「twitter(ツイッター)」は「人生の縮図」だと思う。

twitterツイッター)の有効な活用法を考えていて、ふと思った。

もしすると…

ツイッターっつ~のは「人生の縮図」みたいなもんじゃないだろうか…?

今日はそんな話。

 

twitterツイッター)、面白いんだよねぇ~…。タレントでも著名人でもない、いわば「フツーの人」の人生が垣間見える。

普段からスポットライトを浴びているような、有名芸能人とか、各界の著名人とか、そういうスゲー人たちの舞台裏や、生の声を聴ける(読める)っていうのは、ツイッターの醍醐味のひとつなんだけどさ。

 

私の場合はそうではなくて、芸能人でも有名人でも無い人々……まぁなんつ~かな、自分と同じようなね、「庶民」というか「一般人」というか「市井(しせい)の人」というかな、いわば普通の人たちの人生の悲喜こもごもが垣間見えるってのが、非常に面白いんですよねぇ…。

 

以前にもちょっと書いたけど。

探偵!ナイトスクープ」とか、「ドキュメント72時間」とか、普通の人々の、人生の1ページを切り取って焦点をあてるような番組が好きなんですよね。

gattolibero.hatenablog.com

みんなそれぞれ、何かを抱えて生きてるワケ。

前出の「探偵!ナイトスクープ」もそうですけど、ドキュメント72時間に登場するのもまた、芸能人のような美男でも美女でもない、何かスポットライトが当たるような特別な功績を残した人でもない、普通の人々です。

 

私はね、きっとそういう「普通の人々」の人生に興味があるんでしょうねぇ。

いたって普通に見える人たちだって、いざ取材をしてみたら、みんなそれぞれ何か深い深い事情を抱えているんですよね。

ひとりひとりが、それぞれの人生の主人公なんです。

 

 

ブログも実は、それに近いっちゃ近いんでしょうけどね、ちょっと違うんです。

身も蓋もないことを言っちゃえば、ブログを継続して書き続けることができる人間ってほんのわずかなんですよ。(私もこの1年の間に3回くらい、めちゃめちゃ辞めたくなった時期がありました)

実際のところ、ブログを始めても、9割の人が早々にリタイヤしてしまいます。(オレ調べ)

したがって、1年、2年とブログを更新し続けている人って、大げさに言うと、いわば「選ばれし者」なのです。特殊能力の持ち主というかな。

人気があるとかないとか、収益が多いか少ないか以前の問題で、そもそも「ブログを続けている」というだけで、ある意味では「己に勝った」勝者、なのかも知れません。

「ブロガー」とは「自分自身を表現し続けることを辞めなかった人」と呼べるのかも知れません。

なんつって。

 

その点、ツイッターは、ブログほどにはハードルが高くありません。

何も書けない(つぶやけない)時でも、他の人のツイートをリツイートしたり、自分自身の過去のツイートをリツイートしたりできますし。

「うわ~!何もつぶやけねぇ~~!」

と苦しむ人はあんまりいないんじゃないかと思います。

たった140文字だしね。

 

そういうこともあって、ツイッターの方がブログよりも、もっと軽~い気持ちで取り組めますから、よりいっそう、いろんな人たちが生息している地域なわけですね。

種の多様性。

言ってみれば、ブログが極寒のアラスカ地方で、ツイッター熱帯雨林地方のジャングルというか。

ツイッターの方が、生態系のバリエーションが豊か…という気がします。

ツイッター村には、いろんな生命体が潜んでいます。よりいっそうユニークなのです。たぶん。

(あくまでも個人の感想です)

 

そろそろ本題に入りましょう。

 

 

ツイッター」≒「人生の縮図」説を提案したい。

twitterツイッター)をどのように活用するのが最も効果的なんだろうか…?

私は時々、そんなことを考えたりしていました。

 

愚痴や泣き言を吐き出してスッキリする。

失意のどん底で打ちひしがれている自分自身を慰める。

もう一度立ち上がろうとする己を鼓舞する。

追い風に乗って絶好調の自分をドヤ顔でアピール。

 

まぁ、いろいろと使い方はあるだろうなぁ~…と思ったりして。

 

でね。

ふと思いついたのです。

「これって人生に例えることができるんじゃないか?」

って。

 

ハッキリしたことは言えないけど、もしかしてもしかすると、フォロワーの数と、関係してるかも知れない…って思いました。全然関係ないかも知れないけど。

 

人間の一生というかな、人間の成長と、つぶやきの関係。

勝手にいろいろ、妄想してみました。

一応、断わっておくと、これは、ツイッター利用者の年齢や、ツイッター使用歴とは、いっさい関係がないと思われます。

 

1.幼年期。赤子。(手をひねられたくない時期)

人間で言えば、赤ちゃん。あるいは乳幼児とか。

お腹がすいたら泣く。

オムツが濡れたら泣く。

背中が痒かったら泣く。

眠たくなったら泣く。

本能の赴くまま、自分を表現する。

 

ツイッターで言うと、

「お腹すいたー」

「疲れたー」

「ねむいー」

など。

ひたすらこのような、赤子的つぶやきだけを連投している段階では、なかなかフォロワーが増えない…と思う。

フォロワー数…ゼロに近い。

 

 

2.少年期。(♪夏が過ぎ~♪風あざみ~♪的時期)

他者の存在に気づき始める。

自分自身が、世界の中心ではなかったことを知る。

コミュニケーションを学ぶ段階。

友だちとおもちゃを貸し借りし、喜びを分かち合う。

 

ツイッターでは、

自主的に興味深いアカウントをフォローしたり、

フォロワーさんと「いいね」をしあったり、

ツイッター上での社会性を育んでいく。

フォロワー数…じわじわ増える

 

 

3.反抗期。(電信柱に夢ひっかけろ)

人間で言うと、夜の校舎の窓ガラスを割るとか、触るもの皆、傷つける時期。

バイクを盗んで走り出すケースもある。

自分の事を分かってくれない大人たちや、社会に対して、牙をむく。

吠える。反抗する。

いろんなことにとりあえずイライラする。

自我に目覚めたことにより、自分と世界との折り合いに苦しむ。

 

ツイッターで言うと、

アイツがフォロー返さなかったとか、

フォロー外したとか、ブロックしやがったとか、

とりあえず隣人ともめる。

チェッカーズの「ギザギザハートの子守歌」状態。

ナイフみたいに尖っては、触るものみな傷つける。

クソリプ投げつけ祭り開催。

フォロワー数…増えたり減ったり。

 

 

クソリプとは…?参考文献

gattolibero.hatenablog.com

 

 

4.青年期。(愛と青春の旅立ち)

人間で言うと、己の可能性や能力が決して無限ではないことを知り、目を逸らさずに、それを受け止めていく時期。

生きることの辛さや孤独、絶望を味わい、どん底からもう一度再起をかけて立ち上がるためのチカラを培っていく。

過去のトラウマや将来への不安を、葛藤しながらも乗り越えていく。

シンデレラのごとく大人への階段をのぼる。 

自分なりの生き方を見つけ出す。

 

ツイッターでは、

愚痴や泣き言よりも、自分をいたわる言葉や、自分自身を鼓舞する言葉が徐々に増していく時期。

「自分を勇気づける言葉」は、同時に「他の誰かを勇気づける言葉」でもあることに気づく。

「言葉の持つチカラ」を知り、それを有効活用したいと考えるようになる。

今まで自分勝手に発していた言葉が、誰かの心に届いた時に「大きな意味」を持つことを実感するようになる。

ネガティブな気持ちが湧いた際にツイッターで紛らわすのを卒業する。

散歩やヨガ、ジョギングなどの運動、十分な睡眠、おいしい食事など、ネガティブ・ツイートに代わる、健康的なストレス解消法を随時、複数確保し、実践するようになる。

すなわち、一皮むける。

こうなってくると、俄然、ツイッターが面白くなってくる。

フォロワー数が数万人いるような超人には成れないという現実を知ってもなお、後ろ向きになることなく、自分にできることをやろうと心に決め、前を向けるようになる。

自分の持ち味を生かすスタイルや芸風を見つけ出し、確固たるものとする。

フォロワー数…増え続ける。

 

 

5.老年期(棺桶に片足IN)

人生のたそがれ時、一周まわって、全てがどうでもよくなる。

夢も希望も目標も野心も、何もなくても、健やかに、朗らかに生きていければそれでよいと思える境地に達する。

近づきつつある「死」にうながされ、人は店仕舞いの準備を始める。

 

参考文献。私がリスペクトしている通称「箱ばあちゃん」

gattolibero.hatenablog.com

 

ツイッターでは、

どうでもよいことをつぶやくようになる。

湯上りタマゴ肌的なシワひとつないつるんつるんの脳みそから繰り出される、珠玉の迷言が炸裂する。

フォロワー数…気にしない。

 

 

 

 

 

 

 

こうして、改めて見てみると……やはり、ツイッターとは「人生の縮図」なんじゃねーーの?

なるほどねぇ~、納得ですよ、納得。

最後はうやむやにして、お茶を濁して終わりたいと思います。

 

 

 

ご清聴ありがとうございました。