サバンナ八木が7年間もブログ小説を書き続けているという事実
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お笑いコンビ「サバンナ」の八木真澄が、支離滅裂なブログ小説(ケータイ小説)をかれこれ7年間も書き続けていることを、みなさんはご存じだろうか?
今日現在で第2506話。
小説の内容はともかく、サバンナ八木の創作意欲と無尽蔵なエナジーには恐れ入る。
過去に、第1689話の内容がテレビで取り上げられたようだ。・・・ひどい。ひどすぎる。そして、この時の有吉の顔(笑)
出典 http://marticleimage.nicoblomaga.jp/
短い話なので、全文引用させていただこう。
真澄携帯小説1689話
2014年01月27日
アジとハマチは揉み合いになった。
アジとハマチでは体の大きさが違う。
アジは一瞬のうちに不利な体勢になってしまった。
ハマチが一気に叩き込もうとした時、そこにヒトデが現れた。
ヒトデは言った。
「弟のアジに何してくれてんねん」
ハマチの血の気が引いていくのがわかった。
ヒトデは固まったハマチに対して、さらに詰め寄っていく。
続く
お分かりいただけただろうか。
とりあえず、
クソなのである。
しかし、このクソ小説を足かけ7年も継続しているという事実が称賛に値する。
正直、内容なんてどうでもいいのである。
これを我々専門家は「ヘンリー・ダーガー」システムと呼ぶ。
文法上の間違いや、誤字脱字などは一切関係が無い。
ストーリーの一貫性の有無など、どうでも良い。
支離滅裂、大いに結構。
むしろ、荒唐無稽であればあるほど、
他の誰とも似ていないがゆえに、評価に値する。
本来、アートとはそういうものだ。
芸術の本質とはそういう事だ。
そして
「人間が生きるという事」と「芸術」は、ほぼ同義なのだ。
サバンナ八木は、そのことを我々に伝えようとしている。
八木の表面上のつまらなさに、惑わされてはいけない。
八木が全身全霊を込めて解き放つメッセージに耳をすませろ。
目を凝らせ。
括目せよ。
本質を見極めろ。
もしも、何かを感じ取れたならば、書くが良い。
世間体や、完成度など、気にすることなく、己を表現しろ。
すべて振り払え。
ありのままの自分で勝負しろ。
5年後に読んだ時に赤面してしまうような恥ずかしいことを綴れ。
それを最後まで貫くことが出来た者だけが、
5年後に「過去の己の未熟さ」と対峙しても、決して揺らぐことが無い、本当の強さを勝ち取ることが出来るのだ。
人間は不完全な生き物である。
人間は必ずや、間違いを犯す。
自分の事を棚に上げて、他人を中傷する事で現実から逃避するな。
己と向き合え。
「他人の揚げ足をとる者」が
自分が望んだポジションなのか?
本当になりたかった自分になれ。
逃げるな。
犠牲を払え。
何も失わずに何かを手に入れようなどと思うな。
ようするにサバンナ八木は、そういうことを我々に気付かせてくれる貴重な存在だ。
サバンナ八木は、おそらく悪魔と取引したのではないだろうか。
「お笑い芸人としての面白さ」
と引き換えに、
「しょうもない小説を書く」
というチカラを手に入れたのだ。
サバンナ八木に幸多かれ。