ポケモンGOは素晴らしい。
AR(拡張現実)を圧倒的に身近なものにした。
歴史に残る「革命的」ゲームだと思う。
でも
私はポケモンGOは、やらない。
なぜ乗っからないのか。
いや、
なぜ乗っかることが出来ないのか。
おそらく少年期の環境が、私の「乗っかれない性格」に影響を与えていると思う。
これはあくまでも、「私」の非常に個人的な話です。
おそらく、大半の人は
「オレは違う」「私はそう思わない」そう感じるような話です。
事前にご了承ください。
ポケモンGOをやらない理由。とりあえず、ざっと考えてみる。
一般的でありがちな「ポケモンGOをやらない理由」をザックリ挙げてみます。
- ポケモンに興味が無いから。
- ゲームに興味が無いから。
- 子供の教育上、良くない気がするから。
- 時間がもったいないから。
- スマホを持ってないから。
- おカネ(通信量)がもったいないから。
- 歩きスマホは危ないから。
そして、
- みんなが飛びつくものに乗っかるのはダサいから
という人もいるかもしれませんね。
でも、私の場合、ちょっと違うような気がしていて。
おそらく、
スマホを持っていたとしても、やらない。
お金が十分にあったとしても、やらない。
歩きスマホの危険性がゼロだったとしても、やらない。
それで考えました。
この「乗っかれない性格」って何なんだ?って。
いつから、乗っかれなくなったんだろう?
おそらく、子供の頃の体験が影響してるんだと、改めて気づかされました。
(なんとなく分かってはいたけど、真面目に分析することは無かった)
ということで、子供の頃の話。
我が家は、とりたてて「ド貧乏」というわけではありませんでしたが、両親はゲームを買ってくれない人でした。
というより、ゲームうんぬんの前に、家族間であまり交流がありませんでした。
お互いに無関心というか。
小学校の記憶では、家族全員がそろって食事をした記憶がほとんどありません。
正直、今だに、実家に帰った時に両親と一緒にご飯を食べることが出来ません。
苦痛です。
慣れてないんですね。
親と一緒にご飯を食べた経験、記憶がほとんど無い。
親とご飯を食べる…。
あの空気に耐えられません。
独りで食べることに慣れてしまったんですよね。
それが当たり前で、自然なことになった。
ということで、
先日、実家に帰った時にも、意図的に食事の時間を両親とズラしました。
(私だけ、後から食べるパターン)
基本的に、お互いに愛情が無いのかも知れませんし、あるけどめちゃめちゃねじ曲がってるのかも知れません。
ともかく「分かり合えない感」みたいなものは、子供の頃からヒシヒシと感じていました。
私は親に対して、自分の思ってる事を言えませんでした。
それは相手を信頼してないから、なのかも知れませんが。
ゲームウォッチを買ってもらって怖かった話
一度、父親と一緒に外出した時に、ゲームを買ってもらったことがありました。
父はゲームをやることに大反対な人間だったので、度肝抜かれました。
私がおもちゃ売り場のショーケースの中にある任天堂の「ゲームウォッチ」を舐め回すようにして凝視していたのを見て、不憫に思って買ってくれたそうです。
ただ、私はその時、本当にビックリしましたし、嬉しかったけれど、すごく怖かった記憶があります。
このままゲームを持って家に帰ったら、両親は大ゲンカになる。
どうしよう…。
とにかく、すごく怖かったことを覚えています。
そのくらい、我が家では
「ゲームは無し。ありえない」という存在だったのです。
レコードの貸し借りが出来なかった話
私が中学生の頃は、クラスメイトが洋楽のレコードをお互いに貸し借りする時代でした。
欲しいレコードを何枚も買えませんから、みんな、別々のレコードを買うんですね。
それでお互いに、
友達のレコードを借りて自宅でカセットテープに録音する、という作戦です。
私は基本的に、滅多に他人に心を開かない人間でしたが、それでも一応、友達風に見えるクラスメイトたちがおりました。
友達風な彼らは皆、洋楽のレコードを買い、お互いに貸し借りしていました。
話題はいつも
「カセットテープを買うならあの店が安い」とか。
「あいつが買ったレコード、ダサいな」とか。
私だけです。
レコードを買わず、誰からも借りもしないのは。
本当は、その輪の中に入りたいと思っていました。
同じ話題で盛り上がりたいと思っていました。
でも、レコードが買えるほどのお小遣いを貰ってなかったし、
そもそも、うちにはレコードを録音するオーディオ機器がありませんでした。
いわゆるコンポってやつ。
おそらく、一度くらいは両親に「コンポが欲しい」と言った事があると思いますが、瞬殺で却下されたんだと思います。
そのへんは覚えていません。
私はクラスメイトに
「レコード買えるほど小遣いもらってないんだよ~」
とも言えず
「うちには録音できるコンポが無いんだよ~」
とも言えず。
ただなんとなく「その話題には興味が無い人」を演じることでしか居場所を確立できませんでした。
情けない話ですが。
たぶん、こういったエピソードがいくつもいくつも積み重なった。
欲しくても我慢するしかない。
諦めるしかない。
そういう状況が他にも無数に、日常的にあったんだと思います。
あんまり覚えていませんが。
私は本当は、絵を描いたり、本を読んだりするのが好きだったんだと思います。多分。
でも、私が知らないうちに、勝手に
水泳教室に通うことになっていたし
器械体操を習うことになっていたし
少年野球のチームに入部させられていました。
そんなこと、やりたいだなんて一言も言ってないのに。
(辞めたいと言うと張り倒されます)
まぁそういう親子関係だったわけで。
意志の疎通なんて微塵もない。
「欲しいものがあっても諦めるのが正解」
「自分の意見は言えなくて当然」
みたいな感覚が、自分の中に出来上がっていったんじゃないかと思います。
幼少期からの刷り込みですね。
マインドコントロール。
今、冷静に分析してみれば、って話ですけど。
結局、生きていくためには「いろんなものに無関心でいる」のが一番、都合が良かったのかも知れませんね。
私の場合は。
そんな感じの人間形成の結果、現在に至る、的な。
おそらく、私がポケモンGOをやらない、やれない理由ってのは、そのへんなんじゃないか?って気がしています。
まぁこれは、あくまでも私個人の話。
賛同を得たいとか、共感してほしいとか、全然そんな話じゃなくてね。
「きっと自分がポケモンGOをやらない理由ってこういうことなんだろうな」
って話です。
あっそうそう。
昨日、初めて知ったんですけど、はてなブログのキャッチコピーは
「書き残そう、あなたの人生の物語」
だそうですよ。
もし仮に、私がポケモンGOをやるとすれば、間違いなく「ブログを書いてる時間」を「ポケモンGOの時間」に充てることになるはず。
そう考えると、私は
ポケモンGOよりも「わたしの人生の物語」を書き残すことを選ぶかなぁ~(笑)
ちょっと長くなりました。
最後まで読んでくれてありがとう!