さっき初めて「一杯のかけそば」っていう話について、それなりに詳しく知りました(ウィキペディアで)
なんとなく「泣ける話」ってのは聞いたことがあったけど、う~~ん…。
まぁいろいろ、微妙だったね。
そもそも昔「一杯のかけそば」ブームみたいなのがあったんだけど、それも完全スルーしたからね。
何年前かな~、1990年くらいだったのかな、「一杯のかけそば」ブーム。
大体ざっくり、30年くらい前ですか。
アチコチでね、取り上げられてたんですよね。
「この話、泣けるよ!」
みたいな。
でも私は、当時からすっかり、世の中を斜に構えて見ておりましたのでね、この話に、全然興味が持てなかったわけです。
私は天の邪鬼(アマノジャク)なのです。
みんなが「いいよ!」っていうものに、反射的に飛びつくってのが、どうにもこうにも抵抗があるんです。
みんなが右を見ている時には、「左には何があるんだろう?」って気になっちゃう。
そんなわけで「一杯のかけそば」ブームの時には、この話題を完全スルーしてしまいましたので、結局、どういう話なのか詳しいこと知らないんですよね。
んで、さっき、今さらながら、ウィキペディアで「一杯のかけそば」のあらすじを読みまして。
「ん~~~~~何これ。余談も含めて『何これ感』、ハンパねぇ話だな」
って感じたので、ちょっと言及しようと思います。
知らない人もいそうなので、まずは「一杯のかけそば」のあらすじを
あらすじ
1972年の大晦日の晩、札幌の時計台横丁(架空の地名)にある「北海亭」という蕎麦屋に子供を2人連れた貧相な女性が現れる。
閉店間際だと店主が母子に告げるが、どうしても蕎麦が食べたいと母親が言い、店主は仕方なく母子を店内に入れる。
店内に入ると母親が「かけそば(つゆが入った器に茹でた麺を入れただけの、種を入れていない蕎麦)を1杯頂きたい(3人で1杯食べる)」と言ったが、主人は母子を思い、内緒で1.5人前の蕎麦を茹でた。
そして母子は出された1杯(1杯半)のかけそばをおいしそうに分け合って食べた。
この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった「北海亭」のかけそばを食べに来ることが年に一回だけの贅沢だったのだ。
翌年の大晦日も1杯、翌々年の大晦日は2杯、母子はかけそばを頼みにきた。
「北海亭」の主人夫婦はいつしか、毎年大晦日にかけそばを注文する母子が来るのが楽しみになった。
しかし、ある年から母子は来なくなってしまった。
それでも主人夫婦は母子を待ち続け、そして十数年後のある日、母とすっかり大きくなった息子2人が再び「北海亭」に現れる。
子供たちは就職してすっかり立派な大人となり、母子3人でかけそばを3杯頼んだ。
何これ。
「実話をもとにしたストーリー」っていうふれ込みで、当時大きな反響を呼んだらしいんだけどさ、いろいろ微妙な気がするなぁ…。
作者は栗 良平(くり りょうへい)って人なんだけど、この人がまた…いわく付きというか。
まぁいいや、オチは最後に取っておくとして、「一杯のかけそば」の中の矛盾点や違和感について考えてみよう。
ここがヘンだよ「一杯のかけそば」。実話だったとは思えない。
な~んかな~。うさんくさいのよ。
こんな話を鵜呑みにして泣けるほど、ワシはピュアでもないしバカでもない。
あらすじの1行目から、早くも微妙。
ちなみに私は、「一杯のかけそば」の本編は全く知りません。映画も観ていません。
あくまでも、私の情報源はウィキペディアのみです。
よって、勘違いが発生している可能性もあります。ご了承ください。
疑問その1 本来、おおみそかの23~24時あたりの蕎麦屋は、年越しそばを求める客でごった返してねぇか?
大晦日の晩、閉店間際の蕎麦屋「北海亭」が舞台、ってことなんだけど。
さびれた田舎のマズい蕎麦屋なら、大晦日に店を閉めるってのもありえるかも知れんけど、一応これ、札幌市内らしいんよね。
「時計台横丁」なんていう場所は存在しないけど、まぁ、時計台の近辺ってことは、なんとなく分かると思うのよ。
・・・・・・
思いっきり都心よ?
大晦日の蕎麦屋って……稼ぎ時じゃね?
1年で最も忙しくね?
私は人混みとか苦手だから、大晦日とか正月に、人が集まるような場所には極力いかないようにしてるんで、大晦日の蕎麦屋がどういう状況なのかは知らない。
でもおそらく、
「リアルタイムで店内にお客を呼び込むために店を開けているパターン」
か、
あるいは、
「大量の年越しそばの注文が入っていて、店舗の方まで人手が回らないので店自体は閉めちゃってるパターン」か、
そのどちらかだと思うんよね。
そんでもって、お店を開けてるパターンだとしたら、日付が変わる瞬間のカウントダウンのタイミングも、当然、お店開けてると思うんだよね…。違うのかな。
ようするに、「大晦日の閉店間際」って、無くね?
少なくとも、札幌の時計台周辺では、
大晦日は翌1月1日まで、蕎麦屋は店を開けてるんじゃないだろうか。
疑問その2 この母子は、過去にも毎年「北海亭」を訪れていたのでは?
このへんもちょっとウィキペディアだけでは分からないんだけどさ、
この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった「北海亭」のかけそばを食べに来ることが年に一回だけの贅沢…
っていう部分があるじゃないですか。
少なくとも、父親が存命中、父親は北海亭のリピーターだったんじゃね?
おやじは北海亭の常連客だったんじゃね?
もしかして…いつもオヤジは、ひとりでそばを食いに来てたんだろうか。
いや、よく分からんけどさ~、時々は、カミさんや子どもたちも、「北海亭」に連れてきてたと思うんだよね~。
そういう、仲の良い、アットホームな家族だったと思うんよ。
父親と、母子は、ちゃんと魂レベルで繋がってた。
だからこそ、オヤジ亡きあとも、オヤジのお気に入りの店をチョイスして、母子はやってきたんだよね?
仲の悪い家族なわけがない。
じゃあ、やっぱ父親は「北海亭」に、ちょいちょい家族を連れてきてるよ。確実に。
だとするとだ。
店の店員、店主は、この母子の顔、知ってるはずなんよ。
もっというと、覚えてるはずなんよ、父親存命中の常連客の時点で。
「あ~、またあの、貧乏くさい家族きたな」
って分かってなくちゃダメだと思うんよね。
なんかさ、父親が死んで、母子家庭になってから、初めて「北海亭」を訪れた、みたいなイキフン(雰囲気)、醸し出してるけどさ、違うと思うのよ。
大晦日の蕎麦屋に、母と子供がやってきた時、
店主は
「いらっしゃい!おっ?今日は旦那さんは、ご一緒じゃない?」
くらいの感じが正解だと思うんよね。
少なくとも
「貧乏人だと察して、かけそばに1.5玉、こっそり入れてあげた」
みたいな、よそよそしい感じにはならないと思うんよ。
いや、実際には「一杯のかけそば」本編には、そのへんの具体的な状況とか、ちゃんと収めてあるのかも知れないんで、何とも言えないんだけどさ。
まぁとにかく「その年以来、毎年、母子が来るのを待っていた」って話だから、やっぱ、常連客の顔は覚えてるはずなんだよな~。
客商売って、そういうことだと思うんよね。
ましてや、同業者とか飲食店がひしめいている、時計台周辺で店舗を構えてるわけだからさ、そのへんはちゃんとしてなくちゃダメよ。
疑問その3 本当に人情味のある店主ならかけそば3杯出してやれ
なんで1.5玉なのよ。0.5玉増量で、イイ話になんのか?
疑問その4 毎年大晦日にかけそば食いに来るけど、近所に住んでんのか?
時計台横丁という架空の地名は、おそらく時計台周辺を指していると思うんだけど、あのねぇ…めっちゃ街なかじゃん。
ゴリゴリの観光名所じゃん。
貧乏な母子は、その辺に住んでんのかな?毎年、どうやって「北海亭」まで来てるんだろうか。
やっぱ店の近所に住んでる…?
・・・・・・・・・
あのへん、家賃高いだろ。
疑問その5 母子が数年ぶりに北海亭に姿を見せて、こう言った。「かけそば3杯!」
就職して、すっかり立派になった子どもたち…。
「かけそば3杯!」じゃねぇよ。
お前ら、ちゃんと就職したんだろ?
身なりを整えるだけの余裕もできたんだろ?
「かけそば」頼んでんじゃねぇよ!
ちゃんとトッピング乗せろや!
このケチ!
渋ちん!
(店主の心の声)
北海亭の店主としては「てんぷらそば」くらい頼んでよ…
って心底、思ったでしょうね。
それが、ドヤ顔でさ。
大将!ぼくら、立派に就職したんで!
今までお世話になりました!
感謝の気持ちを込めて、今年は、かけそば3杯、注文させていただきます!
北海亭の売り上げに貢献しなくちゃね!てへっ!
って。
この時の店主の顔。
…(-_-)
もうね「ス―――ン」って感じですよ。
「一杯のかけそば」に対して違和感を持ったのは私だけではなかった。タモさん激怒。
タモリさんも、何かこの話に「胡散臭さ」を感じていた模様。ウィキペより。
フジテレビ『笑っていいとも』で、司会のタモリが「その当時、150円あったらインスタントのそばが3個買えたはず」「涙のファシズム」と作品を批判した
他にも、上岡龍太郎さんとかね、「この話、おかしくね?」って懐疑的もしくは否定的な目で見ていた方々もいたらしいですね。
上岡龍太郎は「閉店間際なら売れ残った麺がある。店主は事情を察したなら、3人分出すべきだった」と弁舌鋭く指摘した
そもそもね、「実話です」みたいな、ウソつかなけりゃ、そんなに反感買わなかった可能性もあるんだよね。
最初から、「創作です、でっち上げです」っていうテイで広まってりゃ、問題なかった…ような気もするんだけど…でもなぁ~、どっちみち、バッシングされていたような気もするなぁ。
というのもね、
この話の作者、栗 良平(くり りょうへい、本名・伊藤貢)って人、詐欺の常習犯だったらしいんよね。
なにこのオチ。
嘘つく人は、我慢できずに、やっぱ嘘ついちゃうんだねぇ…。
そもそも、この話、台湾のいわば「一杯のワンタンメン」みたいな話のパクリじゃないか?っていう疑惑もあったりして。(台湾の話は実話らしい)
なんかもうね…。
台湾の実話を基にしたパクリなら、ある意味では、たしかに「実話をもとにしたストーリー」と言い張ることはできるのかも知れないけどさ。
それを栗 良平がパクって、深く設定を作り込むことなく安易に雑に日本版にしたもんだから、アチコチつじつまが合わない「単なる作り話」になっちゃった、ってことだと思うんですよ。
それで「実話にしては違和感あるな」ってなってさ。
そのまま、雪崩式バックドロップ状態で、この話を作った栗って人、何か胡散臭いな~って話になって、調べてみたら、詐欺師だった、っていう悲惨なオチ。
経歴
自称していた「北海道大学医学部卒」が虚偽である事が発覚。さらに、滋賀県で寸借詐欺をしたことも明らかになり、表舞台から姿を隠した。
1998年まで各地を転々とし詐欺的行為を繰り返したとされる[1]。
その後、滋賀県大津市の山中でテント生活を始め、さらに詐欺的行為を繰り返し、同市にある岩間山正法寺の次女と親しくなり、寺は真言宗醍醐派からの離脱を申し出たが総本山醍醐寺は認めず、裁判となって最高裁で敗訴したという[2]。
「一杯のかけそば」の作者は「北海道大学医学部卒」と学歴を詐称していたことが明らかになり、さらに寸借詐欺で姿をくらます。
さらに作者は、各地を転々として女性をだましたり、詐欺的行為を繰り返した。
そうか、詐欺師だからこそ、これほど完成度の高い「つくり話」が書けたのか。いや、こんな「つくり話」を思いつく才能があったからこそ詐欺師になれたのか?
「あの一杯のかけそばの作者◯◯◯です」と言っては、各地で無銭飲食を繰り返したらしく、彼自身の人生も、その作品に負けず「哀れをさそう話」に仕上がっている。
気の毒なのは、栗を信じ込んで、涙をダラダラ流して、栗ファンクラブ的な何かを作っちゃった人々ですかねぇ。
後援会
作者が『一杯のかけそば』を口演して日本各地を行脚したため、物語に感動した有志たちによる「一杯のかけそばを読む会」、「栗っ子の会」が結成され、これが日本中へ作品を広めるきっかけとなった。
う~~む…。
「別に作者が詐欺師でもいいじゃないか!」
「感動のストーリー自体には罪はない!」
とかね、よく分からない弁護?をする人も現れそうですけど…。
まぁひとつ言っておくと、そういう人は、何か胡散臭い宗教団体とかに騙される素質十分だと思うんで、どうぞお気をつけて。
なんでも鵜呑みにしない方がイイよって話。
逆輸入的にリンク置いときましょう。
「100日後に死ぬワニ」にふわっと言及しておきました。