人にはそれぞれ、向き不向きがある。
Aさんには簡単に出来ることなのに、Bさんにとっては難しかったり。
しかしこれって
「Bさんの方が人間として劣っている」
と言うわけじゃなくて。
Bさんの方が、Aさんよりも上手にこなせる「何か」も、きっとあるはずなんだよね。
大切なのは、自分の持ち味をいかせる分野を知っておくこと。
今日は、そんな話。
私は、とても字が下手なんです。子供の頃から非常にコンプレックスを感じていました。
さっき、ブログに書くネタを探していて、こんなメモを発見しました。
非常に字が下手。
おそらく10月17日に書いたメモかな。
テレビ番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の、デザイナー皆川明さんの「神回」を観ながら、サラサラと走り書きしたものですね。
別に誰かに見せるつもりじゃなかったので、いつも以上にヘタクソな字ですが、まぁ普段の字もこんな感じです。
蛇足ですが一応、メモの下の方には、こう書いてあります。
不器用な人間は不器用さを自分の良さに変える。
そういう経験が、自分をそうさせた。
今の自分をつくった。
まわり道でも、意味が無いワケじゃない。
何も持っていない人間でも、ひとつだけ持てるものがある。
『誠実さ』だ。
何か名言風ですね。
番組の中で、皆川明さんが言った言葉なのかなぁ…。
もしかしたら私自身の言葉かも知れないけど、自信はないです。
参考過去記事。かなりオススメです。
まぁとにかく、
丁寧に書いても、字が下手なんですよ、私は。
おそらく、字を書くことに限らず、
「お手本を見ながら誰かのモノマネをする」という行為全般が、苦手なんでしょうね。
気持ち悪いんですよ、私にとっては。
そんなわけで、書道の時間なんて地獄でした。
「とめ」も「はね」もあったもんじゃない。
「これが正解」というお手本を与えられて、極力それに似たものを生み出す、という行為そのものに違和感がありまくりなんで。
生まれつきの反抗期ですね。
生きづらいです。
そんなわけで、子供の頃、私のノートを見たクラスメートに笑われたりして。
「字、きたねぇ~~!」
つって。
非常~にコンプレックスでした。
大人になってから、いろんなことに気づく。独特な字を書くことは、別に悪いことじゃないんだな。
ある日、図書館で、進化論でお馴染みのダーウィンに関する本を読んでいた時のことです。
ダーウィンは、字がめっちゃ汚かった、というエピソードを発見しました。
「!」
衝撃の事実。
ダーウィンにとっては
「字なんて、自分が読めりゃそれでいいのさ」
って感じだったんですね。
丁寧に書くことに時間と労力を奪われるなんて愚の骨頂!
綺麗な字で100文字書くなら、
汚い字で200文字書いたほうがマシじゃん!
オレには時間が無いんだよ!
「進化論」書きあげなきゃ!
・・・・・・
って感じだったみたいで。
目からウロコですよ。
綺麗な字を書こうとする必要って…無かったんじゃね?って。
そもそも、
「字を綺麗に書かなきゃ」
という感覚って、外国の人はあまり持ってないみたいですね。
「読めるレベルならそれでOK」という感じで。
地球全体で見れば、むしろ日本が特殊と言うか。
就職の面接で必要になる履歴書なんかも、
海外では手書きにこだわってませんよね?
むしろ手書きだと不合格になるとかいう話も。
そう考えると日本人はちょっと異常かも。
心を込めた手書きじゃないと減点対象です!
誤字を修正液で直すなんてもってのほか!
みたいな風潮あるでしょ。
……生きづらい。
日本、細かいところでちょいちょい生きづらい。
というわけで。
ある時から私は
「もっと字を上手に書かなきゃ」
と思うこと自体をやめました。
「下手なら下手でまぁいいや」
そう思って、もう気にしないことにしたわけです。
「良い字」とは何だ!?「上手い字」とは別物だろうが!
そもそも、「良い」と「上手い」は別なんですよ。
それを理解していない人がめっちゃ多い。
相田みつをの作品を観てどう思うか?
決して上手くはないでしょ。
「上手く書こう」という思いそのものを捨ててるんだから当たり前なんだけどさ。
私は常々、思ってるんです。
不器用な人間は「器用さ」や「小手先の技術」で己の人生を表現できないし、すべきではない
って。
私はこれを勝手に「相田みつをシステム」と呼んでいます。
(略)
みつをは、大人になってからは書道の先生として生計を立てていた訳ですから、実はメチャメチャ字が上手い。達筆です。
しかし。
自分自身の不器用極まりない生き様を、果たして「達筆」で表現できるのか?
って話になるんですよ。
ものすごく美しい字で「にんげんだもの」
と書き綴って、それで己の不器用な生き様を伝えることが出来るのか?
できないんです。
達筆じゃ、伝わらないんですよ。
私の大好きな放浪の画家、山下清だって、絵がヘッタクソですよ。
でも、最高にイイ!
あれこそが清の持ち味!
生き様をストレートに体現しているスタイル!!!
小手先の技術なんて、実は全然、良し悪しとは関係ないんだけどさ、そこに気づいていない人がすごく多いと思うんだよなぁ。
「自分にはスキルが無いからブログが書けない」
とか言ってる人を見て、ドロップキックをお見舞いしてやりたくなってますよ、私は。
「寝ぼけたこと言ってんじゃねぇぞ、この野郎!」
って話ですよ。
「グダグダ言い訳してねぇで、まず書けよ!ドアホ!!」
って言ってあげたい気もするけど、言いません。
こういう人は、自分自身で気付くしかない。
「絵が描ける人がうらやましい。私は描けない」
とか
「絵が描けるようになりたい」
とか、
そういう考え方もおかしな話なんですよ。
「上手い絵」イコール「良い絵」だと考えているから
「技術のない自分には絵が描けない」
っていう感覚になっちゃうんだよなぁ。
「うるせぇよ。ごちゃごちゃ言ってねぇで描けよ」
としか言いようがない。
「自分自身の内側で煮えたぎっている、熱いパトスをダイナミックにフルパワーで表現してみなさいよ。良い絵ってのはそういうもんだよ」
としか言いようがない。
「今すぐ、ただちに、イラスト入門を破り捨てろ」
としか言いようがない。
でもこういう人には、口で言っても理解できないから言わない。
理解できる人は、言われる前にすでに表現してるからね。
分かる人は、
下手だろうが何だろうが、自分を表現してる。
書の先生に「味のある良い字だね」って褒められたよ(^^)/
そんなこんなで、相変わらず、きったねぇ字を書いている私ですが、今では、まるっきり「字」に関して、コンプレックスはございません。
実を言うと、私の相方の大福さんは、書の師範の免許?か何かを持っています。
たびたびこのブログに登場する大福さん。
大福さんは私と出会う前までは超絶真面目に生きていた人なので、いろんな師範?とかインストラクター?とかの資格や免許的な何かを持っています。
私と出会って以来、完全に道を踏み外した大福に対しては、
「正直、すまんかった」
と、ちょびっとだけ思っています。(あんまり思っていない)
大福は今でも時々、人に頼まれて、ボランティア的に「字」を書いています。
いわゆる「昔取った杵柄」ってやつですね。
上手いもんです。
しかし…!!
その大福が、私の書いた、きったねぇ字を見て時々、言うわけです。
「良い字だなぁ~。こういう字が書けたらいいなぁ~。書きたくても書けないわ~」
って。
はい!いただきました!
逆に、技術があるからこそ書けない字もある!!
なんか大福的には、女子高生が書くような、かわいい感じの文字を書きたいらしいんですけど、普通に書くと達筆になっちゃって、全然かわいくないんですよね。
雑に書いても、雑な達筆になっちゃう。
大福の目から見ると、私が丁寧に書いた渾身?の書(しょ)が「イイ感じにヘタ」 に見えるらしい。
・・・まぁそういうこともあるわけです。
個性ですよ、個性。
大事なのは上手い下手ではなく個性。
オリジナルかどうか?ですよ。
さて、そろそろ本題に入りますか。
脱線したまま3300文字書いてしまいました。
(しかも疲れた…)
そろそろ回収しないと。このエントリーのタイトルをもう一度思い出してみよう。
この記事のタイトル、覚えてますか?
実は、
「自分の持ち味をいかす」方法をもっと真剣に考える。
でした。
まだ本題に入ってなかった。
そろそろ持ち味の話でもしますか。
ご安心ください。すぐ終わりますから。
え~とね…。
・・・・・・忘れちゃったな…。
何を書こうと思っていたのか忘れちゃったよ。
それっぽい過去のツイートでも貼っておきましょう。
羽生善治は短距離走ではボルトに勝てないが、ボルトは将棋では羽生に勝てない。
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年5月6日
戦うなら、自分が勝負できるフィールドを見極めないと、努力が全然報われない事になりかねない。
無暗やたらに頑張るのもいいが、それと同じくらい、自分の長所、特性、ストロングポイントを知ることが大事。
他人と自分を比較して一喜一憂するのは辞めて「自分を活かす方法」をもっともっと真剣に考える。誰かの真似じゃなく自分オリジナルの生き方を見つける。世界中で自分だけが取り組んでいる競技なら、いつだって1位だし同時に最下位だ。順位は関係ない。ただひたむきに取り組む事だけが大切になる
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年6月1日
「みんなができていることは、当然、自分もできなくちゃダメなんだ」とか、そういう思い込みはもう辞めよう。誰かと自分を比べて一喜一憂しなくていいんだ。
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年9月8日
「先生に言われたから」とか「親に言われたから」とか、そういう物事の決め方も辞めよう。
自分の人生なんだから自分で決めていいんだよ。
チェコの美術学校講師を務める日本人美術家のワークショップで聞いた話。芸術的才能のある学生の中には集団で何か創らせると仲間と衝突して学校を辞めちゃう者も少なくない。逆に芸術的才能は無いけど潤滑油の働きをする者がいて実はその存在がグループに不可欠だとか。自分の持ち味を知るって大事
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年6月1日
まとめ!
お前ら!
持ち味いかせよ(^^)/!