マンガ『自殺島』を読むと、生きる力が湧いてくる…と思う。おすすめ。

広告

すごいマンガを発見しました。

『自殺島(じさつとう)』っていう物騒なタイトルなんですけど。

そのタイトルに反して「生きる力」が湧いてくるような内容なんすよね~。

私は『自殺島』を読みながら「こりゃブログに書かないと…!」と思いましたよ、ええ。

 

「自殺島」って作品は、元々マンガが好きな人にとっては、新発見でもないでもないんだろうけど。しかし私にとっては大発見よ。

「今さら『自殺島』かよ!みんなとっくに知ってるよ!」って人もいるかと思いますが、あえてガッツリと熱く語りたいと思います。

こういうのってね、「自分にとっては当たり前」でも、他の人にとってはメチャメチャ新鮮だったり、新発見だったりするんですよね。

 

ものすごく簡単に言うと「自殺島」ってマンガはですね、主人公が自殺未遂の常習犯?なんすよね。

死にたかったけど死にきれなかった、みたいな青年「セイ」の話。

 

んで、舞台は近未来の日本なのかな、主人公の青年みたいに、死にきれなかった人々は、みんなまとめて島流しの刑に処されちゃうわけね。

「姥捨て山」みたいな感じで、足手まといな奴らは社会から隔離してしまおうという政策のもと、無人島に放置されてしまいます。

 

死にたがってる者たちだけ数十人、無人島にとり残されるとどうなるか。

どうなると思います?

 

漫画「自殺島」は、生きる希望も気力も失った青年「セイ」が、極限状態の中、無人島でのサバイバル生活を通して、もう一度、生きる力を取りもどしていく話です。

 

ってかね、まだ3巻までしか読んでないんだけどさ。

3巻のセイはすでに十分、生きる意欲に満ち溢れています。

頼もしいくらいに立ち直り、死ぬことではなく、生きることについて考えるようになっています。

 

ちなみに4巻目以降は、話のメインが、他の無人島生活者のグループとの派閥争い?になっていく感じで、すでに「(当然のように)生きる!」っていう前提で描かれているので、ある意味、次の段階の話というか。

 

とにかくね、私的に感じたキモの部分は3巻までかな。

「ネガティブ」から「ポジティブ」への転換が描かれている部分ね。

 

1~3巻で、主人公の「セイ」が、どん底から這い上がり、少しずつ生きる強さを獲得していく有り様が描かれていますから。

ここに「生きるヒント」がぎゅっと詰まってるって感じがしますね。

 

最初はね、セイは、クヨクヨして、うじうじして、グダグダとね、ああでもない、こうでもない、ってね、迷ったり、愚痴ったり、嘆いたりしてるんですよ。

無人島に来る前の自分を引きずってるんです。

 

でも、グダグダとね、人生について考えてる暇があるなら、せっせと食料を集めなきゃダメなんですよね。現実を見ないと。甘えていたら生きていけない。

島に生息する野生動物の美しい姿を目の当たりにして、セイはいろんなことに気づきます。

動物たちは皆、生きるために生きてる。

それでいいじゃないか。それでもいいじゃないか。って。

 

これねぇ~…。

ちょっとビックリしたっていうかさ、なんか、私の過去ツイートと同じようなフレーズのセリフがチラホラと出てきたんですよね。

んで、ちょっと焦った(笑)

なんか、セイが同じようなこと言ってる!これじゃ、オレのツイートが「自殺島」のパクリみたいになってる!

ってか、「自由ネコのおっさん、自殺島のセリフをパクったな」って思われてる可能性ある!!!……って。

 

いや、パクってね~し!

 

でもそういえばさ、こんな過去記事も書いてんスよね~。

自殺島と近い部分がある。

私は昔、人生に迷っていた頃、モンゴルの遊牧民になりたいと思ったことがあります。

 

今の遊牧民がどうなのかは分かりませんが、昔ね、遊牧民は、家畜の糞を燃やして、寒さをしのいでいたわけよ。

日中は暖かくても、夜になると凍え死ぬほど寒くなるわけ。

モンゴルの大草原は。

 

だからね、日中に、家畜の糞をせっせと集めておかないとダメらしいんだよね。

夜はそれを燃やすわけ。家畜のウンコは大切な燃料なのよ。

 

んで。

中二病をこじらせた私はきっと、日中に

「人生って何だろう…。生きるって何…?」

とかさ、ポエマー気取りで恥ずかしいことをつぶやいているワケ。

 

大草原の小高い丘の上に体育座りをしながら

「今、人生について考えてるから、家畜のウンコ集めなんてできないよ…」

って。

超カッコいい感じでほざくわけ。

だせぇ。超絶ダセェ。

 

日中にウンコを集めなかった私は、夜になったら、燃やす燃料が無くて凍え死にデスヨ。

良かったね、明日は、人生について考えなくても済むよ!

(もう絶命してるから!)

 

・・・・・・・・・

 

この感じだよね。

生きる意味とか小賢しいこと言ってる暇があったら、家畜のウンコを集めるべきなんだよ。

日中のウンコ集めを怠ったら、その日の夜には凍死しちゃうんだよ。

だから、

モンゴルの子どもたちは、ウダウダ言ってないで、ウンコを集める。

生きるって

そういうことだよ。

gattolibero.hatenablog.com

 

勝手に自分を「悲劇の主人公」に仕立て上げて、悲しい…とか、虚しい…とか。

そんなこと言ってないで、黙ってやるべきことをやるしかないんよね。

 

主人公のセイが、こんなことを言ってましたよ。

「これは僕にとっての答えなんだ。きっと君には君の答えがある」

 みたいな。(うろおぼえ)

 

そうなのよ。

答えは全員、違っていいんだ。

だから、思う存分、はみ出してもいいんだよ。

 

君は、君の答えを、君だけの答えを、見つけてくれたまえ。

きっと、答えはもう、君自身の中にある。

あとはそれに気づくことだ。

幸運を祈る!

 

最後に。

ナチスのユダヤ人強制収容所にぶち込まれた経験もある心理学者フランクルの言葉。

人生に意味を問うてはいけない。

人生からの問いかけに

どう答えるのかが大切なのだ。

gattolibero.hatenablog.com