自分のケツも拭けないのに「誰かのために強くなれる」とか言っても

広告

なんかね~、つくづく悟ったね。

私は「世の中を良くする側の一握りの選ばれし者」とかじゃなかったんすよね。

ノーベル平和賞とか、1億回生まれ変わっても無理だったわ。

 

極論を言えば「自分の命を削ってまで、社会貢献できますか?」って話じゃないですか。できねぇよ、凡人には。ましてや凡人以下のオレには無理(キッパリ)

自己犠牲の精神、素晴らしいじゃないですか。

 

自分の命を削ってまで、誰かのために頑張る。

 

素晴らしい生き方だと思いますよ、ホントに。嫌味とかじゃなくてさ。

 

ただね。

 

ワシには、そういう生き方、できんかったですよ、っていう話ッスよ。

 

できねぇもんはできねぇんです。

 

現実から目を背けて、うやむやにしておいてもいいのかも知れないけど、自分的には、ここではっきりと、結論を出したいと思います。

 

アタシにゃ、無理!

 

あ~~、すがすがしい。

カミングアウトすると気持ちがさっぱりするね!

 

 

世の中を良くしようと頑張っている人は素晴らしい。でも、「それはオレの役目じゃない」と思ったね。

そもそも「世の中を良くする」ってのは、言い換えれば「自分にとって都合がよい世界に作り替える」っていうのと、同義だからな。

 

万人にとっての正しさ、

万人にとっての真理、

万人にとって都合がよい世界なんて、多分ないワケだからさ。

 

Aさんにとって良い世界が、Bさんにとっては悪い世界だったりするわけですよ、現実的には。

 

例えばさ、あの、地球温暖化どうのこうのでおなじみのグレタさんとかね。

本当にグレタさんの目指す世界が、全人類にとって良い世界であるならば、どうして彼女を批判する人間が存在するのだろうか?

全員にとってプラスなら、どうしてグレタさんを批判するのさ?

 

ということはさ、「良い世界」ってのは、どこまでいっても、「俺にとって都合がよい世界」とか「私にとって心地よい世界」でしかないわけよ、意地悪な言い方をすれば。

 

ただ、それを踏まえた上で、やっぱ凄いとは思うんだけどさ、「世界平和のために尽力してます」って人は、すげぇと思うよ。

中村哲さんみたいに、自分の命を危険にさらしてまで、世界を良くしようとした人もいるわけだし、そりゃあね、やっぱ、オレにはできんし、すげぇなとしか。

 

 

オレはオレにできることをやるしかないわけで。それ以上でもそれ以下でもない。オレはオレが取り組むべきミッションを粛々とこなすだけですよ

まずさぁ、オレ自身、オレの命を輝かせることさえできてないのに、どうやって、他人の命を輝かせることができるのか?

っていう問題があるワケよ。

 

自分で自分の人生の面倒を見ることさえできてないのに、

他人の人生の面倒を見るなんて、できるわけがないんよ。

 

まず「自分自身の心を喜ばす」ことができていないのに、他人をどうこうしてやろうって考えるのは、ちょっと何か間違えてませんか?って話ですよ。

 

「自分の生活費(食費)も捻出できない人間が、余裕ゼロでカツカツの人間が、ペットを飼ったら駄目だよね」って話と近いかも知れない。

まず自分自身を養うこと。自分(の心)を満たすことが第一。

そこをクリアできないと、次のステップには進めない。

まずは自分のご飯を用意できて、そのうえで精神的にも金銭的にも余裕がないと、犬とか猫とかを飼うべきではない、って話だよね。

本当に犬とか猫が好きなら、エサも満足に与えられない、病気になっても動物病院へ連れていけるだけの余裕もない、みたいなキッツキツの状況で、ペットを飼育しようとするのは、どうなんだ?おかしいじゃないか?って話です。

 

自分のケツも拭けないのに、他人のケツを拭こうとしてる場合じゃねぇんです。

まず、てめぇのケツ、拭かんと。

 

結局さ、炭治郎にはなれんのですよ。

ヒーローになんてなれんのですよ。

モブキャラよ。

鬼殺隊の入隊試験で、藤の山の中で鬼に殺されるところ止まりですよ、そこから先へ進めるのは、ごく一部の、選ばれし者だけなのですよ。

わしらは、しょせん、途中で息絶える、モブキャラなのですよ。

わしらだって、いつまでもいつまでも、夢見る少女じゃいられないんですよ。

無限の可能性を秘めていない、モブキャラに過ぎないんです。

いつかは現実と対峙しなきゃならんのです。

 

ちなみに、モブキャラだからと言って、落ち込む必要は全くないです。

人類70億人中69億人以上はモブキャラですから。

いや、もっと多いかもしれんな。

 

 

さかなクンのような生き方が理想的だと思う

ずいぶん前にも書いたけどさ。

さかなクンは、世のため人のために、魚を観察してたんじゃないよね。

魚が好きだから、魚を観察してたんですよ。

他人とか、世界とか、そんなの知ったこっちゃねぇんですよ、元をたどれば。

子供のころから、魚が大好きで大好きで、その「さかなLOVE」の気持ちに、自分のエナジーを全振りした結果、職業「さかなクン」という、未知のポジション、前人未踏、唯一無二の存在になりえたわけです。

 

そして、結果的に、誰かのためになってるじゃないですか。

さかなクンの存在は、他の誰かを勇気づけているじゃないですか。

少なくともオレは、さかなクンから、生きるヒントをもらった気がしているよ。

そうか、好きを突き詰めれば、それが仕事になるのか、って。

好きを極めれば、他の誰かにチカラを与えることができるのか、って。

 

さかなクンは、大学の入試で落ちてるんだよね。

ということは、高卒だな。

でもね。

今では、自分を落とした大学で「名誉准教授」?みたいなことやってんのよね。

なんか、皮肉というか、すごい話ですけど。

一度は大学側から「要らない」と言われた人間が、今度は教える側として大学から招聘されるという、なんというリベンジ。

それもこれも、さかなクンの「さかな愛」がなしえた偉業なわけですよ。

徹底して、さかな、さかな、さかな、

その一念が、岩をも砕くわけですよ。

 

自分の「好き」を貫き通せば、いつか、誰かのチカラになる。

これ、一番理想的じゃないですか?

 

 

だからね、何だっていいと思うんだよな。

「さかな愛」じゃなくてもいいんですよ。

「ガンプラ愛」とか、

「ガーデニング愛」とか、

とにかく何でもいいと思うんだよな。

 

てめぇの好きなこと、徹底して、バカみたいに突き詰めろや、って話なのよ。

 

本当に好きなことに、ノーブレーキで頭から突っ込んでいけ、ってことだと思うのよ。

 

社会貢献しようとか、誰かのために生きようとか、そんなスカしたこと考えなくても問題ないのよ。

そういうのは、気づいたら後からついてきてた、ってのが一番理想的なのよ。