先ほどtwitter(ツイッター)にて「雑記ブログに書くなら、日記帳にでも書けば?」という、どうでもいいアドバイス(通称・クソバイス)をいただきました。
まぁでも、確かにその通りなんですよ。
100均で買ってきたノートにでも書いていれば、そういうクソバイスを投げつけられることもないからな!
しかしねぇ…
こっちとしては、率直に申し上げて「知らんがな」ですよ。
「謝罪すべき」とか「アフィカス・ブロガー」とか言ってくるし。
アフィリエイトどころか、こっちはいまだにアマゾンのアカウントさえ持ってねぇわ。
いちいち気にしてたら、ブログなんてやってらんねぇから、本当はもう「完全スルー」が正解なんだけど、ちょうど今日は、ブログに書くネタが無かったから、うんざりエピソードとしてリサイクル活用しております。
地球にやさしいエコブログです。
誰からもディスられないように、用心してビビりながらブログを書いてても、全然面白くない。
自分のブログ上で持論を展開することさえ、許されないんだとしたら、何なんだ?って話ですよ。
お前のブログは間違えてるとか、ああすべきだとか、こうすべきだとか。
言論統制か?おい?
言っとくけどなぁ、オレがペコる相手は、
グーグル神だけなんだよ!!
グーグル様には、まったく頭が上がりません。
靴を舐めろと言われれば、
「靴以外も舐めますよ」
と返すのが礼儀。
そういう世界です。
ってかさ、こういう冗談を書いただけでも、ディスってくるヤツはディスってくるんだよなぁ…。
冗談が理解できないんだろうか。
まぁ実際、利口な人は「ブログディスり」みたいなことに時間を浪費しないよな。
愛を込めてこの言葉を贈ります。
耳が痛いね
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2017年2月9日
“批評の主たる魅力は、批評されているものよりも批評している者のほうが偉く見えることである。
批評することは極めて容易なので、それはしばしば、他のいかなる方法によっても人の興味を引くことができない凡庸な輩の避難所となる”https://t.co/JQkcYarPw9
耳が痛いって書いちゃったけど、実際は目が痛い、だな。
わざわざツイッターでクソリプ送ってくんなよ、ホント。
今見たら、facebook(フェイスブック)のシェアが290超えてるな。
それだけ、クソリプに悩まされてる人が大勢いるって事だ。
あとは・・・
「ブログのフォントが気に入らない」っていうクレームとかも来るからね。
もうさ…。
「改行が許せない」
とかさ。
なんでもいいんだよね。
文句つける奴は、ず~~っと文句言ってる。
いろんなサイトやブログを巡回して、ず~~っと文句言ってる。
考えようによっちゃ、気の毒な人間ですよ…。
「他人のサイトにいちゃもんをつけるためにこの世に生を受けた人間」だから。
「他人をディスる」という星の元に誕生した、生まれつきのクレーマー。
ナチュラル・ボーン・クレイマー。
親子三代続いた由緒正しいクレイマー。
第60代横綱 兼 クレイマー。
クレイマー・オブ・ザ・イヤー30年連続受賞。
夏目漱石著。吾輩はクレイマーである。
クレイマーだもの。みつを。
太宰治著。ディスれメロス。
トンネルを抜けるとそこはクレームの嵐だった。
featuring 川端康成 & 青山テルマ
そういう連中は、野菜を食え!
3500000グラムの野菜!
そして瞑想!
あとは何だっけな…マジで忘れた。
・・・・・・
何だっけ。
やさい、めいそう、
・・・・・・
・・・・・・
ポールダンスだったかな…。
そもそも、個人の雑記ブログに何を求めてんの?って話ですよ。初っ端から、有益な情報なんて書くつもりねぇから!
こっちは、自分が楽しいから、好き勝手なこと書いて遊んでるだけだからね、言っとくけど。
それに対して、
「某氏の生年月日を間違えて書いてる!こういうのホント迷惑なんだよ!」
とかさ、激怒してくるヤツとかもいるのよ。
それで調べてみたら、引用元のサイト自体が間違えてたんだけどさ。
まぁこっちにしてみたら、超絶どうでもいい話なんだけど。
どうして、そんなことで激怒できるのか意味分かんねぇ。
指摘するなら指摘するで、普通に言えばいいだけの話じゃん。
やっぱ狂ってるのかな。
とにかくねぇ、こっちはジャーナリスト気取ってるつもりもないんだよ。
有益かつ正確な情報を迅速に皆様にお届けします!
なんて、1ミリも思ってないからな!
確かな情報を知りたかったら、個人のブログなんて見てないで、自分で調べろよ。
「ゴーグル」っていう便利な検索機能があるからよ。
知らないのかな。ゴーグル。
スゴイ便利だから。使ってみそ。
初心者救済企画「Google」の正しいカタカナ表記を有料サロンで教えます。ウソです。 - 自由ネコ
こっちはもうね、めちゃめちゃ適当に書いてるだけだから。
鼻唄、唄いながら。
読むほうも、軽~い気持ちで読んでちょうだいよ。
どうしても、社会派で骨太、有益かつ正確な情報が知りたければ、ぐわぐわ団っていうブログがあるから、そっち読んでよ。
THE・ジャーナリズム。
ぐわぐわ団は、複雑に入り組んだ現代社会にメスを入れすぎて、大変なことになっています。
とにかくワタクシは、社会を良くしようとか、意義あることをしようとか、世の中の間違いを正そうとか、そういう気持ちは、ほぼほぼ、ございません。
たわむれているだけです。
っていうか、大半の人は、そのへん、ちゃんと察してくれてるんだけどね。
おそらく、ワケわかんない奴って、5000人に1人とかだと思うわ。
そして、そういう人は、説明しても無理だよな。
話が通じない。
すみやかに完全スルーが鉄則。
そしてブロック&非表示。
誰にも相手にされずに、かまってほしがってる人間は面倒なんだよ。
うっかり、かまっちゃうと
「ディスれば、かまってもらえるんだ!」
って思っちゃうからな。
味をしめて、いつまでも粘着してくるから。
「他人をディスれば、こっちを向いてもらえる」という前例を作っちゃいけない。
他人をディスればディスるほど、余計に孤独になるだけだ、っていうことに、気づかせないとダメ。
こっちは菩薩じゃないんだから。
スルーさせてもらいますよ、ホント。
基本的には、翼の折れたエンジェルを応援してやりたい気持ちはあるが、「他人を傷つける目的で傷つける輩」には、共感なんて出来ないよ。
不可抗力じゃなくて、意図的に、「傷つけてやろうと思って傷つける奴」ってたまにいると思うけど、そういうのには共感はできませんねぇ。
その傷つけ方が、
実際のナイフや包丁か、あるいは「言葉」によるものなのか、その違いはあっても、根本的には同じだと思っています。
同じくらい、ダメだと思うのよ。
相模原市の障害者施設殺傷事件ってあったじゃん?
犯人の男は、
「自分の正義を押し通すためには、他者を傷つけてもOKだ」
って考えなわけじゃん?
基本的には、この犯人、
「他人の幸せを奪ったうえで成り立つ自分の幸せはアリなんだ」
っていう発想だと思うのよ。おそらく。
そこに罪悪感を感じていない。
それがすごく危ないと思うんだよなぁ。
誰だって人間は、生きてるだけで、誰かを傷つけていると思うけど、それって意図的なものじゃないはずだよ。
結果的に誰かを傷つけてしまった、ということは誰にでもあるけど、わざとに傷つけようと思ったわけじゃない…って思うんだよ。
そして、罪悪感を感じてるはずなのよ。
やっちまったな…っていう。
もちろん、私だってそうです。
いっぱいいろんな人を傷つけながら生きてますよ。
間違いも犯すしね。
私は、自分が正しいとか、優れているとか、立派だとか、そんなふうには思ってないし、まぁ実際にクソみたいな人間ですよ。
それは認める。
でもね、
自分の中の正義を振りかざして、相手をねじ伏せて、優越感を得ようとか、社会に貢献してる実感を得ようとか、そういうふうにならないように、ってのは、時々思うんだよ。
忘れちゃうこともあるけどさ。
だからさ、正義の人っていうポジションから、あっちこっちに文句を言って「気持ちいい~!」ってならないように、気をつけなきゃダメだな、ってのは思うんだよ。
ただね、それって、じっと口を閉じて黙ってろ、っていうことでは無くてさ。戦う相手を見極めろっつ~話。
政治の話や、社会問題とか、おかしいなって思ったことがあれば、「おかしい!」っていう意志は、どんどん表明すべきだと思う。
むしろ、言わないとダメ。
私的には、基本的に「自分よりも巨大なもの」に対しては、おかしいと思った時はどんどん、おかしいって言おうと思ってる。
最近だったら憲法第9条のこととかさ。
今だったらなんだろうね、キングコング西野の絵本無料公開事件とかね。
巨悪に立ち向かおうと思ってますよ、私は。
(こういう冗談も、通じない奴には通じない。だから怖い…)
結局さ、自分よりも弱そうな者や、反論してこないような者をめがけて、わざわざ相手を傷つけるために誹謗中傷を投げつける、ってのは、ちょっとダメだと思うわけよ。
ど~~しても、文句を言いたければ、自分自身も文句を言われる覚悟で、ブログを開設して、その中で持論を展開してください。
自分の庭でやりなさいよ。他人の庭に汚物を撒きに来ないでさ。
ただね、いっとくけど、
あっちこっちをディスればディスるほど、全部、自分に跳ね返ってくるからな。
その覚悟だけはしておくように。
そうやって、見知らぬ人間から文句を言われる煩わしさを知ると良い。
大人になるってそういうことですよ。
なんつってか。
実際「はてな村」では日々、ブロガー同士のディスり合いが繰り広げられているとかいないとか。
でもねぇ、実際の話、新しくブログを開設してさ、鼻息荒くして持論を展開しても、誰にも支持されないと思いますよ。
正義ヅラして、あっちこっちにケンカ売っても、誰からも見向きもされないと思うよ。
どのブロガーからも無視されるだろうし、読者になってくれる人も限りなくゼロに近いと思う。
そんなもんよ。
そこで初めて、自分が今までやってきた「正義」が全然見当違いな事だったんだ、って気づくでしょう。
まぁやってみな。
人は間違いを犯す生き物だ。自分も相手も間違える。許すほど、生き易くなる。
どうしても許せないものが誰にでもあるだろう。
でもね、
そうじゃないものは、許せるなら許しておこう。
許すほど、自分自身も生き易くなるんだよ。
許すほど、生き易くなる。
何言ってるか分かんないか?
オレは分かんないけど。
分かんないけど、とりあえず言ってみたよ。
なんとなくカッコイイかなぁと思って。
その場の雰囲気にのまれて、つい書いてしまった。
意味は分からん。
まぁ、あんまり目くじら立てんなよ、って話。
それを無理矢理、引き伸ばしてみた。
「自分の価値が高まった」と感じられる一番簡単な方法は、誰かの悪口を言う事。誰かを批判している時は自分の方がマシだと錯覚できるからね。
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年11月1日
しかし実際には、誰かの悪口を言っても自分の価値は上がらない。むしろそれは自分自身を貶める行為だ。間接的な自殺みたいなもんだからやめたほうがいい。
「批判する人」の多くは何に対しても批判的で、「肯定的な人」は何に対しても肯定的だったりする。そう考えると、どちらもバランスを欠いた人の意見だから、そんなに気にする必要はないのかもしれない。
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年12月8日
やっぱり一番大事にしなきゃいけないのは「自分自身の心の声」だよね。という結論に至りました。
「正しさ」という物差しで世界を計ろうとする者は、すでに間違っているとさえ言えるだろう。
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2017年1月12日
「自分の物差しだけは絶対に間違っていない」という前提に立って世界を眺めているのだから。非常に傲慢で危険な発想だ。
本来、万人に等しく共通する正しさなど無いのだ。皆が自分の答えを持っていてよい。