で。紳士的に。
若干、一触即発的なムード。
チーフ的な?年配の女性店員さんが来てくれたので、私は「これはもう、頭オカシイから警察呼びましょう」って言ったんですよね。
そしたら店員さんがトランシーバー的なものをとり出して、どこかに連絡し始めて。
それを見てモンスタークレイマージジイは逃げるように立ち去っていきましたけどね。
「お前らそこを動くなよ!俺が警察を呼んでくるからな!」とか捨て台詞吐きながらね。
・・・・・・・・・
もうね、ゴミでしょ。
正月早々、ゴミ!
非常~~に不愉快。
不愉快極まりないです。
こういう時、ブログやってるといいね。
失敗談とか、ネガティブな出来事も、全部「ネタ」になるからね。
この事件、ムッシュ・モンクレから、私は何を学べるだろうか…?
ちょっと考えましたね。
もしも。
もしも仮に、この世で起こる出来事にはすべて何らかの意味があるとするならば。
神は…あるいは宇宙の意志は…私に何を気づかせたかったのだろうかと。
私はこのエピソードから何を学べるだろうか。
何に気づけるだろうか。
・・・・・・・・・
いろいろ考えました。
それで思ったのが、「己の器の小ささ」を知ることの大切さ…とでも言うかな。
おそらく、クレモンティーヌ…もとい、モンクレジジイは、自分の人としてのスケールの小ささにまっっっったく気づいていないと思うんですよね。
「あ~あ…今日もまたデパートで、些細なことで人をネチネチと何十分も罵倒しちゃったよ…トホホ…反省…」
とは、断じて思ってないはずなんですよ。
むしろ、自分を被害者だと思っているはず。正しいことをしていると思っているはず。
このクレーム・ジジイが、金持ちなのか、地主なのか、元社長なのか、何なのか知らんけど、ああいった傲慢な態度を、日常的に繰り返しているわけです。
根底にあるのは「俺、スゲー」という勘違いからくる傲慢さ、
あるいは
「俺、ショボい」という現実を受け止められない弱さからくる裏返し的な行動だと思うんですよね。
どっちにしても情けない人間です。
70年も80年も生きてきて、ようやく辿り着いたのがその境地か。
ダサい。虚しい。
めちゃめちゃ反面教師。
まわりから「迷惑だから、さっさと死んでくれよ…」と思われながら生きることのつらさ。
きっと、人はみな、不完全だし、至らない部分があるんです。あって当然なんです。そして、それをしっかりと認識しているからこそ謙虚でいられるのではないでしょうか。
このことを忘れて「俺スゲー。俺完璧。俺正義の使者」になっちゃうと、モンクレジジイみたいな末路を辿ることになるんじゃないでしょうかね。
結局私も、同じ穴の狢ってことだったんだなぁと反省しましたね。
私も、モンクレジジイと同じです。同罪です。
程度の差こそあれ、同じベクトルです。
モンクレを100分の1に希釈したものが私です。
デパートの食品売り場で人を罵倒することは無くとも、誰かを罵倒したくなることは山ほどある。
ディスりたいこと山のごとし。
器…小さい。小鉢か。
反省。
反省に次ぐ反省。
ひとりの人間ができることなどたかが知れている。ましてや私にできることなど…
私は時々、思うことがあります。
この先、自分がどう生きようが、相変わらず地球は回り続けるし、基本的には何も変わらない。
どっちに転んでも、ほとんど何も影響を与えることなどできない。
でね。
それを踏まえたうえで、あえて思うわけです。
ほとんど大勢に影響を与えることが無いとして、そのうえで、あえて考えるわけです。
自分がした行為は
世の中をほんの少しだけ良くする行為だったか?
それとも
世の中をほんの少しだけ悪くする行為だったか?
効果の大きさなど、最初から度外視です。
自分に大それたことができるなんて思ってませんから。
問題なのは、どっち方向なのか?ってことです。
自分がしてきたこと、
あるいはこれからやろうとしていることが
少しだけ世の中を良くするような行為なのか。
あるいは
少しだけ世の中を悪くする行為…言い換えれば「生きにくい社会にする行為」なのか。
最近はそういう視点で「自分」や「世界」を眺めることが多くなりましたね。
とはいえ私もまた、不完全で至らないところばかりの「器の小さな人間」なのです。
全部踏まえたうえで、それでもなお、前を向いて生きる、ってことしかできないんですけどね~。
「実質、ほぼ何もできない。でもやるんだよ」っていう。
自分の力を過信せず、謙虚に。
いま目の前にある「自分にできること」をひとつずつこなしていく。
コツコツと。
ただひたすら地道に、あきれるくらいにコツコツと。
結果として何かを成し遂げることができるかも知れないし、そうじゃないかもしれない。
でもそんなことは気にせず、淡々とやり続ける。
まぁ「人生に何を望むのか?」は人それぞれ自由です。
私は私なりのやり方でいきたいと思います。
2018年もどうぞヨロピク。