浅野がシュートではなくパスを…サッカー日本代表ボスニア戦のロスタイムを見て日本社会が抱える深い闇を感じた。

試合後の浅野は号泣していた。

自分でシュートを打たなかったことを悔いていた。

7日のキリンカップ決勝でFWの浅野拓磨選手(サンフレッチェ広島に所属)が、派手にやらかした。

ボスニア・ヘルツェゴビナ戦の後半アディショナルタイム3分(時計的には残り時間ゼロ)の場面。

浅野選手はペナルティエリア内で相手ゴールキーパーと一対一になった。

絶好のチャンスだ。

しかし浅野は怖気づいたのか、自分でシュートを打たずにパスを選択。

結果、パスは相手チームの選手にカットされてしまった。

ほどなくして試合終了のホイッスルが鳴り、日本は1-2で敗れた。

 

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「キリン杯・決勝、日本1-2ボスニア・ヘルツェゴビナ」(7日、市立吹田サッカースタジアム

 やり場のない後悔が涙となってあふれた。1点を追う後半48分、清武のパスを受けたFW浅野拓磨(21)=広島=は、GKと1対1になりながら小林悠へのパスを選択。相手DFにクリアされ同点の決定機をつぶした。「結果的に入っても入らなくてもシュートで終わりたかった。消極的な部分が出た」。敗戦後は責任を痛感するあまり、しばらく顔を上げることができなかった。

 

浅野は、失敗を恐れてチャレンジできなかったのか、周囲を気にしすぎて勝負できなかったのか。日本社会全体が抱える闇の一反を垣間見た気がした。

試合終了後にあれほど号泣していたのだから、浅野選手は自分でも十分すぎるほど理解していたはずだ。

あの場面では、絶対に、絶対に、絶対に、失敗を恐れずに、勇気をもってシュートを打つべきだった。

頭では分かっていたはずだ。

しかし、あの場面

浅野が反射的に選択してしまったプレーは「誰かにシュートを打ってもらう」ことだった。

これは深い。

闇が深いよ。

 

浅野の体には、すり込まれていた。

周囲の大人や、学校教育や、社会全体から、徹底して言い聞かされてきたんだろう。

 

エゴイストになるな。

 

協調性を重視しろ。

 

失敗するな。

 

失敗するな。

 

失敗するな。

 

失敗するな。

 

失敗するな。

 

おそらく、今現在の日本のサッカースクールでは、子供たちや、若い選手に対して

「失敗を恐れずに、勇気をもってチャレンジしなさい」 

という教え方をしていると思う。

 

特にフォワード、攻撃の選手には、時にはエゴイストになれ、自分勝手に主張しろ、自分自身を全部出せ、という教え方をしていると思う。(実態は知らんけど)

 

しかし、一昔前の日本のサッカー教育は、

チャレンジして失敗した選手がメチャメチャ怒られたんだと思う。

 

ちょっと遠目から打ったりして外すとコーチに怒られる。

そうすると、そのうちに誰もミドルシュートを打たなくなる。

 

自分がシュートを外した時にこうむるバッシングを考えると、自分で打たずに誰かにパスしちゃったほうが、楽だし安心だ。

 

そういう事がずっと続いてきたんだと思う。

これはもう、日本の社会そのものと、そっくり同じだ。

 

だから日本は、良いフォワードの選手が生まれにくいのだ、

という話は、ず~っと前から言われている。

 

これはサッカーだけに限ったことじゃない。

日本全体の問題だと思う。

 

 

昔、日本には「五人組」という制度があった。お互いを監視し、仲間同士で密告しあうシステムだ。

あんまり詳しく覚えていないんだけど、学校でも習ったよね。「五人組」。

お互いに仲間同士ではあるんだけど、監視し合い、弱みを握り合う関係。

 

五人組の役割は、相互検察、連帯責任にあります。悪いことをしている人はいないか、キリシタンはいないか監視し、また、欠落(逃亡)する人が出ないように注意しています。

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http://komonjyo.net/goningumi02.html

 

こういう仕組みがあれば、どうしたって、周囲の人の視線を気にして生きていくしかないよね。

みんなの顔色を伺って、なんとなく無難に生きていくしかない。 

常に多数派の側に回らなければならない。

少数派と見なされれば、次に攻撃されるのは自分だからな。

 

なんでこんな恐ろしい社会になってしまったんだろう。

 

これで正解なんだろうか。

 

gattolibero.hatenablog.com

金子みすゞ の有名な詩で「私と小鳥と鈴と」ってのがある。

私が両手をひろげても
お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥は私のように
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても
きれいな音は出ないけど

あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と小鳥とそれから私
みんなちがってみんないい。

 

 

浅野選手は、きっと生まれ変わる。次は必ずシュートを打つだろう。そう信じたい。

過去にも、練習試合や重要ではない場面では良いプレーをするのに、胃が痛くなるようなギリギリの場面では、勝負を避けるような選手は何人もいた。

そういう選手は、試合後にファンからバッシングを受けるんだけれど、それでも「大事な場面では消極的になる」という姿勢はなかなか変わらないんだよね。

技術云々じゃなくて、メンタルの問題。

そういうメンタル専門のコーチをサッカーだけではなく、スポーツ界全体で、もっと充実させた方が良いんじゃないだろうか。

もっと言っちゃうと、スポーツ界だけじゃなくて、普通の学校や会社でも、メンタルトレーニングをやってもいいんじゃないかな。

 

浅野選手はまだ21歳だ。変われる。変わって欲しい。

 

ただねぇ…結局、変われなかったサッカー選手も過去に大勢、観てきたから、そう簡単な事じゃないってのは分かるんだけどね…。

 

実をいうと浅野選手は、4か月半前にも「次は必ず勇気をもってシュートするぞ!」って心に誓ってたはずなんだよね…。

 

web.gekisaka.jp

 FWとしてピッチに立つ以上、浅野は常々「ゴールを取るのがFWの仕事。そこにはこだわりたい」と話している。しかし、大事な局面で自らの“こだわり”を捨ててパスを選択してしまったことに、「シュートで終わりたかったし、消極的な部分が出てしまった。あそこで自信を持ってシュートで終われないと」と悔しさを滲ませた。

 同じ言葉を浅野は、約4か月半前に口にしていた――。16年1月23日、U-23日本代表の一員として臨んでいた、リオデジャネイロ五輪アジア最終予選準々決勝イラン戦。試合終盤に右サイドでボールを受けた浅野はPA内までボールを運び、シュートチャンスを迎えたものの、選択したのはパス。しかも、そのパスはチームメイトに届くことはなく、決定機をフイにしてしまった。「一番後悔したシーン。ゴールにならなくてもシュートで終わっていればよかった」と深く後悔していた。

 そして、4か月半経って迎えたボスニア戦でも同じ後悔をしてしまう。「最終予選の時もパスを選択してゴールまで結び付かなかった場面があった。まったく同じミスをしていると自分でも思うし、あの経験が生かされていない。悔しいの一言です」。涙したストライカーは、2度味わった悔しさを成長につなげることができるだろうか。

 

オレは、浅野を信じたいよ。信じる。

浅野、自分自身に負けるな。