人にはそれぞれ与えられた役割がある。そう信じることで救われることもある

広告

人は皆それぞれが別の役割を与えられて存在している・・・そう考えると心が軽くなったりします。

誰かと自分を比較して、勝った負けたと一喜一憂する必要が無くなりますから。

本来、比較はできないんです。

みんなそれぞれ、スタートもゴールも違うんだから。

大事なのは、それに気づくことです。

 

はい、おめでとうございます。今このブログを読んでいるアナタは他人をうらやむ必要が無くなりました。

「各自がそれぞれ別のミッションを与えられて生きている」

そう信じてしまえばいいんですよ。

 

Aさんは、Aさんに与えられたミッションをこなしている。

Bさんは、Bさんに与えられたミッションをこなしている。

 

アナタは、アナタに与えられたミッションをこなせばいいんです。

 

Aさんの真似をする必要もない。

Bさんと優劣を競う必要もない。

 

どちらの人生が良い人生か?なんてのは本来、比較できないんですよね。

 

パチンコ屋の息子として生まれたら、有名な女優と結婚できるかもしれない。

でも、それはそれ。

そういう金持ちのボンボンをうらやむ必要はないし、自分の人生と比較して、落ち込む必要もないんです。

 

たまたま運が良かったり、悪かったりするだけで。

こんなもん、まったく、自分の責任じゃないんですから。

自分を責めてもしょうがないんよね。

 

子どもは親を選べません。

当たりの場合もあるし、ハズレの場合もあるんです。

でもそれって、子どもの責任じゃないんですよ。

子どもは1ミリも悪くないんです。

たまたまそうだった、っていうだけなんですよ。

 

親が金持ちだったり、親が天才だったりすれば、資産や知性(遺伝的な)を受け継いで、人生イージーモードでやっていけるかも知れません。

しかし反対に、

親がド貧乏で、頭も性格も悪かった場合なんかは、人生ハードモードになる可能性は高いでしょう。

 

ようするにね、これ、最初に置かれた環境がみんなそれぞれ違うんだから、勝ち負けなんて比べようがないんです。

 

 

今ここに、走っている人間が2人いるとしましょう。

どっちが優れているか?

どっちが速いか?

決められるかって言ったら、決められないんです。

 

ひとりは100メートル走に取り組んでいる真っ最中。

もうひとりはフルマラソンに取り組んでいる真っ最中。

人生のある場面で、二人が偶然出会い、一瞬、同じコースで並走しているように見えた瞬間があったとしても、優劣とか、勝ち負けなんて決められないんです。

 

そもそも、種目が違う。

スタート地点も、目指すゴールも違う。

たまたま、偶然、同じコースを走っているように見える瞬間がある、っていうだけで、実際には同じコースを走ってないんです。

その、並走しているように見える場面だけを切り取って、「100メートル走に取り組んでいる奴の方が速い。こっちの勝ちだ」とは言えないんですよね。

 

何度も言いますけど、

比べようがないんです。

 

いや、比べてもしょうがないんですよ。

意味がない。

もっとハッキリ言っちゃうと、百害あって一利なしです。

 

他人は関係ないんですよ、いつでも、どんな時でも。

 

重要なのは「他人」じゃなくて「自分」です。

 

 

他人の動向を気にして一喜一憂している暇があるんなら、もっと「自分」の動向を気にしろよ、って話です。

やっぱね~、クヨクヨしている人とか、愚痴ばっかり言ってる人って、他人と自分を比較しちゃってるケースがメチャクチャ多いんですよね。

どうでもいい他人のことばかり考えて、自分の人生そっちのけのケースがメチャクチャ多いんです。

 

自分に焦点を当てるべきなんよね。

もっと自分の人生に注目すべきなんよね。

自分の本心に注目すべきなんよね、本当はさ。

 

実際、正直な話、私も以前は、今よりも何倍もやさぐれてましたからね。

グチグチ言っちゃう人の気持ちも非常~~によく分かるんですけどね。

一回、自分が通ってきた道だからさ。

まるで自分自身を観ているような気持ちになります。

 

ハッキリ言うとね、他人とか、自分の境遇とかを呪っても、イイこと全然ないですよ。

むしろ、悲しくなったり、腹が立ったり、どんどん人生が楽しくなくなるばかりです。

 

愚痴を言えばスッキリする、ってのも確かにあるんだけれども、そこに囚われて、癖になっちゃうと、今度は容易には抜け出せなくなりますからね。

これはホント、要注意です。

一回でも、そっち側の人間になっちゃうと、その後が非常に厄介ですから。

いったんダークサイドに転げ落ちちゃうと、這い上がるのがめちゃめちゃ大変になりますから。

結果的に人生の難易度を自分で上げちゃう結果になります。

自爆です。ある種の自傷行為とさえ言えるかもしれません。

 

とにかくね、他人の人生なんて、クソど~でもいいんですよ。

いや、それは言い過ぎかもしれんけど、

他人の人生ばっかり注視してんじゃねぇよ、

ってことと、

他人の人生と自分の人生を比べて喜んだり悲しんだりするなよ、

って話なんよね。

 

もっと自分に注目して、自分の人生を生きるべきなんよ。

誰かと比べることで、自分の価値や存在意義を確かめようとするのは辞めるべきなんよ。

そこではじめて、自由になれるんですよ。解放されるんですよ。

自由な魂を手に入れることができるわけですよ。

 

ず~~っと、ネガティブなことばっかりつぶやいてる人とかは、ちょっと自分の過去のツイートを見返してみるといいですよ。

「◯◯さんがどうのこうの」

「××さんがどうのこうの」

家族がどうだ、友人がどうだ、他人のことばっかり言ってませんか?

「人生の主人公」という役割を、自分以外の誰かに奪われてませんか?

 

主人公は、あなた自身ですよ。

あなたの人生は、あなたのものですよ。

それを忘れないこと。

何度忘れても、また思い出すこと。

 

はい、人生、しんどくなったら、このエントリーのことをもう一度思い出してちょんまげ。(何度も読んでちょうだい。自分の血や肉になるまで、刷り込んでちょうだい)

 

路頭に迷ったら、もう一回、仕切り直せばいい。

原点回帰。

スタート地点に戻って何度でもやり直せばいいんだから。

 

 

世界におけるひとりひとりって、パズルのピースみたいなもんで、みんな形が違うんだ。

「あなた」というピースがピッタリとハマる場所が、きっとどこかにあるんですよ。

もしかすると、その場所を探すための時間のことを「人生」と呼ぶのかも知れない。

いや、知らんけど。

 

だからさ、他の誰かがピタッとハマってるのを見て、あそこにハマりたいって思ってもダメなんよ。

各自が、それぞれ、形が違うんだから。

収まるべき場所は、みんなそれぞれ、別の場所なんだから。

 

自分の場所にハマらなきゃ。

見つけなきゃ。

そのために「自分の形」を把握しておかなくちゃ。

自分の形を知るためには、もっと自分自身に注目しなくちゃ。

自分の本心を知っておかなきゃ。

そのためには、周囲の人間の顔色ばかりうかがっていてはダメなんだよ。

そんなことを繰り返してるから「自分自身」を見失ったんだよ。

空気を読むことに必死になっているうちに自分の道を見失って迷子になったんだ。

もう一回、自分を見つめ直して。

自分と仲良くして。

自分を許して、愛してあげて。

 

 

自分に与えられた役割って何なのか分かりません~ってか。そんなもん知るか。自分で探せ!

簡単に、安易に見つかるわけがないんだけどね。

グーグル検索みたいに、「秒」で答えが見つかると思ってるアホもおるんですよ。

 

すぐに「答えを教えてください」って言ってくる。

自分の頭で考えずに。

もっと自分の脳みそで汗をかけよ。

考えろ考えろ。

頭から湯気が出るまで考えろ。

 

そのために生まれてきたんじゃねーのか。

しらんけどさ。

「自分」を知るための猶予期間として人生があるんじゃないのか。

 

バカでもいいから、一生懸命、脳みそ使え。

何かに気づいたら行動しろ。

脳みそで、身体で、汗をかけ。

 

ベッドの上でスマホをポチポチやってるだけで何か人生の本質みたいなものが手に入ると思うなよ。

人生なめんな。甘くみんな。

 

すいません、ちょっと言い過ぎました。

 

オレが思うに、本当に自分がやりたいことをやったらいいと思うわ。

誰かに言われたからやる、ってんじゃダメだ。

自分の意志で、自分の責任で、人生を賭けろ。

ダメならダメで、何かに気づけるからな。

やらなけりゃ、ただの妄想で終わっちゃう。

何も分からないままだ。

 

以前、NHKの「ドキュメント72時間」だったかなぁ。

バッティングセンターに72時間、定点カメラ的に張り込んでいたら、どんな人に出会えるかな?みたいな番組だったんだけど。

(うろおぼえ)

 

取材班が張り込んでると、夜中にスーツの男性が現れたわけよ。

バッティングセンターに。

 

んで、話を聞いてみると「SMクラブのオーナー」だって言うんだよな。

 

その男性、思春期の頃に、最初に自分の性癖に気づいた時に、絶望したんだってさ。

まだSMという世界も知らなかったんだろうね、世界中で自分ひとりだけが、こんなヤバい性癖なんだ、自分は異常者なんだ、って。

それでずっと少年(当時)は、落ち込んでたわけよ、誰にも相談できないしね。

でも大人になって、勇気を出して「私はSMが好きだ」って言ってみたら、実は自分以外にも、同じような仲間がいてさ。

自分はひとりじゃなかったんだって気づいてさ。

んで、今では、自分の特技?というか性癖を活かしてSMクラブのオーナーですよ。

勇気を出して「SMが好き」という気持ちを貫いた結果のサクセスストーリーですよ。

 

たとえば、そういうことだよな。

 

ほんとうにやりたいことをやれよ、ってのは、そういうことよ。

 

よくありがちなのが

「でも、そんなことすると親が悲しむから…」

っていう言い訳な。

親離れできてないんだろうな~。

自分の人生と親の人生は切り離して考えるべきなんだけどね。

 

自分の人生は自分のものだ、っていう自覚が足りてない。

 

 

ちなみに私は、ごろごろごろごろしていたい。

なんか散々、イイ感じのことを言っておいて、アレなんですけどね。

 

私は、己の全人生を賭けて、ゴロゴロとまったりと、のんびりと、だらーっと生きたい。

何もやりたくない。

そして、それを実現するために、いろいろ考えたり、行動したり、一生懸命、死ぬ気で頑張ってきた。(ウソ)

 

でもまぁそんな感じよ。

社会不適合者ですよ。

 

あのねぇ、率直に言いますよ。 

めっちゃ疲れてきてます。

 

何を書こうか、忘れちゃったし。

さっき、ブログ書いてる途中で、自分で「おにぎり」つくって食べたんだけど、それがいけなかったのかも知れない。

おにぎりを握ってる瞬間、ブログとかどうでもよくなってた可能性あります。

 

なんかこう、もっと言いたかったことがあったはずなんだけど、忘れてしまいました。

全然違うことを書くつもりだったんだけど、どんどん脱線して結果こうなりました。

思い出したら、また書こうと思います。

 


新装 ぼくを探しに

 

gattolibero.hatenablog.com

 

gattolibero.hatenablog.com

 

gattolibero.hatenablog.com

 

gattolibero.hatenablog.com

 

gattolibero.hatenablog.com