こんにちは。「平成の俵 万智(たわら まち)」です。ウソです。
ワタクシ、この度「はいじん」を目指すことにしました。
廃人のほうではなく、俳人ですね。
五七五にとらわれない自由律俳句をね、これから始めてみようかなと。
フリーダムな俳句をひたすらドロップしていけば、数年後には日の目を見る可能性もあるんじゃないかと。
俳句を読む人はハイカー、短歌を読む人はタンカー、と呼ぶかどうかはさておいて。
ひとつのことを、アホみたいに徹底的に、長く続けていれば、いずれは、脚光を浴びる日も来るんじゃないかなと、ふと思いまして。
例えば、ヘンリー・ダーガーのように。
人生に悩んでいるあなたに朗報です。
美的センスなんて、一切なくても大丈夫!
確実に、日本だけではなく世界にも、あなたの名を轟かす方法があります。
超簡単!誰にでも出来る「世界的なアーティスト」になる方法
- 1.チラシの裏でも何でもいいから、適当に物語を書き始める。
- 2.ページ数と順番だけをしっかり管理すれば、あとは何でもあり。
- 3.挿絵も自分で書く。パクリでもなんでもOK。
- 4.ストーリーが破たんしてても全然OK。
- 5.登場人物が死んだり生き返ってもOK。
- 6.途中でキャラクターの容姿や性格が変わってもOK。
- 7.つじつまなんて一切合わなくてOK。
- 8.とにかく書く。
- 9.書いて書いて書きまくる。
- 10.毎日書く。
- 11.死ぬまで書く。
- 12.死ぬ。
あなたの死後、部屋中を埋め尽くす膨大な量の、物語の原稿と挿絵が発見される。
当然、ニュースになる。
世界中で話題になる。
「日本にもヘンリー・ダーガーがいた!!!」
非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎
ヘンリー・ダーガーは、全人生をかけて、アホみたいに長い物語を書いた。
おそらく世界一長いと言われている、限りなくネバーエンディングなストーリーだ。
彼は、作品を誰にも見せず、シコシコと、ひとりで部屋に閉じこもって、死ぬまで物語を書き続けた。
そして死後、世界的な、伝説のアーティストになった。
ダーガーは知的障害児の施設出身(途中で脱走した)なので、おそらく、まともな教育をほとんど受けていない。
ということは、誤字や脱字も頻繁にあっただろうし、文法も怪しかったに違いない。
物語の内容も、つじつまが合わず、支離滅裂な部分も少なくなかったはずだ。
しかし。
そんなものは枝葉の部分に過ぎない。
所詮、「技術」など表面的なものだ。本質とは一切関係が無い。
肝心なのは、彼が、ダーガーが、己の全人生をかけて取り組んだ、その作品が内包している、爆発的な熱量であり、呆れるほどの執念であり、ささやかな希望であり、すなわち、ダーガーの命、全て、なのだ。
私も「作品」と呼べる何かを創作していきたい。自分にできることって何なのか。そうだ、京都へ行かずツイートしよう。
お金もなければ、根性もない。
人付き合いも苦手だし、特別な才能もない。
しょ~もない人生を送ってきました。
恥の多い人生でしたよ。
そんな私に、何かできることってあるだろうか。
・・・・・・・・・
そうだ。自由律俳句を詠むことにしよう。
いや、自由律俳句よりも、もっと自由な何かだ。
ということで、
#自由律俳句的つぶやき
というハッシュタグを発明いたしました。
今後は不定期に、#自由律俳句的つぶやき をつぶやいていこうと思います。
何百個、何千個と作品が貯まってくれば、
「マツコの知らない世界」とかから出演オファーがくるかもしれません。
無職なのに
「プロフェッショナル仕事の流儀」に出演するってのも痛快。
まぁ冗談はこのくらいにしておいて。
とにかく「何か形に残るもの」を創り出してみたくなったんよね。
ちなみに、今朝がた、何個か #自由律俳句的つぶやき を投下してみたんですけどね。
これがもうね、つぶやけばつぶやくほど、フォロワーが減っていくという、メチャクチャ分かりやすい現象がおきまして。
まぁね、時が経てば、こういう哀しい記憶ってのも俳句のネタになりますからね。
この哀しみを胸に抱いて、イイ感じに熟成されるまで、しばらくの期間、寝かせておこうと思います。そう…年代物のワインのように。
ハッシュタグ #自由律俳句的つぶやき を普及させたい。新しい日本の文化として。
平成最後に誕生した、新しいクール・ジャパンの形、それが【 #自由律俳句的つぶやき 】。
古き良き日本の伝統と、デジタルツールの融合。
俳句のようで俳句でない。
駄文のようで駄文でない。
【 #自由律俳句的つぶやき 】の普及にぜひ、ご協力ください。
もしかすると、あなたの作品が将来、国語の教科書に載るかも知れませんよ。
とりあえず、しばらくの間は、私一人で布教活動をやることになりそうですが、一応ね、定期的に巡回して、【 #自由律俳句的つぶやき 】が付いてるツイートをチェックしていこうと思っています。
後世に残したい素敵な作品が見つかった場合は、間髪入れずにリツイート、あるいは批評など、ぶちかましていこうと考えております。
まぁね、こういうのって、センスですから、人それぞれなんでね、点数のつけようもないし、自分の好みかどうかでしかないんでね、批評を恐れず、どんどん投下していただければ幸いです。
オレはもうパトラッシュ並に疲れている
— 自由ネコ@はてなブログ (@gattoliberoTW) February 11, 2019
#自由律俳句的つぶやき
個人的には、アレですね、人生の悲哀を感じさせる句が好きですね。
哀しみの中に、ほんのりユーモアが練り込まれているタイプ。
ダメ人間だからこそ醸しだせる空気って、あると思うんですよね…。
ただ天真爛漫なだけじゃ、描き切れない何かってあるじゃないですか。
人生に絶望した経験があるからこそ、そこから這い上がってきた経験があるからこそ、伝えることの出来る言葉がある。
バイト先でバカな動画を撮らないよ。無職だから。
— 自由ネコ@はてなブログ (@gattoliberoTW) February 11, 2019
#自由律俳句的つぶやき
こういう、世相を斬った作品も、アリなんじゃないかと思いますね。
その時代、その瞬間じゃないと詠めない一句です。
まぁ、こんな感じで。
フリースタイルです。
何ものにもとらわれず、自由に。
とりあえず五年くらい続けてみたいと思います。
【ちょっと追記】
まだちょっと「自由律俳句」 の説明が足りなかったようで。
ここでちょっと、歴史的に有名な、自由律俳句の巨匠たちの句をいくつか紹介しておきましょう。
俳句はここまで自由になれる!
種田 山頭火(たねだ さんとうか)
山頭火は晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と記している。その時にはすでに無一文の乞食であったが、乞食に落ちぶれた後、克明な日記をつけ続けている。その放浪日記は1930年(昭和5年)以降が存在し、それ以前の分は自ら焼却している。死後、遺稿日記が公開され、生涯の一部が明らかになった。
どうしようもない私が歩いている
笠にとんぼをとまらせてあるく
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
まつすぐな道でさみしい
分け入つても分け入つても青い山
尾崎 放哉(おざき ほうさい)
放哉は寺男などを転々とし、小さな庵と海のある場所に住みたいという理由から、晩年の八ヶ月を小豆島の西光寺奥の院で寺男として暮らしたが、島での評判は極めて悪かった。吉村が1976年に取材のため島を訪ねた時、地元の人たちから、「なぜあんな人間を小説にするのか?」と言われたほどで、「金の無心はする、酒癖は悪い、東大出を鼻にかける、といった迷惑な人物で、もし今、彼が生きていたら、自分なら絶対に付き合わない」と、吉村自身が語っている。
咳をしても一人
いれものがない両手でうける
こんなよい月を一人で見て寝る
いつしかついて来た犬と浜辺に居る
どうでしょう。このワビサビ。滲み出る哀愁。
素晴らしい句は情景が目に浮かびますね。