【 #自由律俳句的つぶやき 】始めました。ツイッターで。

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こんにちは。「平成の俵 万智(たわら まち)」です。ウソです。

ワタクシ、この度「はいじん」を目指すことにしました。

廃人のほうではなく、俳人ですね。

五七五にとらわれない自由律俳句をね、これから始めてみようかなと。

 

フリーダムな俳句をひたすらドロップしていけば、数年後には日の目を見る可能性もあるんじゃないかと。

俳句を読む人はハイカー、短歌を読む人はタンカー、と呼ぶかどうかはさておいて。

 

ひとつのことを、アホみたいに徹底的に、長く続けていれば、いずれは、脚光を浴びる日も来るんじゃないかなと、ふと思いまして。

 

例えば、ヘンリー・ダーガーのように。

gattolibero.hatenablog.com

人生に悩んでいるあなたに朗報です。

美的センスなんて、一切なくても大丈夫!

確実に、日本だけではなく世界にも、あなたの名を轟かす方法があります。

 

超簡単!誰にでも出来る「世界的なアーティスト」になる方法

  • 1.チラシの裏でも何でもいいから、適当に物語を書き始める。
  • 2.ページ数と順番だけをしっかり管理すれば、あとは何でもあり。
  • 3.挿絵も自分で書く。パクリでもなんでもOK。
  • 4.ストーリーが破たんしてても全然OK。
  • 5.登場人物が死んだり生き返ってもOK。
  • 6.途中でキャラクターの容姿や性格が変わってもOK。
  • 7.つじつまなんて一切合わなくてOK。
  • 8.とにかく書く。
  • 9.書いて書いて書きまくる。
  • 10.毎日書く。
  • 11.死ぬまで書く。
  • 12.死ぬ。

 

あなたの死後、部屋中を埋め尽くす膨大な量の、物語の原稿と挿絵が発見される。

当然、ニュースになる。

世界中で話題になる。

「日本にもヘンリー・ダーガーがいた!!!」

 

非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎

www.youtube.com

 

ヘンリー・ダーガーは、全人生をかけて、アホみたいに長い物語を書いた。

おそらく世界一長いと言われている、限りなくネバーエンディングなストーリーだ。

彼は、作品を誰にも見せず、シコシコと、ひとりで部屋に閉じこもって、死ぬまで物語を書き続けた。

そして死後、世界的な、伝説のアーティストになった。

 

ダーガーは知的障害児の施設出身(途中で脱走した)なので、おそらく、まともな教育をほとんど受けていない。

ということは、誤字や脱字も頻繁にあっただろうし、文法も怪しかったに違いない。

物語の内容も、つじつまが合わず、支離滅裂な部分も少なくなかったはずだ。

しかし。

そんなものは枝葉の部分に過ぎない。

所詮、「技術」など表面的なものだ。本質とは一切関係が無い。

肝心なのは、彼が、ダーガーが、己の全人生をかけて取り組んだ、その作品が内包している、爆発的な熱量であり、呆れるほどの執念であり、ささやかな希望であり、すなわち、ダーガーの命、全て、なのだ。

 

 

私も「作品」と呼べる何かを創作していきたい。自分にできることって何なのか。そうだ、京都へ行かずツイートしよう。

お金もなければ、根性もない。

人付き合いも苦手だし、特別な才能もない。

しょ~もない人生を送ってきました。

恥の多い人生でしたよ。

 

そんな私に、何かできることってあるだろうか。

 

・・・・・・・・・

 

そうだ。自由律俳句を詠むことにしよう。

 

いや、自由律俳句よりも、もっと自由な何かだ。

 

ということで、

#自由律俳句的つぶやき

というハッシュタグを発明いたしました。

 

今後は不定期に、#自由律俳句的つぶやき をつぶやいていこうと思います。

何百個、何千個と作品が貯まってくれば、

「マツコの知らない世界」とかから出演オファーがくるかもしれません。

 

無職なのに

「プロフェッショナル仕事の流儀」に出演するってのも痛快。

 

まぁ冗談はこのくらいにしておいて。

 

とにかく「何か形に残るもの」を創り出してみたくなったんよね。

 

ちなみに、今朝がた、何個か #自由律俳句的つぶやき を投下してみたんですけどね。

これがもうね、つぶやけばつぶやくほど、フォロワーが減っていくという、メチャクチャ分かりやすい現象がおきまして。

 

まぁね、時が経てば、こういう哀しい記憶ってのも俳句のネタになりますからね。

この哀しみを胸に抱いて、イイ感じに熟成されるまで、しばらくの期間、寝かせておこうと思います。そう…年代物のワインのように。

 

 

ハッシュタグ #自由律俳句的つぶやき を普及させたい。新しい日本の文化として。

平成最後に誕生した、新しいクール・ジャパンの形、それが【 #自由律俳句的つぶやき 】。

古き良き日本の伝統と、デジタルツールの融合。

俳句のようで俳句でない。

駄文のようで駄文でない。

 

【 #自由律俳句的つぶやき 】の普及にぜひ、ご協力ください。

もしかすると、あなたの作品が将来、国語の教科書に載るかも知れませんよ。

twitter.com

 

とりあえず、しばらくの間は、私一人で布教活動をやることになりそうですが、一応ね、定期的に巡回して、【 #自由律俳句的つぶやき 】が付いてるツイートをチェックしていこうと思っています。

後世に残したい素敵な作品が見つかった場合は、間髪入れずにリツイート、あるいは批評など、ぶちかましていこうと考えております。

 

まぁね、こういうのって、センスですから、人それぞれなんでね、点数のつけようもないし、自分の好みかどうかでしかないんでね、批評を恐れず、どんどん投下していただければ幸いです。

 

 

個人的には、アレですね、人生の悲哀を感じさせる句が好きですね。

哀しみの中に、ほんのりユーモアが練り込まれているタイプ。

 

ダメ人間だからこそ醸しだせる空気って、あると思うんですよね…。

ただ天真爛漫なだけじゃ、描き切れない何かってあるじゃないですか。

 

人生に絶望した経験があるからこそ、そこから這い上がってきた経験があるからこそ、伝えることの出来る言葉がある。

 

 

こういう、世相を斬った作品も、アリなんじゃないかと思いますね。

その時代、その瞬間じゃないと詠めない一句です。

 

まぁ、こんな感じで。

フリースタイルです。

何ものにもとらわれず、自由に。

 

とりあえず五年くらい続けてみたいと思います。

 

 

【ちょっと追記】

まだちょっと「自由律俳句」 の説明が足りなかったようで。

ここでちょっと、歴史的に有名な、自由律俳句の巨匠たちの句をいくつか紹介しておきましょう。

俳句はここまで自由になれる!

 

種田 山頭火(たねだ さんとうか)

山頭火は晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と記している。その時にはすでに無一文の乞食であったが、乞食に落ちぶれた後、克明な日記をつけ続けている。その放浪日記は1930年(昭和5年)以降が存在し、それ以前の分は自ら焼却している。死後、遺稿日記が公開され、生涯の一部が明らかになった。

種田山頭火 - Wikipedia

 

どうしようもない私が歩いている

 

笠にとんぼをとまらせてあるく

 

この旅、果もない旅のつくつくぼうし

 

まつすぐな道でさみしい

 

分け入つても分け入つても青い山

 

 

尾崎 放哉(おざき ほうさい)

放哉は寺男などを転々とし、小さな庵と海のある場所に住みたいという理由から、晩年の八ヶ月を小豆島の西光寺奥の院で寺男として暮らしたが、島での評判は極めて悪かった。吉村が1976年に取材のため島を訪ねた時、地元の人たちから、「なぜあんな人間を小説にするのか?」と言われたほどで、「金の無心はする、酒癖は悪い、東大出を鼻にかける、といった迷惑な人物で、もし今、彼が生きていたら、自分なら絶対に付き合わない」と、吉村自身が語っている。

尾崎放哉 - Wikipedia

 

咳をしても一人

 

いれものがない両手でうける

 

こんなよい月を一人で見て寝る

 

いつしかついて来た犬と浜辺に居る

 

どうでしょう。このワビサビ。滲み出る哀愁。

素晴らしい句は情景が目に浮かびますね。