みんな違ってみんないい。幸せの秘訣は自分と誰かを比べないこと。

金子みすゞ の有名な詩で「私と小鳥と鈴と」ってのがある。

私が両手をひろげても

お空はちっとも飛べないが

 

飛べる小鳥は私のように

地面を速くは走れない。

 

私がからだをゆすっても

きれいな音は出ないけど

 

あの鳴る鈴は私のように

たくさんな唄は知らないよ。

 

鈴と小鳥とそれから私

みんなちがってみんないい。

 

金子みすゞの言ってることは、本当は当たり前の事なんだよね。

でも、今の日本では全然、当たり前じゃないから心に響くんだろうね。

 

6,3,3、で12年、学校で洗脳されたあとは「みんな違ってみんな良い」とは、なかなか思う事ができない。

学校では、ず~っと、同じ規格で成長することを強制されてきた。

キュウリみたいにね。

曲がったキュウリは商品にならないから、はじかれちゃうんだ。

規格外にならないことがとても重要。

可能な限り、みんなと同じ。それがとても良いことだと教わってきた。

「みんな同じでみんな良い」

そうやって似たり寄ったりの人間にしておいて、今度は順位を付ける。

人間がみんな同じ規格だと、とても順位をつけやすいから、楽でいいね。

 

まっすぐなキュウリ同士だと比べ易い。

そこに曲がったキュウリが乱入してくると、面倒なことになる。

ましてや、

個性をフルに発揮して、トマトやナスになっちゃった連中なんて、点数のつけようが無くなっちゃう。

先生からしたら、こんな面倒な話は無いんだ。

 

国を治めている「為政者」たちにとっては、国民全員が無個性の、似たり寄ったりのロボットであることが理想だ。

自分の意志を持たない、操り人形を大量生産することに、とても意味がある。

 

オレがもしも、悪い王様だったら、日本みたいな国を作りたい。

国民が皆、周囲の目を気にして、言いたいことが言えないような国にする。

国民同士、お互いに監視させる。

ちょっとでも正論っぽくない事を言った奴は火達磨になるような仕組みを作る。

 

法律やルールという名の針金で、がんじがらめにしてやる。

まっすぐにすくすくと成長なんてさせない。

名付けて「盆栽システム」だ。

 

盆栽やってる人って不思議だな。

針金をグルグルと巻いてる時に、巻かれてる木には、感情移入しないのかな。

 

「今こうして、強制的に捻じ曲げられているのは、まるで社会の中の自分自身ではないか?」

とは思わないのかな。

不思議。

 

 

誰かが決めたスタートライン、誰かが決めたゴールライン、そんなのもう、どうだっていいよ。

本当は、もっと好きに生きてもいいんだけどねぇ。

日本人は、どうしても「周囲の人間の目」が気になるんだってさ。

島国だから、っていう事もあるんだろうね。

話す言葉も、他の国とは似てないし、

どうしても「ガラパゴス化」しちゃうんだろうね。

ケータイだけじゃなくて、人も、文化も。

 

いろんな民族やいろんな言語が、常に身近にあれば、

「人はみんな違って当たり前なんだ」って思えるんだろうけどさ。

 

日本だと

「ねっ、同じ日本人だし、言わなくても分かりますよね?」

って感じで、同意を求めてくるじゃん。

「ねっ、同じ○○県の出身だし」とか。

 

知らんがな。って感じだよな。

 

もうそろそろ、変えていきたいね。

ってか、変わるでしょ。

 

日本も、今、変わりますよ。

 

もっともっと、自由に生きて良い国になりますよ。

 

ハリルジャパンの国歌が聞こえてきたので、ちょっと短いけど、今日はこのへんで。

 

おっ。今日は長友先発だな。

おめでとう、ゴリ友!!