「好きなデザインの仕事で稼げるようになったけど、ストレスで10円ハゲが出来て、その仕事を辞めた」という記事を見かけた。
ちょっとそのへんのところについて書いてみるか。
「デザイン」と「アート」 は、似ているようだけど、実は全然別のモノ。らしい。
確か、世界的なデザイナーの佐藤オオキ氏の言葉だったと思うが、違ったかもしれない。
デザイナーとアーティストの違い。
デザイナーは様々な規制の中でつくる。
- クライアントの要望
- 予算
- 納期
- ルールや法律
芸術家は何ものにも縛られない。
- 他人の要望よりも自分の要望
- カネに糸目はつけない。あるだけブッ込んでいい。(採算度外視)
- 一生をかけて取り組んでOK。未完成のまま死んでもOK。
- 法律も無視してOK。芸術の名のもとには全裸で街を闊歩してもOK。
こうして箇条書きにして比較してみると、完全に別物だ。
どこからどう見ても、全然似ていない。
今気づいた。
一言で言えば、
「デザイナー」ってのは職業の肩書であって、
「芸術家」ってのは生き方なんじゃないのか。
ゴッホは絵を売って生計を立てることは出来なかった。
そういう意味では「職業」は無職だ。
(弟に養ってもらっていたニート)
しかし、ゴッホは、まぎれもない世界的な芸術家だ。
こう考えると「職業=芸術家(アーティスト)」っていう言い方はどうもしっくりいかない。
表面だけ見て、上っ面だけで判断して、アートもデザインも、どちらも「ものづくり」だから同じようなものだろうと勘違いしてたら、あとで10円ハゲが出来る事になるかも知れない。
自分が本当にやりたかったのは「芸術」であり、なりたかったのは「芸術家=アーティスト」だった。
デザイナーもほぼ同じだろうと考えていたが、実際にやってみたら実は完全に別物だった……という事になりかねない。
ちょっといろいろな人の意見を聞いてみようか。「芸術家」と「デザイナー」の違い
ブルーノ・ムナーリは、デザイナーとは何かということについて、著書 『芸術家とデザイナー』のなかで次のように言っている。
芸術家の目的は「自分の信念を伝える」ことにある。
一方、
デザイナーの目的は、それにより生み出されたプロダクトが「広く消費される」ことだ。
従って芸術家は究極的には「自分や、自分と認めてくれるエリートのため」に仕事をするし、デザイナーは「すべての共同体のため」に仕事をする。
このことをムナーリは「平たく言えば、芸術家の夢は美術館にたどり着くことであるが、デザイナーの夢は市内のスーパーにたどり着くことである」と説明する。
芸術の源泉は「個」にあり、デザインの発端は「社会」にある
芸術は、個人による社会に対する個人的な意志の表現でもある。よって作品をつくる"源泉"は「個人的なもの」であり、芸術家本人にしかわからない。芸術家が孤高のイメージをもたれるのはそのためだろう。
(略)
では「デザイナーという人間」の"源泉"には何があるのだろうか。個人的な意志がなく、社会の問題発見からデザインが「始まる」のであれば、人としてのおおもとには何があるのか。私はデザイナーの根本には「"なにもない"がある」と考えている。
(略)
だから、デザインを生業とする人の底にはなにもない。芸術家がもっている「こんなものをつくりたい」「こうしたらかっこいい」「ああしたら美しい」という"自我"は存在しない。デザイナーが重視する"自分"とは、環境のなかでそれを感受する受け皿としての「個」なのだ。
デザイナーとはそのように「呼吸」する職業であり、なんというか、空虚だが豊満な人としてのあり方だと感じている。
1. デザインとアートの違い
“What is the difference between art and design?”(デザインとアートの違いとは何か?)この質問は、米国で初級デザインクラスを受ける学生達が、教授達から頻繁に投げかけられる問いの1つです。何故この質問がよく使わるのかというと、デザインを習い始めた学生の多くは、デザインとアートを混同しているためです。デザインとアートの間には、決定的な違いあります。それこそ”Design solves a problem, art is expression”(デザインとは問題解決であり、アートとは自己表現である。)というものです。
ここから言えることは、Why?をBecauseで説明出来なければ、それは明らかにデザインではないということなのです。何となく、個人的に好きだから、感覚で、といった理由を述べた時点でそれはアート(自己表現)であり、デザイン(問題解決)ではありません。
考えれば考えるほど
「アートもデザインも、同じ、ものづくりですから」
では済まされないという事がハッキリしてくる。
さて、ここで、冒頭で紹介した記事。「好きなことを仕事にしたらストレスで10円ハゲができた。」という話へ戻ろう。
やたら「(略)」ばっかり使って申し訳ないが、温度を伝えようとするとこうなってしまった。
非常にアツい。
ShunInanuma氏のブログ。
自分の目標だった、追い求めていた好きなことを仕事にするということ。これを達成した時、出来たのは10円ハゲだった。
(略)
楽しく好きだったデザインでバイトを辞めて個人事業主になったのだ。
(略)
収入はバンドマン向けにデザインを行っている頃に比べて10倍以上になった。
(略)
ずっと目標にしていた。そして1つの夢が叶った。好きなことを仕事に出来たのだ。
たがしかし大きな壁にぶつかった。ストレスを感じてないフリをしてたけど体は正直だった。
(略)
好きなことを仕事にしたけど俺はもう辞めた。
好きなことの好きな部分だけで表現する。
ただの甘ちゃんか、勇気ある決断か。
それを決めるのは未来の自分であり、今の自分である。
誰かの役に立つということが嫌だとかそういう話ではない。
自分が面白いと思えないモノを作れなかった。
じゃあ圧倒的に面白いものを自分の表現として作ってやろう。狂うほどの遊び心をぶち込んで、バカらしいと世間が思える事に圧倒的行動量をつぎ込もう。
俺がやりたいのはビジネスではない。自分がいなくても回るモノを作りたいのではなく、自分がいなければできないモノを作ってく。
好きなことを仕事にしたらストレスで10円ハゲができた。 | 今、マジになる!!ブログ-とあるフリーターが好きなことで自分らしく生きる-
なるほど。
これを読むと、本当にやりたかったことは、デザインではなく、アートだったという事なんだろう。
「好きなことを仕事にしたから10円ハゲができた」
のではなく、
自分が本当にやりたかったことが「デザインではなく芸術」だったという事に気付いていなかった事が、結果的に10円ハゲ・ブーメランとなって返ってきたのではないか。
さて、まとめ。これらのことから、我々は何を学べるだろうか。
デザイナーに限らず、芸術家に限らず、
「自分が本当にやりたいことが何なのか?」
をしっかり認識しておくべきだろう。
時々、定年退職まで勤め上げて、ようやく自由の身になったとたん
「どうやって生きていったらいいのか分からない」
とか言い出す、無駄に年取っただけの中身のないジジイとかいるみたいだけど、こんなのは、自分自身と向き合うって事を、後回しにしてきたツケが回ってきてるだけだからね。自業自得。
例えば、
本当にやりたいことが、魚屋なのか、水族館勤務なのか、遠洋漁業の漁師なのか。
あるいは、さかなクンみたいなポジションなのか。
「魚が好き」だけで終わらせずに、もっと突っ込んで考えてみる。
よくありがちな言い方だけど
「自分自身との対話」だ。
自分と向き合うのは、時として非常に辛かったりする。
自分自身の見たくない面も見なければならない。
出来る事なら自分の内面の深いところまで降りていく作業なんて、面倒だからやりたくない。
自分の醜い姿なんて、直視したくない。
本当の自分と向き合う事で傷つくなら、いっそのこと目を背けていたい。
「本当の自分」の事なんて無視して、なんとなく周りに流されて、その他大勢として生きていった方が楽なんじゃないのか。
まぁ、そういう風に思いますよ。
楽な方に逃げたくなる。それが「THE・人間」。
でもきっと、苦しくても、自分と向き合って、
「本当はどう生きたいのか?」を、真剣に考えることが、あとあと財産になるんじゃないでしょうかね。
もしも、このブログを読んでいるナウなヤングがいるのであれば、下に貼ってある竹原ピストルの唄でも聴いてちょうだい。名曲、名演奏、名動画。
以前書いたけど、竹原もいろいろ葛藤してたんだよね。
大手の事務所を辞めて、独りで日本中をドサ回りしてさ。
「より売れるもの」をつくらされることに疑問を感じたんだろう。
カネにならなくてもいいから自分自身を表現したかったんだろう。
君だけの
花の咲かせ方で
君だけの花を
咲かせたらいいさ
by竹原ピストル