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自分が死ぬ時には所有物(遺品)が段ボール1箱分だけってのが理想

むかし「おくりびと」っていうモックンの映画を2分だけ見た。

しぶがき隊のモックンね。

内田裕也樹木希林の義理の息子でお馴染みのモックン。

たまたま、つけっぱなしになってたテレビで放送してたんだ。おくりびと

 

2分しか見てないから、内容は良く知らない。

多分、モックンがチェロか何か弾いてる音楽家で、葬儀屋に転職する、って話だと思う。

 

でさ、モックンのおやじが死んだときに、遺品が段ボール1箱分だけだった、っていうくだりがあったと思うんだよな。はっきり覚えてないけど。

 

その「人が死んだときに所有物が段ボール1箱分しかなかった」というエピソードを、映画の中ではどう捉えていたのかまでは、覚えていない。

もしかしたら、モックンのおやじは孤独で可哀そうな死に方をした、っていう描き方だったかもしれない。

死んだときに持ち物が全然なかったというのは、残念な人生を送った、っていうのを表現していたのかも知れない。

そのへんは、よく知らないんだけどさ。

おくりびと」、2分しか見てないからな。

でも、とにかくオレは、これだ。って思ったわけさ。

 

おれは、こうして死にたい。って思った。

オレが死んだときには、オレの荷物が段ボール1箱しか無かったらすげ~いいなって思った。

 

例えば、生きてる間に自分の銅像を建てるのとかって、すげ~下品な感じがするんだよな。まぁ、そういう人は「オレはそれだけの事をしてきた」っていう自負があるんだろうけどさ。

 

「THE・自己顕示欲」っていうかな。

「私が死んでも、みなさん、私の事を忘れないでね」とか、すげ~傲慢な気がしちゃうんだよな。

オレが死んだら、オレの事なんて、キレイさっぱり忘れてほしいし、死んでもなお、他者に影響を与え続けたいなんていう壮大なスペクタクル的な願望ないよ。

もっと、サラリと梅酒みたいに死にたいし、自分の葬式に大勢の人たちが参列してくれるのを想像してニヤつくのとか、ちょっと無いかなって気がするわけよ。

葬式なんてしたいとも思わないよ。

あいつ、いないなと思ったら、とっくに死んでた。みたいなのが理想。

 

変な話、富士の樹海で死ぬのが一番ベストかなって気もしてる。

火葬場で焼かれちゃったら、ただの灰でしかないけど、樹海で死ねば、もう一回自然のサイクルに組み込んでもらえるだろ。

自分の死体がちゃんと他の生き物の餌になった方が、「地球規模でうまく回ってる」感じがして気持ちいいんじゃないか?って気がするんだよな。

 

オレ的には、老子のタオイズム(道教)とか、スナフキンとか、良寛とかの生き方に共感しちゃう部分があるからな。

なんか、淡々と生きて、淡々と死ぬのがすごくイイことのように思えるんだよな。

 

若い頃は、何かを成し遂げたかったし、尊敬もされたかったし、「人生の勝者」になりたいと思ってた。

自分は何者かに成れると思ってた。

 

でも、そういうのってぐるっと一周回っちゃうと、むしろ全然どうでもいいことのように思えてきちゃった。

 

こうしてブログ書いて、小銭を数十円稼いで、それだけでも結構満足しちゃってるんだよな。

何か大それたことをしようとか、全然思えなくなっちゃったし、貪欲に何かを求めて頑張ってる自分なんて、自分らしいとも思えない。

 

本当の自分は、今と違う自分になりたいだなんて、思ってない。

今のままの自分でも、けっこう気に入ってるんだ。

 

昔は自分の事が嫌で嫌でしょうがなかったから、きっと違う自分になりたかったんだろう。

今の自分のままでは、他人にも自分自身にも受け入れてはもらえない。だから、頑張って今よりもマシな自分にならなくちゃって思ってたんだろうな。

ありのままのふがいない自分を受け入れるだけの度量が無かった。

自分自身を丸ごと受け入れるだけのキャパシティが無かった。

自分自身と真っ向から向き合って全部受け止めるだけの勇気が無かった。

だから、自己啓発本なんかを必死に読んで、頑張ってたんだろうな。

そんなところには答えなんて無いのにな。

 

まぁ、今では、ほぼ乗り越えたんだろうと思う。

たしか前にも書いたけど、

昨日と同じ今日、今日同じ明日、明日と同じ明後日が来るとしても、オレは一向に不満が無い。

むしろ望むところだとさえ思ってる。

 

いきなり隕石が落下してきて、地球が滅亡しても全然OKだと思ってる。

むしろ、隕石が落ちてきてすべてが終わると仮定して、それならば今日一日をどう生きるか?って、逆算して考えてるからな。

 

どういうわけか、何一つ成し遂げていない毎日にさえ、やたらと幸せを感じている自分がいる。ここ数年の話だ。

もちろん、こういう境地にサクッとたどり着いたわけでもないし、最初はなかなか、当たり前の毎日の中にも幸せがある、だなんて、まったく1ミリも思えなかったけどな。

 

この前なんて、お湯を飲んだだけで「超うめ~!しあわせ!有り難い!」って感じたから、これはいよいよヤバいのかも知れないなって思ったよ。

お茶ならまだしも、お湯でも幸せってのはヤバいだろ。

完全に勝ち組。最強。

 

多分、ゴールしてるんだよな。

すでに、目的地にたどり着いてる。

さぁがんばれ、さぁ、走り出せ、とか言われても、全然そんな気にはならない。

今42.195キロ走り切ってゴールテープを切ったのに、さぁ、次のゴールを目指せといわれても全然ピンと来ないよな。

 

所有物を段ボール1箱分まで減らすためにはあと30年くらいかかるのではないか

それにしても、モノが減らないよ。

マザー・テレサみたいに、

服2着、サンダル、洗濯用のバケツ、手提げ袋

だけ、っていう境地は夢のまた夢。

むしろ、下手するとどんどん増えていってる。

この調子じゃ永久に死ねない。

 

一番の問題点は、絶対に無駄に捨てない、って決めてる事。

例えば服なら、徹底的にボロボロになるまで着ることにしてる。

普通に10カ所、20カ所の穴が開いてる服とか毎日着てる。

捨てられない。もったいない。まだ着れる。

まだ使えるものは絶対に捨てない、って決めてるから、モノが減るペースが異様に遅い。

そういえば、限界ギリギリまで服を着ると、まんべんなく全部が全部、超薄い生地になっちゃうから、破れる時はビックリするくらい一気にビリビリに破れるね。

ワシはキューティーハニーか。