家族の愛情を知らずに育った私は自分の存在に価値を見いだせなかった
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生きづらさを抱えたみなさん、こんにちは。
今日も地獄ですね!
でもね、地獄が何だっていうんですか。
星野源さんも名曲「地獄でなぜ悪い」の中で歌っていますね。
無駄だ ここは元から 楽しい地獄だ
生まれ落ちた時から 出口はないんだ
私たちは覚悟を決めて地獄をエンジョイしましょう。
ヤケクソ気味に開き直れ!
幼少期のいじめ(うんこもらした)、不登校、心の病気…。最近では、くも膜下出血による休養&闘病生活。散々地獄を味わい、それを乗り越えてきた星野源がコミカルに歌い放つ!!
星野源師匠の魂の叫びを聴くがいい!!
星野 源 - 地獄でなぜ悪い 【MUSIC VIDEO & 特典DVD予告編】
星野源さん関連の過去記事
この世は確かに地獄だろう。問題は「それがどうした?」と思えるかどうかだ
いきなり脱線で恐縮です!
でも、いつもこんな感じだから!!
今日から始まる新企画。【マイナスから始める生きづらさ克服講座】!今回も企画倒れになるかも知れんが、玉砕覚悟で前のめりに突っ込んでいく所存です!
どうせ人生なんて一発勝負じゃ!
泣いても笑っても死んじゃうんだ。
失敗しようが成功しようがそんなもん知るか!ドアホ!
気持ち的には三振覚悟のフルスイングじゃ!!
・・・・・・
さて。
アドレナリンが分泌し尽したところで、本題に入りますか。
性懲りもなく新企画を不定期で連載していこうと考えております。
題して。
【マイナスから始める生きづらさ克服講座】
まぁ、タイトルは仮です。適当です。
そのうち、名称が変わるかも知れませんが、所詮、枝葉の部分です。
あんまり気にしないでください。
今回は第一回目ですからね、まずは原点といいましょうかね、「生きづらさ」の発端というか原因というかね、幼少期の環境なんかについて、みなさんと共に、あれこれ考えてみたいと思います。
最初に断っておきますと、私は専門家でも何でもありません。
単なる普通の妖精みたいな者です。
「生きづらさ」に関する見解は、私自身の過去の経験から導き出したものであり、データがどうだとか、ソースがどうだとか、そんなクソみたいな事は知ったこっちゃありません。
正確性とか、信憑性とか、そういうのが気になる方は、個人ブログに書いてあることを鵜呑みにせず、ご自分で調べてみてください。最近はグーグル検索という便利なツールがありますので。
これから書くことは、あくまでも私の主観であり、ゴリゴリの独断と偏見に満ち溢れております。あらかじめご了承ください。
相変わらず前フリが長いね。いよいよ本題に入りましょう。「生きづらさ」の正体って何だ?自己肯定感?
私は物心ついた頃から、つい数年前まで、
「生きづらいわー」
「人生ってしんどいわー」
って思って生きてきました。
今はどうかというと、
「うひょ~!生きづらいね(^^)/!!」
「まいった!地獄すぎwww!」
とか、そんな感じです。
・・・・・・
自分をとりまく環境自体はそんなに変わってないな…。
ただ「その状況を悲観するのか楽観するのか」の違いだけだね。
相変わらず、生活保護レベル以下の極貧生活だし、仲の良い家族も友人も知人もいないし、人に誇れるような実績も肩書もない。
とりあえず、何もないです。
ソウルメイト的相方の大福さんと一緒に住んでおりますが、私にとって財産と呼べそうなものは大福さんの存在だけ。
それだけで十分。心底、そう思っております。
あ、あとこのブログも財産かな。
まぁとにかく、子供の頃からず~~~っと、つらかったわけです。
普通に生活することだけでも、つらくてつらくて。
おそらく、おそらくですよ。
ず~~っと何十年も楽しく生きていて、ある時、突然、生きるのがつらくなったっていう人って、あんまり多くないと思うんですよね。
生きづらさを抱えている人って、きっと子供の頃から、生きづらかったと思うんです。
自分自身でそれに気づいているか、気付いていないかは別として。
(自覚がないまま、それなりに生きてきた、という人もいると思います)
実際に感じている生きづらさが、心や体に影響を与えて、病気になる、ならないは、ともかく、生きづらさを感じている人は、その生きづらさの原因をさかのぼって考えてみれば、きっと、子供の頃の環境に思い当たるんじゃないかなって気がしています。
(あくまでも勝手な憶測です)
例えば、遺伝もあると思います。
全く同じ環境で同じように育てた実験用のマウスでも、生まれつき性格には個性がありますからね。
積極的で行動派のマウスもいるし、消極的で慎重派のマウスもいる。
無鉄砲なマウスもいるし、臆病すぎるマウスもいる。
おそらく、人間の場合もある程度、遺伝的に決まってくる部分ってあると思います。
生まれつき、生きづらさを感じやすい人、って、きっといると思うんだよな~。
勝手な憶測で言っちゃってるけど。
遺伝以上に大きなウエイトを占めていると思われるのが、子供の頃の家庭環境ね。これはもう、本人のチカラではどうする事も出来ないんだけど。
例えば、お金持ちの家に生まれるか、貧乏な家に生まれるか、とか。
愛情たっぷりの家族に囲まれて育つか、あるいは愛のない家庭で育つか…。
私のツイッターのフォロワーさんの中には、ホントにもう壮絶な家庭環境で育った方々もいっぱいいてさ。
私には、その過酷さが、ちょっと想像もできないんだけど。
でもね、私のようなボンクラでも、
「みんな必死に闘ってるんだな…」ってのは、ものすごく痛感するわけです。
いっぱい、つらい思いしてきたんだな…乗り越えてきたんだな…って。
今こうして、普通に生活しているだけでも称賛に値するなって。
みんな、すげえなって。
子供の頃に、たくさんつらい思いをしてきた人は、脳に変化が起こって、大人になってからもストレスを感じやすくなるんだってさ。
ようするに、子供の頃に受けた心の傷をすべて清算することは出来ないってことだよね。
大人になってからも、ずっとその後遺症が残り続ける感じ。なんという救いのなさ…。
子供の頃に強いストレスを受けた人は脳の扁桃体が大きくなる傾向がある。その影響で大人になってからもストレスに過敏に反応するようになるんだ。
— ネコ師匠 (@nekomasterTW) 2017年5月25日
だから幼い頃の環境に恵まれなかった人は今でも手足を縛られたまま闘っているような状態なんだ。今日まで頑張って生きてきた自分を誇りに思っていいよ。
ストレスに強い人弱い人。その原因は?
強いストレスを子どもの頃に受けた人の脳に30年後、脳の扁桃体に変化が起きていた。
不安や恐怖を感じた時にストレス反応をスタートさせる場所の事。
扁桃体が大きくなる傾向にある事がわかった。
小さなストレスにも反応するようになる。友田教授は幼少期の強いストレスが将来に関係するとしている。
[NHKスペシャル 【キラーストレス 第2回「ストレスから脳を守れ」】 ]の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版)
他の人のことは分からないから、自分の育った家庭の話をしよう。私は家族の愛情というのがちょっと分からんのです。
私自身のADHDや多動など(いわゆる発達障害)のエピソードは過去に何度かブログに書いたけど、実は親(特に父親)もそうなんですよね。
だからそのせいもあって、私は家族というか家庭というか、そういう仕組みがちゃんと機能していない環境で育ちました。
私は幼稚園あたりからもうすでに周りに馴染めないし、集団行動も出来ないし、よく大怪我をするし、迷子になるし、どうしようもない問題児って感じでした。
そのせいで、親からめちゃめちゃ怒られたり叩かれたりして育ちました。
小学校低学年くらいで「これは無理だ。自分は生きていけるのだろうか」と不安に思うようになりました。「自分は社会に順応できない」ということを感じ始めちゃった。
兄弟たちと比べて、私は勉強もできなかったので、その事でも、よく罵倒されました。
私にとっては、家族全員が敵でした。
一刻も早く、この家族から離れて生活したい、ずっとそう思っていました。
家族の愛情ってのもよく分からなかったし、私自身も人を愛するということがよく分かりませんでした。(実は今でも分かってないかも知れない)
とにかく私は、ずっと家族から、けなされて、否定されて育ったので、そういうコミュニケーションの取り方しか知らなくて、家を出てからもホント困りました。(今でも時々、困っています)
自分が過去に経験したスタイルを踏襲してしまう。
いわゆる負の連鎖というか、例えば、子供の頃に殴られて育った人は、大人になってから自分の子供を殴るようになる、ってパターンですね。
話がよく分からなくなってきました。
実はずいぶん前から、何を書いているのか、分からなくなってきております。
私は、誰の事も認めることができなかった。当然、自分自身のことも。
以前の私の目から見ると、みんなアウトだったんですよね。
世界中の何もかもがダメです。
大半の連中はみんな、生きる資格なし。
当然、自分自身も生きる資格なんて無い。
そんなふうに感じていました。
世の中を斜に構えて見ていました。
自分自身の存在も含め、いろんなことが許せなかったのかも知れない。
ホントにもう、どうしようもなかった。
どうやって生きていけばいいのか、全然わからなかった。
自分の存在に価値があると思えない。
生きてる意味あんのかな?
そんな感じでした。
自己肯定感、ゼロ。
やっぱりね、子供の頃に親から「無条件で愛された」という経験と実感があるか無いかで、その後の成長も違ってくるのかも知れませんね。
「条件付きの愛情」では無くて「無条件の愛情」ね。
結局、何が言いたかったのか、自分でもよく分からなくなった。【マイナスから始める生きづらさ克服講座】…文字通りマイナスからの出発…!!
連載企画ですからね、一気に結論に持って行かずに、小出し小出しにしていこうと企んでいたんですが、完全に自分自身が路頭に迷ってしまいました。
今回は、「幼少期の環境」と「生きづらさ」の関係に着目する作戦だったんですが、ザックリ過ぎですね。
ちなみに「自分自身の存在を肯定できないのは親のせいだ!」と両親を責めたいわけではありません。
謝ってほしいわけでもないし、恨んでいるわけでもありません。
そして逆に、
「もう許そう、どんな親でも親は親なんだから愛しましょう」と言いたいわけでもありません。
そういうことを推奨するために書いてるわけではなくて。
極端な話、もう親の事なんてどうでもいいんです。
過ぎてしまったことです。過去の話です。
親といえども他人の話です。
そんなことに心を囚われてる場合じゃない。
大事なのは「今の自分」の話ですから。
「自分の生きづらさの原因は、子供の頃の環境なのかも知れないな~」って分析しましたよ、ってだけの話です。
淡々と。クールに。客観的に。
冷静に自分の過去と対峙する。
それ以上でもそれ以下でもなく。
感情的にならずに、ただ見つめるだけ。
そこから何か、救いを求めるとか、決着をつけるとか、そういうことでもなくて。
なんというかな、もしかすると「トレーニング」なのかも知れませんね。
自分自身の問題から目を逸らさずに取り組むための練習。
自分の内面を覗き込むのって、すごくしんどいことだと思うんですよ。
醜い部分からは目をそむけたくなる。
ふがいない、情けない、無様な自分なんて見たくない。
しかしね、
そこで「自己との対話」を先送りしていては、その先には進めないわけで。
生きづらさを抱える人が、客観的に自分自身の過去(幼少期)を振り返ってみる、という行為は「本当の自分自身に出会う」ための練習みたいなものかも知れませんね。
何を言ってんのか、自分でも分かっておりませんが。
もう、必死ですよね。
最後にうまくまとめようと思って必死。
とりあえず、こんな感じで勘弁しておくれやす。次回以降も、翼の折れたエンジェルたちと共に、生きづらさを克服していきますよ。
結局、なんの答えも解決法も提示しないというこのスタイル。
ただ気づくためのヒントをチラ見せする。
これが私の真骨頂です。
「お前の問題の答えはお前が見つけろ」
この、ライオンキング・スタイル。
スパルタ教育です。
取りあえず今回は「客観的に自分を省みる練習」だったと思ってください。
とにかく生きづらさの克服は長丁場ですからね、焦らないことです。
「さっさと答えを教えろよ!」
という安易で短絡的で薄っぺらい意見はガン無視します。
そもそも、簡単に答えを教えてもらえると思っている時点で見当違いも甚だしい!
こっちはここにたどり着くまでに何十年もかかってんだよ!
とにかく私から言えることはただひとつ!
今、まったく光が見えない真っ暗闇のトンネルの中で、途方に暮れているアナタに言いたい。
私も過去に、アナタと同じような状況の中で、泣いたり、わめいたり、もがいたり、苦しんだりしたけど、今こうして、ヘラヘラしながら生きております!きっとアナタも大丈夫です!
時間はかかるかも知れないけど、トンネルを抜け出せる日が必ず来ます。諦めないことです。
私は私を信じますから、アナタはアナタを信じろ!
長くなりました。
ご清聴ありがとうございました。